『5つのパンと2匹の魚を持つ少年』 ヨハネによる福音書6章1節~15節

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          『5つのパンと2匹の魚を持つ少年
           ヨハネによる福音書61節~15
                                  牧師 三輪地塩
  あるミッション系の大学の教員が、朝礼拝の奨励の中で次のような話をしている。
1デナリオンは当時の1日分の労働賃金だと言われます。もしパンではなく1日分のアルバイト代を持っていたとしたらどんな風に話が続くのか考えてみました。弟子は言います。「ここに1日分のアルバイト代を持っている人がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう。」そこでイエスは言われた。「日本では普通、1食分の食費がいくらかかるか知っていますか。」弟子は答えた。「約400円です。」「では、アフリカのチャド共和国では1食分の食費はいくらですか。」「1円です。」「1日分のアルバイト代で何食分用意できますか。」「1日分のアルバイト代は8000円です。8000食分用意できます。」「そしたら、その8000円をチャドに送ってパンに換えなさい。そうすれば、5000人、それ以上の人がお腹いっぱいになるでしょう」。
 これは大変示唆に富んだ面白い読み方であろう。最貧国はアフリカのみならず、アジア・中央・南アメリカにいくつも存在する。日本は円安が続いているとはいえ、海外の貨幣に比べると今でも強力な貨幣価値を持っている。
 この教員は最後にこう語る。「私たち日本人は、聖書にあるような奇跡を起こすことも可能かもしれません。例えばアジアやアフリカの医療支援を行っている海外医療協力会などの団体に支援をするとか、使用済みの切手を送るとか、何でも出来るのです。私たちとしては、「こんなものが何になるか」と思われるような、捨ててしまいそうになるほどの小さなものが、大勢の人たちの幸せのために変化する、ということも起こります。」
 極端な解釈かもしれないが、「こんな小さなものが何の足しになるのか」というようなものを「差し出す」というこの少年の行いが5000人の命を繋ぎとめたという奇跡を現代的な祈りのもとで考える良い話である。
 一人の小さな者が「捧げる」ことによって大勢の人が救われるという奇跡。そこに十字架が立つのである。