2026.7.12 主日礼拝の案内

2026.7.12 主日礼拝の案内

これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。 わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

(ヨハネによる福音書21章24節)

週 報 82巻 28号      2026.7.12

主 日 礼 拝

午前 10:30    奏楽 石井 ひろみ

 
<神の招き>

 
招 詞   ローマの信徒への手紙12章1節

1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
 
讃 詠 (21)28  み栄あれや

み栄えあれや、父と子と聖霊に、
はじめも今も とわにかわらず、
み神に アーメン、アーメン。

伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-028.htm
 
罪の告白と赦し 詩編143編1節~6節
1【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしの祈りをお聞きください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。
あなたのまこと、恵みの御業によって
わたしに答えてください。
2 あなたの僕を裁きにかけないでください。
御前に正しいと認められる者は
命あるものの中にはいません。
3 敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に住まわせようとします。
4 わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます。
5 わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。
6 あなたに向かって両手を広げ
渇いた大地のようなわたしの魂を
あなたに向けます。
 
讃美歌 (21)169(1,2,3) ハレルヤ。主をほめたたえ

 
1 ハレルヤ。主をほめたたえ,高らかに歌え。
わが心よ,ひたすらに 主の御名たたえよ。
命あるかぎり われは 主をあがめん。
ハレルヤ,ハレルヤ。

2 世の権力と誉れとに より頼む なかれ。
人の子らは 誇るとも すべては 去り行く。
ただ主こそ救い。ただ主を求めよ。
ハレルヤ,ハレルヤ

3 幸なるかな,たじろがず 主に頼るものは。
ヤコブの神,ひたすらに 待ち望む者は。
あめつち造りし 力のみ神を。
ハレルヤ,ハレルヤ

 
伴奏リンク;  https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-169.htm
 
<神の言葉>

 
聖 書  コヘレトの言葉12章13節~14節 (旧約P.1048)
13 すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
14 神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。
 
ヨハネによる福音書21章24節~25節(新約P.212)
24 これらのことについて証しをし、それを書いたのは、
この弟子である。わたしたちは、
彼の証しが真実であることを知っている。
25 イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。
わたしは思う。その一つ一つを書くならば、
世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
祈 り              菊 地 晴 子





 
讃美歌 (21)504  主よ、み手もて

 
1 主よ、み手もて ひかせたまえ、
ただわが主の 道をあゆまん。
いかに暗く けわしくとも、
みむねならば われいとわじ。

2 ちからたのみ 知恵にたよる
われと道を えらびとらじ。
ゆくてはただ 主のみ旨に
ゆだねまつり 正しくゆかん。

3 主よ、飲むべき わがさかずき、

えらびとりて さずけたまえ。

よろこびをも かなしみをも、

みたしたもう そのままうけん。

4 この世を主に ささげまつり、

かみのくにと なすためには、

せめもはじも 死もほろびも、

何かはあらん、 主にまかせて。

 
 
 
説  教  「証しする者として生きる」 鈴木 美津子

 
<神への応答>

 
讃美歌  (21)394  信仰うけつぎ

1 信仰うけつぎ、試練に耐えて、
今、わが心に 喜びあふれる。

(くりかえし)
信仰うけつぎ、今日も進み行こう。

2 信じて祈れば 世界は主に帰し、
真理はわれらに 自由を与える。

3 敵を愛された 主イェスに従い、
愛のはたらきで 主を宣べ伝えよう。

 
伴奏リンク; https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-394.htm
 
使徒信条

 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
献金感謝

 
主の祈り
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
 
頌 栄 (21)27  父・子・御霊の

父・子・聖霊のひとりの主よ、
栄えと力はただ主にあれ、
とこしえまで。
アーメン。

 
 
派遣と祝福

 
後 奏

 
 

2026.7.12~2026.7.18の集会案内

2026.7.12~2026.7.18の集会案内

 
      集 会

 
〇日曜学校              9:15

 
〇コイノニア             礼拝後

 
〇讃美歌を歌う会(自由参加)     礼拝後

 
今 週 の 集 会

 

◎祈祷題 「充実した礼拝生活のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会

夏の暑さを考慮して、79()910()まで休会です。
 主日礼拝に集中しましょう。
 
【牧師予定】

特になし

 
次  週  礼 

 
説教「良い業を始められた神」         鈴木 美津子

イザヤ書43章1節~7節

フィリピの信徒への手紙1章1節~6節

 
讃美歌

(21)83(1)、152(1,2,4)、462、575、29  板 垣 玲 子

 
日曜学校説教「重い病気の人の罪をゆるされた主イエス」

マルコによる福音書2章1節~12節     森 﨑 千 恵

2026.7.12 浦和教会からのお知らせ

2026.7.12 浦和教会からのお知らせ

 
【ウエストミンスター小教理問答】

 
問101  第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。

 
答 (「ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の

祈願1で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用い

られるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の

栄光をあらわす力を授けてくださるように2、また、神が万事

を御自分の栄光のために配剤してくださるように3、ということです。

1 マタイ6:9  2 詩67:2~3  3 詩83編

 
【夏季献金のお願い】

各週報ボックスに献金袋を配布いたしました。8月末までですの

で、どうぞよろしくお願いいたします。

 
◇次週7月19日(日)礼拝後、有志の方で花壇の草取りをします。

ご協力お願いします。作業は30分位の予定です。

2026.7.12 週報掲載の説教

2026.7.12 週報掲載の説教

【2026年5月3日の説教から】

『十字架へ向かう王』

ヨハネによる福音書19章1節〜16節

鈴木美津子

 
本日の箇所において、総督ピラトは鞭打たれ、茨の冠をかぶせられた主イエスを指して「見よ、この男だ」と言う。この主イエスの姿は、力を失い辱められた一人の人にしか見えない。しかしヨハネ福音書は、この場面を単なる敗北としてではなく、このお方が誰であるかが現される場面として描いている。王のしるしである冠と衣は嘲りのために用いられているが、その逆説の中で、このお方こそ真の王であることが示されている。王の栄光は、力による支配ではなく、父なる神への従順とへりくだりの中に現れるのである。

人々はこの王を受け入れず、「十字架につけろ」と叫び、「わたしたちには皇帝のほかに王はありません」と言って、神の王を退け別の支配を選び取る。本来神を王と告白してきた民が、自らその告白を否定しているのである。ここに、人が見える力や分かりやすい拠りどころに寄りかかり、神を退けてしまう現実がある。そのような選びの中で、バラバが釈放され、主イエスが引き渡される。罪ある者が放たれ、罪のないお方が十字架へと進む。この出来事は単なる入れ替わりではなく、本来その場に立つべきであった者の位置に、このお方が立たれるという出来事である。イザヤ書が語る「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのため」という言葉がここに実現している。

この十字架は偶然ではなく、御子が自らを差し出された歩みである。したがってこれは敗北ではなく、民のために自らを与える真の王の道である。

私たちは今、十字架と復活の間に立たされている。その場としての礼拝において、自らの現実と赦しの恵みを知らされる。そして聖餐において、この贖いにあずかる。十字架によって赦され、復活の命に生かされる者として、この一週もそれぞれの場へ遣わされていく。