2022.4.10 主日礼拝の案内

2022.4.10 主日礼拝の案内
週 報 77 巻 15 号  2022.4.10
イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。

(ヨハネによる福音書18章6節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
< 受 難 週 >
奏楽 板 垣 玲 子

 
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
*讃 詠  545A

 
聖 書
マルコによる福音書15章33節~41節  (新約P.96)
33  昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 
34  三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 
35  そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。 
36  ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 
37  しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 
38  すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 
39  百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 
40  また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。 
41  この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
 
日曜学校説教「わが神、わが神、なぜ」
              済 陽 高 志
*讃美歌 312(1-2)

 
<神の言葉>
聖 書

イザヤ書50章4節~7節 (旧約P. 1145)
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え
疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから
わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている
わたしが辱められることはない、と。
 
ヨハネによる福音書18章1節~14節(新約P.203)
こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。 
イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。 
それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。 
イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。 
彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。 
イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。 
7  ここで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。 
すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」 
それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。 
10  シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。 
11  イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
イエス、大祭司のもとに連行される
12  そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、 
13  まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。 
14  一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。
祈 り             三 浦 勇 二
*讃美歌 504(1-2)

 
説  教 「十字架への道」      鈴木 美津子
 
<神への応答>
*讃美歌  136(1−2)

*使徒信条

公 告

*献金感謝

*主の祈り

*頌 栄  544

*派遣と祝福

*後 奏

 
礼拝当番
(今週)伊木美穂子

(次週)野田昭子

 
献金当番
(今週)岩本道子 青木節子

(次週)松谷信司  安井英子

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2022.4.10~2022.4.16の集会案内

2022.4.10~2022.4.16の集会案内
     集 会
 
〇朝カフェ              休  会

〇入門の会            休  会

〇クワイア練習          中  止

〇コイノニア           中  止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)     礼 拝 後

〇4月定期小会           礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「新しい任地に赴く教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会      14日(木)10:00

ヨブ記2章(担当 鈴木 美津子)  司会 安 井 英 子

※対面とラインの両方で行います。

 
次 週 礼 拝
<イースター合同礼拝・聖餐式>
 
説教 「死の向こう側にある命の世界」 鈴木 美津子
イザヤ書55章8節~13節

ルカによる福音書24章1〜12節

 
讃美歌
545B、54(1-2)、154(1-2)、(21)575(1-2)、205(1-2)、 539

三 輪 志 都

2022.4.10 週報 教会からのお知らせ

2022.4.10 週報 教会からのお知らせ
【オンライン神学講座開講のお知らせ】
神学校では会員数の減少や高齢化が進む中で教会員一人一人が聖書に親しみ、神学を継続して学ぶことが重要と

考え全ての教会員を対象に基礎的な神学を学ぶ講座を開講

します。(受講の仕方など詳細は掲示版をご覧ください)

*カリキュラム

・旧約聖書5月2日~6月13日

・新約聖書6月20日~8月1日

・教理9月5日~1月16日

*受講料5000円(18回分)

 
◇【寄贈図書】

1 「カルヴァン小伝」

2 「日本キリスト教会大宮東伝道所60年の歩み」

2022.4.10 の週報掲載の説教

2022.4.10 の週報掲載の説教
 
「復活のキリストの光が輝く」           教師  鈴木 美津子

“起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で主の栄光があなたの上に輝く。”       (イザヤ書60章1-2節)

この言葉の中に「愛」という語は用いられていません。しかし、この言葉の中には、光と闇という表象を通して「愛」が、暗示されています。「光」が愛を意味しているということです。

では、闇は何を表しているのでしょう。この聖書の言葉が語られた背景を踏まえると、不安や混乱を意味していると思われます。この言葉が向けられた先には、これから何処へ向かうのか大きな不安を抱えた人々がいました。更に、そこには人々の悲しみや失望といった、より複雑な感情も入り混じっていました。

他方、光については二つのことが言及されています。第一は神様のことです。これは、世界が暗闇に覆われていると思える時であってもあなたは一人ではない、神様があなたと共にいる、どんなに孤独に思える時であってもあなたは、愛されるべき存在であるということです。

第二には「起きよ、光を放て」との呼びかけは、この預言の聴衆に対してです。これは、人に不可能なことを告げているわけではありません。いかに暗い道を歩んでいる時であっても、人は光となることができる、あなたたち自身が世の暗闇を照らす光であるということなのです。

わたしたちは、生きていく上で自分に何ができるのかと戸惑うことがあります。自分がこれから何処へ向かうのか、不安の中を歩むことがあります。誰かと対立の只中にいるときもあります。そのような暗闇の中でも輝きうるものが愛です。誰かを愛すること、自分が愛されている存在であることを探すこと、このことはどのような場合でも、わたしたちには可能なことであり、その可能性が失われることは決してないのです。

わたしたちは、キリストを信じる者として、この暗闇の世界にあって神様を信じ、祈る教会の姿を示すことができます。孤独な人、寄る辺のない人、病に悩む人などを慰め励ます者、共に喜ぶ者として、復活の希望の光を灯す者として歩むことができます。

今、世界の闇のなかに復活のキリストの光が輝いています。