マタイによる福音書8章28節-34節 『悪霊を追い払う主イエス』

 マタイによる福音書8章28節-34節 『悪霊を追い払う主イエス』
                  (日本キリスト教会浦和教会 主日礼拝説教 2012年8月19日)

 先日の夜中、「エクソシスト」という映画が放映されており、懐かしい思いを持って興味深く観てしまいました。これはカトリックの神父が悪霊払いをするというストーリーで、わたしとしては30年以上も前に幼少時以来でしたから、昔は怖くて画面を直視出来なかったな、という懐かしさと共に観たわけであります。1973年に公開されたエクソシストは、ホラー映画としては珍しくアカデミー賞の2部門を受賞しておりまして、当時のその反響の大きさが分かります。

 ある町に住んでいる少女が、突然原因不明の病にうなされます。母親は医者たちに色々な検査をしてもらい、原因を究明しようとしますが全く分かりません。その後、どんどんと奇怪な言動が続き、ある時には娘が寝ていたベッドごとガタガタと揺れているのを見た母親は、これは病気ではない、という事に気付きます。医者はカトリックの神父である、デミアン・カラスという司祭を紹介し、そこから悪霊を追い出す、つまり「エクソシスム」が始まり、壮絶な戦いが続いて行く、という事になるわけです。
 結局最後は、娘に憑りついた悪霊が、カラス神父に乗り移り、それと同時にカラス神父が高い石畳の階段を転げ落ちてしまい、悪霊も、神父も、両方一緒に絶命するという幕切れでありました。ああそんな終わり方だったかと、何となくしっくりといかない思いを抱きながら、調べてみますと、やはり世界各国、特にカトリック国では、この終わり方は、悪霊が勝利を収めたという印象を抱かせてしまう、という理由で、当時上映禁止になったのだそうです。正確には相打ちというか、刺し違ったという事ですから、それだけエクソシスムは壮絶な行為なのだ、という事なのでありましょうが、カトリック側としてはなかなか認める訳にもいかないのでしょう。

 このような悪霊払いでありますが、映画や小説での話ではなく、現代の特にロシア正教ではこの行為は生き続けているという事です。有名なのは、19世紀のドイツメットリンゲン村のルター派の牧師をしていたクリストフ・ブルームハルトという人の悪霊払いは有名でありまして、このブルームハルトは、カール・バルトやブルトマンという著名な神学者にも影響を与えた事で知られています。

 このように、エクソシストにせよ、ブルームハルトにせよ、色々と世に出回っている出来事や証言の数々があるとは言え、いずれにしても、悪霊払いという行為が、私たち現代人にとってはそうそう身近なものではなく、むしろオカルト的な出来事として捉えられている事は間違いありません。
 その為、この箇所のイエスの行為は、馴染み深い話というよりは、むしろ私たちを困惑させる話であるのです。この2人の男たちとはどのような状況なのか。何故ここに豚が出てくるのか。そしてなぜ豚の群れが湖になだれ込んで落ちるはめになるのか。ここから聖書は、私たちに何のメッセージを伝えようとしているのか。などなどであります。

 ですから、現代的な解釈や、又、注解書などを紐解きますと、この2人は解離性の人格障害であるとか、統合失調症であるとか、何らかの精神疾患の分類の中に彼らの症状を当てはめて理解しようと致します。当時悪霊と呼ばれていたものの多くは、確かに精神疾患であろうと考えられていますので、間違った解釈ではないと思います。むしろ病理的な観点から言うと、正しい理解であるのかもしれません。
 しかし私たちが聖書を読むのは、それを科学の分野から説き明かす事ではなく、聖書がこのように自らを読めとする聖書の要求を汲み取って読む事であります。つまりここに出てくる悪霊に憑りつかれた人たちも、豚の群れも、町の人たちも、聖書の語ろうとする内容に沿って読む事によって、その意味が浮き彫りにされてくるのです。
 
 まずこの悪霊に憑りつかれた2人について考えてみましょう。この2人は、人に危害を加える町中の厄介者であると同様に、彼ら自身も又悪霊もしくは病気の被害者である、という事が言えると思います。彼らは墓場に住んでいました。現代の我々でも墓場に住むという事が尋常な住処ではない事ぐらいは分かります。墓は町の賑わいから遠く離れた場所に作られておりまして、人里離れたひっそりとした場所に、彼らがいた事が分かります。彼らは何故このような場所に住むことになったのでましょうか。それは「そこにしか住めなかった」、というのが正しい言い方であるかも知れません。つまり彼らは悪霊に憑りつかれていたがために、厄介者であり、人との交わりを遮断され、孤立し、人を人として愛する事の出来なくなった状態にありました。彼らは自らのうちに籠っていました。それは振る舞いにしても、住む場所にしても、孤立を選び、孤立せざるを得なかったのです。彼らに近づく者はいませんでした。彼らは非常に凶暴で、人が近寄れないほどであったからです。

 ここで主イエスが彼らの場所にやって来ます。誰も近寄れない彼らの下に主イエスは出向いて来たのです。そして悪霊たちはイエスに対し「あの豚のところに追い出してくれ」と唐突に願い出たのです。そして悪霊たちは豚の群れの中に追い出され、豚は驚きのあまり、湖になだれ込んで死んでしまうのであります。大変に奇妙であり、それ故に印象的な場面であります。
 しかし彼らはなぜ豚の中に入れてほしいと願い出たのでしょうか。そもそも豚には何の意味があるのでしょうか。この物語を難しくさせているのは、この「豚の群れ」、という奇妙な対象が現れているからです。これを解く鍵は、この物語の最後で町の人たちがイエスに会おうとしてやってきた事に示されています。 (②に続く)