2021.5.23 主日礼拝の案内

週 報 76 巻 20 号 2021.5.23
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、

彼らが座っていた家中に響いた。

そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、

一人一人の上にとどまった。

(使徒言行録2章1節~3節)

主 日 礼 拝 2021.5.23 午前1030
<ペンテコステ礼拝>
奏楽 加 藤 純 子

司式 増 田 裕 子

<神の招き>
招 詞 ヨエル書3章1節

*讃 詠  545B

<神の言葉>
2020年5月31日ペンテコステ礼拝の説教から

聖 書 創世記11章1節~9節  (旧約P.13)

使徒言行録2章1節~13節(新約P.214)

祈 り

*讃美歌 172〔1〕

説  教 「ペンテコステを祝して」

三 輪 地 塩(音声)

<神への応答>
*讃美歌 171〔1〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 542

*後 奏

礼拝当番(今週)森﨑千恵

(次週)岩本道子

ライブ配信当番

(今週)新畑  信、小出 勝

(次週)薄田東正

2021.5.23 週報 教会からのお知らせ

2021.5.23 週報 教会からのお知らせ
◇ペンテコステ礼拝で行う予定の信仰50年の方への記念品
贈呈は、延期いたします。(板垣玲子さん、岡野庸子さん)

◇教会の礼拝に出席できない方の献金振込み先のご案内
郵便局 郵便振替口座番号:00170-1-23202

みずほ銀行浦和支店 口座番号:1202548 普通

*どちらも名義は日本キリスト教会 浦和教会

*依頼人欄に献金者の氏名・住所のご記入をお忘れなく。

 皆様へ
16日から対面での礼拝も再開いたしましたが、全国的に感染者数の増加が懸念され、埼玉県でも「まん延防止等重点措置」の適用が延長される状況を考慮し、当面はオンライン礼拝の視聴を推奨いたします。会堂へお越しの場合は、ご自身の健康状態(基礎疾患の有無など)に十分留意し、決して無理をなさいませんようにお願い致します。

2021.5.23~5.29 集会案内

    2021.5.23    集 会
〇「教会員の生活」による学びの会    休 会

〇朝カフェ               休 会

〇入門の会               休 会

〇クワイア練習             中 止

〇コイノニア              中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)       礼 拝 後

〇日曜学校教師会            礼 拝 後

◎祈祷題 「不安を覚えている人々のため」
「教会の働きが守られるように・三輪牧師の健康のため」

〇聖書の学びと祈りの会    5月27日(木) 10:00

麻生信吾説教集朗読     司会 志 賀 洋 子

ラインと対面(朗読者・司会者のみ)で行います。

次 週 礼 拝
奨励 「みんな救われるのか」    森 﨑 千 恵

出エジプト記23章1節~3節

ルカによる福音書13章22節~30節

讃美歌 546、121(1)、120(1)、543  三 輪 志 都

*日曜学校礼拝は6月6日(日)まで休会とします。

2021.5.23 の週報掲載の説教

2021年5月9日の説教から

18年の束縛から解かれた婦人
ルカによる福音書13章10節~17節

長老 松谷信司

安息日をめぐる同じような論争が福音書には複数登場する。昨年4月のオンライン礼拝で語られたルカによる福音書6章6~11節の説教では、「七日目に休まれた」という創造の出来事に由来する「安息日」には、「断ち切る」「復元する」という原意があると教えられた。
13章10節で「病気は治った」と訳されたイエスの宣言は、「解放された」「赦された」という意味を含む。当時、蔑まれていたであろう婦人が18年も治らなかった病から解放されるという出来事を前に、会堂長は腹を立てた。イエスが「偽善者たちよ」と複数形で呼びかけている通り、それに賛同する群衆もいたに違いない。
コロナ禍で「自粛警察」という言葉が耳目を集めた折、ネット上では「聖書にこう書いてあるではないか」「だからあなたは間違っている」というような「聖書警察」と呼ばれる現象も目にした。律法は人を縛るのではなく、むしろこの世の悪しきとらわれから解放するためのものであるはず。安息日のために人々がいるのではなく、人々のために安息日があることを忘れてはならない。
既存のルールに従った方が楽だし、その方が分かりやすい。安息日を守っている、聖書を読んでいる、献金をしている。しかし、手段が目的化してはいないかと主は問われる。何のために安息日を守り、聖書に聞き従うのか。本来、安息日に捧げられる礼拝には、18年もの病から解放されるほどの恵みがあるにもかかわらず、それよりも目に見えるルールに則っているかどうかを気にしてしまう弱さが私たちにはある。牧師とは、信徒とは、礼拝とは「こうあるべき」という観念にとらわれ、安息日なのに奉仕に忙しく「安息」できない教会もあると聞く。
狭い会堂に留まることのない主の偉大な祝福を、自らの思いやプライドだけで閉じ込めてはいないだろうか。安息日であっても、いやむしろ安息日「だからこそ」、あらゆる束縛から解き放たれる主のみ業を信じ、従いたい。