2021.11.14 主日礼拝の案内

2021.11.14 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 4 6号 2021.11.14
農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。

『これは跡取りだ。殺してしまおう。

そうすれば、相続財産は我々のものになる。』

そして、息子をぶどう園の外にほうり出して

、殺してしまった。

さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。

(ルカによる福音書20章14節-15節)
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都

<神の招き>
招 詞 ヨエル書 3章1節

*讃 詠  545B

聖 書 ヨナ書2章1節~11節(P.1446)

日曜学校説教 「苦難の中から祈るヨナ」 済 陽 高 志

*讃美歌 465

<神の言葉>
聖 書 詩編80編9節~12節   (旧約P.918)

ルカによる福音書20章9節~19節(新約P.149)

祈 り          松 谷 信 司

*讃美歌 172〔1-2〕

説  教 「ぶどう園と農夫のたとえ」  三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 171〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 542

*後 奏

礼拝当番(今週)岩本 道子

(次週)済陽 高志

献金当番(次週)加藤 純子

ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

 
 

2021.11.14~11.20 の集会案内

2021.11.14~11.20 の集会案内
      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会  休 会

〇朝カフェ             休 会

〇入門の会             休 会

〇クワイア練習           中 止

〇コイノニア            中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)    礼 拝 後

〇全員協議会(1階会堂)    12:00~

今 週 の 集 会
◎祈祷題「こどもたちの健やかな成長のため」

〇聖書の学びと祈りの会 11月18日(木)10:00

ネヘミヤ記6章(担当 三輪地塩) 司会 森 﨑 千 恵

※ラインで行います。

次 週 礼 拝
説教 「皇帝への税金」     三 輪 地 塩

申命記10章12節~22節

ルカによる福音書20章20節~25節

讃美歌 546、66(1-2)、121(1-2)、120(1-2)、543

板 垣 玲 子

2021.11.14 週報 教会からのお知らせ

2021.11.14 週報 教会からのお知らせ
◇本日礼拝後、12:00~13:30、全員協議会を行います。

*昼食をとる方は開始までにお済ませください。

次週から献金当番を再開いたします。
11月21日~12月12日は2名(礼拝当番と他1名)

12月19日以降(礼拝当番と他2名)

長老・執事を中心に行い、対面礼拝に出席している会員の方にもお願いする予定です。

会堂改修工事についてお知らせ
11月1日~12月11日の改修工事予定

暫く1階会堂で礼拝をいたしますので、ご了承ください。

①2階礼拝堂

壁面 壁掛け扇風機新規交換

壁面 球形ガラスライト 6機LED照明に交換設置

エレベータドア前に聖書書棚を設置、暖房器具

床はフロアタイルを敷設

②3階牧師室,礼拝席,和室改修

③共有部分(階段・階段前、階段窓十字架の電飾、防災灯)

2021.11.14 の週報掲載の説教

2021.11.14 の週報掲載の説教
<2020年6月14日の説教から>

ルカによる福音書6章43節~45節

『人の口は、心から出ることを語る』
牧師 三輪地塩

「イチジク」も「ブドウ」も当時は重要な食材だった。そのままでも、乾燥させて長期保存にも適している。さらに、この二つは「神の祝福の果物」と認識されていた。申命記8章8節で神は、「約束の地」とは「……山にも川が流れ、泉が湧き、[]小麦、大麦、ブドウ、イチジク[]が実る土地[]である」。と語る。つまり当時の人々にとってイチジクもブドウも、主の祝福を受けた食料であり、栄養的にも信仰的にも「善い物」であった。これらは「茨」からも「野ばら」からも生ぜしめることは出来ない。この文脈でイエスは「人の口は、心から溢れ出ることを語る」と語る。

ヤコブの手紙3章9節以下では「舌を制御する」ことについて「私達は舌で、父である主を讃美し、また、舌で神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から讃美と呪いが出てくるのです」と述べられる。同じ口から讃美と呪いの言葉が出てくる、だからこのような事があってはならない、とヤコブは戒める。そして同時に「これが人間の現実である」と言っているようでもある。およそ両立しない二つの言葉が、我々の口から出る。ある時は人を非難し攻撃し、またある時はその口で神を讃美し、自分を罪人であると告白する。ヤコブは同じ口から(同じ舌から)二つの異なる言葉が、躊躇することなく出てきてしまう現実を述べている。

ヨハネ福音書15章には「私はブドウの木、あなた方はその枝である。人が私に繋がっており、私もその人に繋がっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」という言葉があるが、これが良い示唆を与える。良い木に繋がっていると良い実を結ぶ。しかし同時に、我々の努力だけで行えるものではなく、「人が私に繋がっており」と同時に「私もその人に繋がっていれば」との条件節が続く。つまり主の方から我々に繋がって下さることを信じること、これが大事だと述べている。我々が一生懸命に繋がっていようとしても、「繋がり切れない我々」がいる。自らの力で救いを引き寄せようとしても、我々が救いを作ることは出来ない。むしろ、良いものは「神から」与えられるのであり、良い実も、良い言葉も、神から与えられることを信じること。そこにしか我々信仰者が本来的に生きる道はないのである。