2018.06.10~16 今週の集会

今 週 の 集 会
 
祈祷題 「講演会並びに全員協議会のため」(617日)
浦和教職者会           11日()10:00
共同作業所ホサナショップ礼拝(練馬区)13日()10:30
聖書の学びと祈りの会       14日()10:00         
  列王記下20章(担当 三輪地塩)  司会  鈴木 美津子
慰安婦」問題「にゅうす」発送      同 上 後
聖書の学びと祈りの会       14日()14:00
  使徒言行録12章          担当 安 井 国 雄 
中会靖国委員会(横浜海岸教会)  15日()13:00

その他・集会案内

20回青年の集い】
日時:617日(日)14:00~ 柏木教会
 集い終了後、「青年の集い準備会」を行います。
 
 
610日(日)避難訓練の役割分担
 総指揮・開始号令:三輪地塩
 安全防御:松谷信二、松沢信宏(排煙扉開閉)
 避難誘導:薄田東正、済陽高志、入江美穂、加藤純子、深沢浩延
 避難介助:青木節子 菊地晴子、安井英子、小出勝、吉田耕三、國見千秋
 道案内:福永真理  進行確認:増田裕子(時間測定、記録)
 救護:松本京子、入江有妙 入江嘉仁   森千恵:会堂残存者確認
体調の悪いため不参加の方、参加せず帰る方は会堂後方の書記まで。    

2018.01.14の説教から

114日礼拝説教から》
         『彼らのかたくなな心を悲しみながら』
          マルコによる福音書31節~6
                                牧師 三輪地塩
 
 蓮見和夫著『マルコによる福音書』には次のような話がある。
「オランダでの出来事。ある日曜日に大きな高潮があり、今にも堤防が決壊しそうな状態であった。オランダの国土の多くは海よりも低いところにあるため、堤防の決壊は、大惨事に繋がってしまう。オランダの警察はキリスト教会に対し、教会の信徒たちを動員し、決壊を防ぐための工事を手伝って欲しいと要請した。だが、この緊急要請に対し、ある保守的で戒律的な教会は、その要請を断ったという。その理由は「安息日の掟を破るわけにはいかないから」だったという。彼らは、「我々が礼拝を守るなら、神は奇跡をもって助けてくださるでしょう」と主張した。しかしその間も、堤防決壊の危機は増していった。そこにある信徒がマルコ3章「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」との言葉を引き合いに出し、教会員は皆説得されて工事に加わった」
このような話である。おそらく相当に脚色されているか、或いはフィクションかもしれないが、しかし戒律や規則と、実質との事柄を考える大変興味深い話しです。「保守的で戒律的な教派」と言われているのは、おそらくオランダ改革派教会のことであろう。この話は極端な描き方であるが、これに近い事は実際に起こり得る。我々日本キリスト教会にも、教会法(教会の憲法・規則)に固執するがあまり、似た事例がある。又、教会だけでなく行政の画一的なやり方でも似たことが起こる。
日常生活においては、堤防が頻繁に決壊するという事はないが、苦しんでいる人に無関心になる事は起こりがちであろう。「命を救うのと、殺すのと、どちらがよいか」というイエスの言葉は、我々の身の周りでいつもなされるべき問いである。この主イエスの問いかけに、我々がどのように答えるべきかは、一人ひとりに委ねられた課題である。信仰に「マニュアル」はない。その時、その場所で、主が与えられる「問いかけ」に、如何に耳を傾けるのか。そこに掛かっている。

2018.06.03~09 今週の集会

  今 週 の 集 会
 
祈祷題 「避難訓練のため」610
慰安婦」問題と取り組む会(荻窪北教会)
                    4日()12:00
大会歴史編纂委員会(調査・委員会)(柏木教会)
                  4日()12:00
聖書の学びと祈りの会       7日()10:00         
  列王記下19章(担当 三輪地塩)  司会  志 賀 洋 子
「生と死」の学び(『泉への招待』P.130~P.139) 同上後
                                             担当 増
聖書の学びと祈りの会       7日()14:00
  ミカ書5章            担当 岡 野 庸 子        

2018.05.27~06.02 今週の集会

 
今 週 の 集 会
 
祈祷題「高齢者の教会生活が守られるため」
            (礼拝、祈祷会への出席)
北関東牧師会(南浦和教会)      29日()11:0014:00
聖書の学びと祈りの会      31日()10:00         

  列王記下18章(担当 三輪地塩)  司会佐 藤 允 子

聖書の学びと祈りの会      31日()14:00
  ヤコブの手紙1章9節~18節    担当 大月 美智子
           

埼玉YMCA早朝祈祷会      1日()  7:00

2018.01.07 (新年礼拝)説教から

201817日(新年礼拝)説教から》
                『与えられる神』
             マルコによる福音書22328
                                 牧師 三輪地塩
 「安息日を覚えてこれを聖とせよ」という十戒(第四戒)の言葉は現代人に多くのことを伝える。出エジプト記2312節に「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やロバが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」とあるように、安息日とは、人間が生き、仕事をするための重要な休息の時間である。興味深いのは、イスラエル人だけでなく、奴隷や家畜たちを休ませよ、と言われていることにある。
当時は奴隷制社会であった。奴隷は、自分の命を主人に預けているので、生きるのも死ぬのも主人の胸三寸であった。今でいう「基本的人権の尊重」「生存権」はなかった。奴隷が死ぬと、また新しい奴隷が補填された。
 これは現代の労働環境問題にも通じる話である。ブラック企業などと言われる法定基準を無視した労働環境を従業員に強いる会社が増えている昨今。使役動物のように働き、会社の歯車として一生懸命に尽くしても、必要がなくなると新しい人が補填される。当時の奴隷の状況に似ている。だが視点を変えると、ブラック企業を作っているのは、我々消費者であるとも言える。「お客様は神様」などという決まり文句が1970年代に始まり、我々消費者は過剰なサービスを求め、客を神のように扱う事を当たり前とする風潮が出来上がってしまった。日本社会は歪な消費者至上主義社会であると言える。
 旧約聖書は、その最初(モーセ五書)から人間の尊厳のみならず、神の造り給う「すべての命」の尊厳が守られることを宣言している。
 神の御言葉(律法・十戒)は、すべての命が尊重され、神の被造物として生きる権利と「責任」を指摘する。或いは、神の愛された被造物として生き「させる」責任を指摘している、と言った方が正しいかもしれない。現代社会に広がる労働の環境は、私たちの罪が重ねられた結果であることを見つめ直し、共に社会を生きる隣人を愛し、尊厳を守り、我々は社会活動・消費活動を行うのである。