2024.5.5 の週報掲載の説教

2024.5.5 の週報掲載の説教
<2024年3月10日説教から>

『神の子羊』
ヨハネによる福音書1章29-34節

牧 師 鈴木美津子

 
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て
言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。(29)」

洗礼者ヨハネは、自分が水で洗礼を授けて来た理由を、「この方がイスラエルに現れるために」と述べる。洗礼者ヨハネは、自分を遣わした神の「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」との御言葉を頼りとしながら、ヨルダン川において水で洗礼を授けてきた。洗礼者ヨハネにとって、水で洗礼を授けることは、聖霊によって洗礼を授けるお方、すなわちメシアを見出すための手段であった。ですから、洗礼者ヨハネが、霊が鳩のように天から降って、主イエスのうえにとどまるのを見たとき、本当にうれしかったのだ。ルカによる福音書の2章に、老人シメオンの話しが記されているが、そのシメオンと同じような喜びに洗礼者ヨハネは包まれたのである。それは、自分の使命を果たし終えた喜び、満足感を伴う喜びである。洗礼者ヨハネは、来るべき救い主が現れるために、水で洗礼を授け、その方を見出し、この方こそ聖霊で洗礼を授けるお方であると証しすることができたのである。聖霊、神の霊が与えられるということ。これは、旧約において預言されていた終末の救いの出来事である。そして、この聖霊を与えられることによってこそ、私たちの罪は取り除かれる。私たちの心に、神の霊、聖霊が溢れるほどに注がれてこそ、私たちは世の罪から解き放たれる。それゆえに、世の罪を取り除く神の小羊こそが、私たちに聖霊を注いでくださるお方なのである。そして、事実イエス・キリストは、十字架の死から三日目によみがえられたのち後に、弟子たちに聖霊を注いでくださった。そして、そのようなお方であるがゆえに、イエス・キリストは神の子なのである。

洗礼者ヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」、と救い主を指し示した。それゆえに、わたしたちもまた、救い主を指さし「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」、と呼びかけるのである。