HappyNEWyear! 2025.1.5 週報掲載の説教

2025.1.5 週報掲載の説教

<2024年12月1日説教から>

『夜は更け、救いの日は近づいた』

ローマの信徒への手紙13章8節〜14節

牧師 鈴木美津子

 
本日はアドベント第一主日、クリスマスを待ち望む時であるが、私たちには、もう一つの大切な待ち望む時がある。主イエスが再び私たちのところに来て下さる「再臨」の時である。

「更に、あなたがたは今がどのようなであるか知っています。(5a)」。この「時」と言う言葉には「カイロス」という、特定の定まった時を表す大切な意味がある。一度捕らえ損なうと、後から追いかけてももう決して捕まえることはできない、一度限りの、特別に定められた時間,言わば出会いの瞬間としての時間と言うことができる。クリスマスの時といえば、主イエスが誕生された時、この時は「初臨」とも言う。パウロがここで言っている「時」は「再臨」の時のことである。かつて主イエスは弟子たちが見ている前で天に昇って行かれた。そして再び来ると約束された。キリスト者の希望は、主イエスが再び来て下さる、ここに望みがある。

今は闇の時代で、先が全く見えない、希望も持てない。ウクライナで長く戦争が続き、パレスティナでも戦争状態にある。いつの時代もこの世には完全な平和はない。また気候変動も年々激しくなり、まさに困難な時代の中に今、私たちは生きている。
しかしそのような闇の時代であっても、神は私たちに生きる希望を与えられる。主イエスが再びこの地に来てくださる。私たちを天の御国に迎え入れて下さる。神は私たちに復活のいのち永遠のいのちを与え、心に生きる希望を与えて下さる。闇のような暗い心でなく、愛と希望に満ちた明るい心を私たちに与えて下さる。

そのためにパウロはローマのキリスト者に命じる。「主イエスを着なさい。」それは主イエスの性質を自分の身に付けることである。そのために、私たちは罪と汚れに満ちた古い衣を脱ぎ捨てなければならない。主イエスは、私たちの罪を赦すために十字架にかかり、罪の代価を支払われた。キリスト者が十字架を見ながら罪を犯すことができるだろうか。否、できないであろう。新しい衣を着て、キリストの愛に包まれ、キリストの愛そのものに生きること。パウロはガラテヤ書で「私はキリストとともに十字架に付けられた。もはや自分が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのである。(2:19,20)」と宣言している。
このアドベントの時を過ごすとき、主イエスの御降誕を覚えて祝う備えをし、再び主イエスが来られる日、「再臨」の時を望みを持って目を覚まして待つのである。