2018.09.30の説教から

<先週の説教から>
               ヨシュア記146節~15
                       神学生 鈴木美津子
 
 カレブは「今日わたしは八十五歳ですが、今なお健やかです。モーセの使い
をしたあのころも今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。どうか主があの時約束してくださったこの山地をわたしにください。」(10-12)と、ヨシュアに向かって実に大胆に、土地の分配を求めました。
 カレブはかつてモーセの時代に、神の約束の地カナンを偵察した12人の斥候の1人でした。(民数記12-13)
 当時、カレブは40歳でした。彼は神の約束の地カナンは「乳と蜜の流れる地」であったと、見たままを報告しました。しかし彼と共に行った斥候たちは困難さだけに目を奪われて、悪い報告をして「民の心をくじいた」と、カレブは語ります。しかし「私は私の神、主に従い通しました」と、カレブは自身を語ります。ここで大切なことは、彼がどのように従い通したかです。約束の地カナンで目にした光景は、カレブもヨシュアも、他の10人の斥候も同じだったはずでした。しかし、「信仰の目」には、同じには映らなかったのです。カレブには確信がありました。彼の目は神がこれまでイスラエルにしてくださった善き業を思い起こし、だからこそ叶えられる神の約束してくださる将来が確実に映ったのです。神がイスラエルに約束された地なのだから、既に自分たちに与えられているのだ、という強い確信です。神への信頼はカレブのように「ただ信じる」という驚くほど、単純で純粋無垢な信仰なのです。
 このことは、現在の私たちも同じです。「主イエスを信じます」という信仰によって、既に私たちには、神の約束の国、天の国籍が与えられているのです。
 神はモーセを通して「あなたがわたしの神、主に従い通したから、あなたが足を踏み入れた土地は永久にあなたと、あなたの子孫の嗣業の土地になる」(9)と、カレブに約束と誠実を表されました。それによって、それからの45年、彼は守られ、忍耐し、この日に至りました。私たちも確実にその日がきます。主を待ち望み、主の約束を信じ、主に従い通して、主の前に「わたしにください」と言うのです