2022.5.1 主日礼拝の案内
週 報 77 巻 18 号 2022.5.1
「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となった
パウロから、」 (ローマ1章1節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<聖 餐 式>
奏楽 板 垣 玲 子
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編142編1節~3節
*讃美歌 57(1-2)
<神の言葉>
聖 書 創世記12章1~4節 (旧約P.15)
1 主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。
地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。
アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
ローマの信徒への手紙1章1節~4節(新約P.273)
1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
祈 り
*讃美歌 320(1-2)
説 教 「神に選ばれ、召し出される」 鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 385(1-2)
*日本キリスト教会信仰の告白
聖餐式 Ⅱ179
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 541
*派遣と祝福
*後 奏
聖餐補佐 三浦、増田、森﨑、安井、松谷
礼拝当番
(今週)三浦勇二
(次週)薄田東正
献金当番
(今週)安井国雄 済陽高志
(次週)野田昭子 國見照子
ライブ配信当番
(今週)小出 勝
(次週)新畑 信
2022.5.2~2022.5.8の集会案内
本 日 の 集 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇教会員の誓約練習 礼 拝 後
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日曜学校のため」 5月5日こどもの日
「平和憲法を覚えて」 5月3日憲法記念日
〇牧師就職式 5月3日(火)13:30
〇聖書の学びと祈りの会 5月5日(木)10:00
ヨブ記5章(担当 鈴木 美津子) 司会 鈴 木 惠 子
※対面とラインの両方で行います。
次 週 礼 拝
説教 「主イエス・キリストの福音」 鈴木 美津子
エレミヤ書23章5~6節
ローマの信徒への手紙1章1節~7節
讃美歌 三 輪 志 都
545B、 454(1-2)、 213(1-2)、Ⅱ195 (1-2)、542
日曜学校礼拝説教 「全世界に出て行って」
マルコによる福音書16章14節~18節 加 藤 純 子
2022.5.1 週報 教会からのお知らせ
◇定期小会は5月10日(日)礼拝後に行います。
◇本日礼拝後、就職式で行う『教会員の誓約』の練習を
致します。短時間ですので、どうぞお残り下さい。
受付けの週報と一緒に誓約のコピーをお持ちください。
【岡山伝道所伝道師就職式】
5月3日(火) 14時~ 安彦晴樹伝道師就職式
◇牧師就職式 5月3日(火)13:30
司式 藤井和弘南浦和教会牧師
勧告 高松牧人鶴見教会牧師
*就職式終了後、引き続き2階会堂で感謝会を致します。
(コロナ禍ですので、飲食は致しません。)
感謝会司会:安井国雄 閉会祈祷:三浦勇二
*なるべく他の駐車場をご利用下さい。
2022.5.1 の週報掲載の説教
<2022年4月17日の説教から>
ルカによる福音書24章1-12節
『死の向こう側にある命の世界』
教師 鈴木美津子
主イエスが復活された日曜の朝の出来事は、四つの福音書に記されている。それぞれ描写の違いはあるが、一貫している事実がある。それは、弟子たちの誰もが、主イエスが生前語られていた復活の出来事を「忘れていた」ということである。ルカ福音書では、イースターの朝、主イエスに従っていた幾人かの婦人たちが主イエスの墓に向かっている。彼女たちは、主イエスの遺体を丁重に葬りたいと、香料と香油を準備していた。彼女たちは、主が復活するということを思い出すこともなく、この世の死者の葬りの習わしを行おうとしていたのである。
墓に到着した婦人たちは、墓を塞いでいた大きな石が取り除けられているのを見ても、主イエスの体のない空っぽの墓を見ても、かつて復活すると言われた主の言葉を思い出さなかった。そのような婦人たちに、御使いは、「生きている主イエスを死者の中に捜すのは無意味なことではないか、まだガリラヤにおられたころ、主イエスがお話になったことを思い出すように」、と語った。この世の常識では、人は必ず死に、その死で全てが終わると結論づける。だから、常識で、生きている主イエスを捜し出そうとしても無意味なのだ。では、別のところとは一体どこか。婦人たちは、御使いに促されて「(主イエス)の言葉を思い出し」(8節)た。主イエスが十字架で死なれ、三日後によみがえられると言われた言葉を思い出したのだ。
今のわたしたちは、聖書の御言葉によって、主イエスを探し出すことができる。しかし、婦人たちが御使いに促されなければ、主イエスの言葉をすっかり忘れていたように、わたしたちも御言葉を聞いても忘れてしまう者である。
では、どうすれば良いのか。主日の礼拝、また毎月および行事毎に主イエスを記念して行われる聖餐式に与かることである。「記念する」ということは、主イエス・キリストがわたしたちにしてくださったこと、要するに十字架の出来事を思い出すことである。
そして、いつ来るかはわからないが確かに来る主の再臨を待ち望むのである。主イエスの死と復活は、わたしたちの死が終わりではなく、その死の向こう側に、命の世界が、わたしたちの復活が確かにあると明示している。それは、御言葉を聞いただけの人ではなく、御言葉を信じた人に起こることである、と聖書は教えている。