キリストにある人は、常に新しい

2010.1.3  Ⅱコリント 5:16-21  牧師 中家 誠

 新たな一年を迎えるに当り、み言葉の光に導かれつつ歩み行く者でありたい。

 そこで、「キリストにある人は、なぜに常に新しい」のであろうか。それは、人間は常に古び衰えるのだが、神は無限の方であり、常に新しいからである。イエス・キリストの背後には、この神がおられる。「キリストにある」とは、このキリストと結ばれて生きることである。

 それはあたかも、母の中に宿る胎児のごとく、へその緒を通じて、常に新鮮で栄養のある血液が送られてくる。キリストと結ばれる時、わたしたちは神の霊をいただくことができるのである。それは「真理の霊」、また「助け主」であって、わたしたちに必要な神の助け、また神の思いを、日々新たに送ってくださるのである。

 この神の霊、キリストの霊はまた、神からの「和解の霊」でもあって、これを受ける人は神と和解し(神を愛し、神から愛されて)、更に人々とも和解することができる。なぜなら、キリストはすべての者の「和解の源」となるために、十字架につかれたのである。