2026.6.14 主日礼拝の案内

2026.6.14 主日礼拝の案内

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

(ヨハネによる福音書20章31節)

 
週 報 82巻 24号 2026.6.14

 
主 日 礼 拝       午前 10:30

奏楽 板 垣 玲 子

 
<神の招き>

 
招 詞   イザヤ書43章1節
1 ヤコブよ、あなたを創造された主は
イスラエルよ、あなたを造られた主は
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
讃 詠  (21)83(1) 聖なるかな

 
1 聖なるかな、聖なるかな、
聖なるかな、主なる神。
主の栄光は 地に満てり。
聖なるかな、主なる神。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-083.htm
 
罪の告白と赦し 詩編32編6節~11節
6 あなたの慈しみに生きる人は皆
あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してありません。
7 あなたはわたしの隠れが。
苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって
わたしを囲んでくださる方。〔セラ
8 わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。
それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。
そのようなものをあなたに近づけるな。
10 神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
 
 
讃美歌   (21)211 あさかぜ静かにふきて

1 あさかぜしずかにふきて、
小鳥もめさむるとき、
きよけき朝より清く、、
うかぶは神のおもい。

2 ゆかしき神のおもいに
とけゆくわがこころは、
つゆけき朝のいぶきに
いきづく野べの花か。

3 かがやくとこしえの朝、
生命にめさむるとき、
この世のうれいは去りて、
あおぎみん 神のみかお。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-211.htm
 
<神の言葉>

 
聖 書

ハバクク書2章4節    (旧約P.1465)
4 見よ、高慢な者を。
彼の心は正しくありえない。
しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
ヨハネによる福音書20章30節~31節(新約P.210)

 
30 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 
31 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
 
祈 り               安 井 英 子

 
讃美歌  (21)463 わが行くみち

1 わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆしらねど、
主はみこころ なしたまわん。

そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん、 ひとすじに。

2 わが心よ、 強くあれ。

ひとはかわり 世はうつれど

主はみこころ なしたまわん。

そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん、 ひとすじに。

3 あらうみおも うちひらき、

すなはらにも マナをふらせ、

主はみこころ なしたまわん。

そなえたもう 主のみちを
ふみて行かん、 ひとすじに。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-463.htm
 
 
説  教  「この書が記された目的」鈴木 美津子

 
 
<神への応答>

 
讃美歌   (21)447 神のみこころは

 
1 神のみこころは つねにいと正しく、
信じるものらを み手もて助けたもう。
悩みより救う 深きあわれみ
われら心より 信じてより頼まん。

2 わが主は慰め わがいのちの望み、
出来事生み出す 真実のみことば。
われらの全てを み手におさめて、
髪のひとすじも 残さず数えたもう。

3 すべてを知りたも み神を恐れつつ
み顔をしたいて 安らぎを身に受けん。
終わりの時にも 迷わず委ねん。
罪も死も陰府も われに勝つことなし。

4 悩み、苦しみに 嘆くわれをとらえ、
おじまどう者を 慰めたもう主は
せつなる祈りを 拒むことなし。
聖き主のみ名を とわにたたえよ、

アーメン。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-447.htm
 
使徒信条

 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。

アーメン。

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
頌 栄  (21)29 天のみ民も

天のみ民も、地にあるものも、
父・子・聖霊なる神をたたえよ、
とこしえまでも。
アーメン。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-029.htm
 
派遣と祝福

 
後 奏

 
礼拝当番

(今週)菊地 晴子・三浦 勇二・星野 勇

(次週)松谷 信司・草野 恵・浜野 陽子

 
配信当番

(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2026.6.14 ~2026.6.20の集会案内

2026.6.14 ~2026.6.20の集会案内

 
      集 会

 
〇日曜学校                    9:15

 
〇コイノニア                   礼拝後

 
〇定期拡大小会                  礼拝後

 
〇執事会・定期小会                同上後

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題 「梅雨の時期の健康と安全のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会         6月18日(木)10:00

ゼカリヤ書5章(担当 鈴木美津子)   司会  白 川 典 子

 
【牧師予定】

〇6月15日(月) 浦和教職者会(浦和教会10:00~)

 
次  週  礼 

 
説教「主による再召命」             鈴木 美津子

詩編23編1節~3節

ヨハネによる福音書21章1節~14節

 
讃美歌21 28、208、518、513、24      石井 ひろみ

 
日曜学校説教「神に選ばれた民、イスラエル」   鈴木 美津子

申命記7章6節~8節

2026.6.14 週報掲載のお知らせ

2026.6.14 週報掲載のお知らせ

【ウェストミンスター小信仰問答】

 
問98  祈祷とは、何ですか。

 
答 祈祷とは、神の御意志に一致することのために1、キリストの

御名によって2、私たちの罪の告白3と神の憐れみへの感謝に

満ちたお礼を添えて4、神に私たちの願いをささげることです5。

1 Ⅰヨハネ5:14   2 ヨハネ16:23

3  詩32:5~6 ダニエル9:4   4 ピリピ4:6

5  詩62:8

 
628日(日)はオープンチャーチです。
主日礼拝説教と講演:金 山徳(栃木教会牧師)

講演の題:「日本の教会、アンビギュアス、そして私たち」13:00

友人・知人・ご家族・近隣の人々をお誘いください。

 
◇花壇の「花募金」をよろしくお願いいたします。(1階受付に募金箱設置)

2026.6.14 週報掲載の説教

<2026年3月15日説教>

『杯を受けるイエス様
ヨハネによる福音書18章1節~11節

鈴木美津子

 
ヨハネによる福音書18章は、17章で語られたイエス・キリストの祈りが、出来事として動き始める場面である。主イエスは弟子たちのために祈られたが、その祈りは言葉だけにとどまらず、ご自身の行動として現れていく。祈られたことを、主ご自身が身をもって引き受けて歩まれるのである。

主イエスは、捕らえられる危険が高いと知りながら、弟子たちと共に園に入られた。逃げることもできたが、あえてその場にとどまり、ご自身から前に進み出て名乗られる。捕らえられる場面でありながら、なお主として立っておられる姿が示されている。また、「この人々は去らせなさい」と語り、ご自身の身を差し出すことで弟子たちを守られた。これは、ヨハネ17章で語られた「一人も失わない」という祈りが、具体的な出来事として現れた姿である。

剣を抜いたペトロに対し、主イエスは「剣をさやに納めなさい」と語られた。主イエスの救いの歩みは、暴力によって切り開かれる道ではなく、ご自身が傷を引き受けることによって命を生かす道である。そして「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と語られ、十字架へと向かう歩みを、父なる神の御心として引き受けられる。

ここで旧約聖書ゼカリヤ書13章7節の「撃たれる羊飼い」の預言が重なる。羊飼いが撃たれ、羊が散らされる現実のただ中に、神の救いの御業は進められていく。弟子たちが恐れの中で散らされていく現実を知りながら、なお主イエスはこの杯を受けられた。この杯は、主イエスお一人の苦しみではなく、私たちの弱さと崩れやすさを引き受ける杯である。主イエスがこの杯を飲み切ってくださったゆえに、私たちは罪赦され、なお神のもとに保たれ、再び歩み出す者とされているのである。