2022.4.3 の週報掲載の説教

2022.4.3 の週報掲載の説教

<2020年9月6日の説教から>
ルカによる福音書8章40節~48節

『安心して行きなさい』         牧師 三輪地塩

 
イエスは、12年間も出血が止まらない病気を患った女性に遭遇した。この類の出血は、レビ記15章25節以下によれば、宗教的な汚れを持つと考えられており、出血のある女性と接触した人は誰でも汚れる、と考えられていた。レビ記15章が適用されて社会から排除されていたようで、これが婦人病であるならば、思春期かそれ以降にこの病を発症し、多感な時期からそれ以降を闘病してきたことになる。まさに彼女は心身共に痛みの人生を歩んできたのであった。

この女性は、12年も医者の治療を受けたが一向に治らないばかりか「全財産を使い果たした」と述べられている。このことは、12年間社会生活から排除され、深い恥に貶められ、孤独と絶望の中に生きてきたと言える。更に言うと、悪い医者たちに“ぼったくられた”可能性も捨てきれない。つまり、肉体的苦痛のみならず、精神的苦痛と、経済的貧困を同時に受けていたのであった。旧約聖書の続編に「シラの書」38章には、当時の医者がどれだけ尊敬されていたかが記されている。「医者をその仕事のゆえに敬え。主が医者を造られたのだから」「過ちを犯すな。手をけがすな。あらゆる罪から心を清めよ。~。その上で医者にも助けを求めよ。主が医者を作られたのだから」。この当時のユダヤ社会では、信仰と医療が密接に繋がっていたことが分かる。だがこの女性は、信頼していた全ての者たちから裏切られていたのであった。

しかしこのような時にこそ、主の力と恵みは勢いよく激しく降り注がれる。全ての力を使い果たしたとき、全てを失ったときにこそ、神の力が備わるのだ。人間が自らの限界を知り、自らを虚しうして神の御前に立つとき、我々は真実の救いに触れるのだ。この女性もまた同じであった。長い期間の絶望、孤独、疎外感を闘い抜き、肉体も精神も経済も「無一文」になったとき、主に出会ったのだった。

彼女は群衆の中に紛れ込んでいたが、イエスは彼女を人々の前、日の当たる場所に引き出した。もう隠れて生きる必要はないと。旧約律法において、人々の前に出ることが許されなかった彼女が、イエス・キリストという更新された律法の下で、その命を回復するのである。