2019.12.22~12.28今週の集会

      集 会 
 
○日曜学校(ページェント練習)        9:00

〇朝カフェ(担当 松谷信司)         9:30

〇クワイア練習                 9:45

○写真撮影・祝会               礼 拝 後

<本日、クリスマス合同礼拝・祝会>
★礼拝後、写真撮影を行います。

★12:30~14:30 クリスマス祝会・新入会員歓迎会

昼食は1階でお受け取り下さい。(会費¥500)

★こどもたちの降誕劇、クワイアによる讃美、

各団体の出し物、サンタクロースも登場。

 
<12月24日イブ礼拝の予定>
★17:00 クリスマス・イブ礼拝       ( 礼拝堂 )

★17:30~18:30 クリスマスコンサート  ( 礼拝堂 )

ハンドベルクワイヤ 明治学院中学校

今 週 の 集 会
◎祈祷題  「礼拝に出席できない会員のために」

〇大掃除   26日(木)10:00~12:00

有志により、会堂の大掃除をいたします(特に1階)。

ご都合のつく方はどうぞ宜しくお願いします。

*26日(木)の「聖書の学びと祈りの会」は、午前・午後とも休会です。

2019.12.15 の礼拝案内

週 報 74502019.12.15
この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカによる福音書1章78-79節)

主 日 礼 拝  午前 10:30
 <アドベントⅢ>
奏楽  板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞 イザヤ書7章14節

*讃 詠  (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編4編1節~6節

*讃美歌 (21)231

<神の言葉>
聖 書 ヨエル書3章1節~5節  (旧約P.1425)

ルカによる福音書1章57節~80節        (新約P.101)

祈 り              安 井 国 雄                                       *讃美歌 (21)248

説  教  「ザカリアの預言」    三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  (21)252

*使徒信条

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

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礼拝当番 (今週) 伊木、小出勝、佐藤真、志賀

(次週) 増田、薄田、鈴木、安井英

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掃除当番 (今週) 済陽、森﨑、國久、新畑

鈴木、小出勝、武政み

(次週) 深沢、阿部、岡野、松沢

小出和、室橋、田﨑

☆礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.12.15 週報掲載のお知らせ

次 週 礼 拝

<アドベントⅣ・クリスマス>

説教 「神には栄光、地に平和」        三 輪 地 塩

イザヤ書11章1節~5節

ルカによる福音書2章1節~21節

讃美歌(21)83、256(1-3)、258、259、268、46  三 輪 志 都

2019.12.15~12.21今週の集会

      集 会

〇日曜学校                 9:00

〇「教会員の生活」による学びの会      9:30

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)        9:45

〇クワイア練習          9:30・礼 拝 後

 
今 週 の 集 会

◎祈祷題「クリスマス合同礼拝・クリスマス集会のため」

〇聖書の学びと祈りの会      19日(木)10:00

歴代誌下16章(担当 三輪地塩) 司会 安 井 英 子

〇聖書の学びと祈りの会      19日(木)14:00

詩編136編            担当 大 和 文 彦

〇トレインキッズクリスマス 21日(土)11:00〜14:30

【牧師予定】

〇神学の夕べ(青山学院大学)16日(月)

〇聖学院大学講義         18日(水)

2019.12.15 週報掲載の説教

<2019年4月7日説教から>

イエスの裁判

マルコによる福音書14章53節~65節

牧師 三輪地塩

 
イエスの活動は、律法学者たちの反感を買った。イエスが神の律法に違反しいるように、律法学者たちの目に映ったからである。しかしイエスは彼らの間違いを臆することなく追求した。

主イエスは、彼らとことなり、律法を文字どおりにではなく、律法の「文字」にではなく、「守るべき内容の意味」を大切にしようとされた。イエスは、神から与えられた律法の意味は「愛すること」であると再解釈したのであった。「神を愛し、隣人を愛する」ことこそが「最も重要な掟である」とイエスは述べた。

また、当時は罪人と見做されていた病人や障がい者たちを次々に癒やした。困っているからでも、不自由そうだからでもない。それは救いの副産物であり、最も重要なのは、魂の救い、永遠の命をうけること、にあった。「この人をもう誰も罪に問うことのないように」と語り、体の癒やしはその証拠となって表出した現象であった。

律法によって「罪人」と見做された者たち、社会の中で疎外されている者たちを、共に同じ食卓に呼び寄せ、主にある交わりに加えた。人間は特定の人だけが罪深い者であるのではなく、格差も価値の差もなく、皆が罪深く、皆が救いに値することを示す行為であった。しかしこのような行動は、律法学者には受入れがたく、そこに「殺意」が芽生えたのであった。

過越祭になり、イエスがエルサレムに入城した時、神殿を訪れたイエスは、境内で不当な商売がなされている様子と、それを許可している祭司・律法学者たちの姿を見て、「ここは強盗の巣だ。あなたがたが祈りの家を強盗の巣にしてしまった」と非難し、商売人たちの台をひっくり返した。これこそが、祭司長たちの目に「神殿への暴挙」「神に対する冒涜」と映り、十字架刑への道を決定的とした。表面的な「律法の遵守」を求めた律法学者に対し、その内実(つまり神の愛の豊かさ)を求めたイエスは、「文字を」遵守する者たちに十字架にかけられた。それは、「神の言」(ヨハネ福音書1章)が、「文字信奉者」によって極刑に処されることであった。だが我々は、神の「文字」ではなく「神の言」が真実であり、その言葉が、「愛の言葉」であることを知っている。クリスマスを迎える我々は、この「神の言」が来られたことの意味と、神の救いの内実に思いを寄せたい。