2020.1.26 の礼拝案内

週 報 752020.1.26
イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。   (ルカによる福音書3章23節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
奏楽  板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞 詩編119編105節

*讃 詠  545b

*罪の告白と赦し 交読詩編9編12節~15節

*讃美歌  80

<神の言葉>
聖 書 民数記4章1節~4節  (旧約P.216)

ルカによる福音書3章23節~38節 (新約P.106)

祈 り                                        増 田 裕 子

*讃美歌  527〔1~3〕

説  教   「イエスの系図」      三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  354

*十 戒

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  544

*派遣と祝福

*後 奏

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礼拝当番 (今週) 安井、岩本、深沢、福永

(次週) 伊木、菊地、星野、松沢

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掃除当番 (今週) 福永、松谷、伊木、須田

國見、河野たけ子、佐藤允

(次週) 済陽、森﨑、國久、新畑

鈴木、小出勝、武政み

☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2020.1.26 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

< 聖 餐 式 >

説教 「人は何によって生きるのか」   三 輪 地 塩

詩編91章1節~16節

ルカによる福音書4章1節~13節

讃美歌 (21)83、2、484、494、79、46   岩 本 道 子

 
日曜学校説教「岩から水を出させる主」 岡 野 庸 子

出エジプト記17章1~7節

◇本日は礼拝後、12:30から定期総会を開催いたします。

現住陪餐会員の方は、各自昼食をお済ませください。

陪席は自由です。

長老候補者

加藤純子 増田裕子 松谷信司 安井国雄  以上4名

執事候補者

岩本道子 菊地晴子 小出勝 島口裕香

新畑信 薄田東正 野田昭子 済陽高志    以上8名

 
◇今年も共助金庫、会堂改修、大中会負担金などの献金を

宜しくお願いします。受付に封筒があります。

 
≪2020年1~3月号家庭礼拝暦の訂正≫
P.103 横浜海岸教会創立150周年(二〇二〇)→(二〇二二)

2020.1.26~2020.2.1 今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)        9:45

〇コイノニア                礼 拝 後

〇定期総会                 12:30

〇臨時小会                 総 会 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「神学生が与えられるため」

「日本キリスト教会の教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会      30日(木)10:00

歴代誌下20章(担当 三輪地塩)  司会 菊 地 晴 子

〇聖書の学びと祈りの会      30日(木)14:00

使徒言行録19章21節~40節    担当  安 井 国 雄

【牧師予定】

〇「神学の夕べ」(青山学院大学) 27日(月)18:00

〇聖学院大学講義         29日(水)

2020.1.26 週報掲載の説教

<2019年5月12日説教から>

『自分は救えないイエス』
マルコによる福音書15章21節~32節

牧師 三輪地塩

 
イエスは、ゴルゴタの丘に連れ出された。そこへシモンという男が通りかかる。彼は「アレクサンドロとルフォスという二人の息子の父親であった」。「キレネ人」だったことから、現在のリビア、つまり北アフリカ出身者であることが分かる。彼がなぜここにいたのかは分からない。元々エルサレム近郊で働いていたのか、過ぎ越し祭の為にはるばるキレネから来たのか。一つだけ確かなことは、「たまたまそこを通りかかった」、ということである。偶然そこを通りかかったため、彼はイエスの代わりに「十字架」を背負わされる羽目になる。彼にとっては、見ず知らずのイエス某のために重労働を強いられることは、とんだとばっちりであった。

だがこのキレネ人シモンは、この強いられた重労働に対し、何の文句も言っていない。彼は、この箇所以外何処にも出てこない。十字架をイエスの代わりに背負わされた、ということだけが聖書に記されている。

しかし、ローマ書16章13節には、「主に結ばれている、選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく」とある。これが同一人物であるか議論の分かれるところであるが、おそらくこの箇所に出てくる「ルフォス」ではないかと考えられている。つまり、父であるキレネ人シモンが、この十字架を背負わされたことを切っ掛けにして、シモンの一家は、キリストと出会ったと考えられる。たまたまそこを通りかかったように描かれているが、この偶然の出会いの中に、神との必然の出会いが示されている。

コヘレトの言葉3章11節にはこう記されている。「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」

このように、全ての行為は、主の目に正しく値高いものとなる。キリストとの出会い方は様々であっても、全ては神の配剤、神の計画の中にある。