2018.04.28の説教から

 
                 429日の礼拝説教から>                      
               『湖の上を歩く』
         マルコによる福音書645節~56節 
 
 湖の上を歩く姿を見た弟子たちは、「幽霊だ!」と叫び恐れた。
英訳聖書(RSV)では「Ghost」と訳している。
 ギリシャ語の原文では「幽霊・妖怪・亡霊」などを意味する
「ファンタスマ」という語が使われている。その他「現れ」「現象」
という意味も持つ。この箇所で、弟子たちが「ファンタスマ」だと
思って見たものは、彼らの心の中にある「妄想」「恐怖」の現れ、現象
である。弟子たちが怯えたのは、古代オリエント世界に広がる、伝説や
神話のようなものであったと思われる。
「レビヤタン」「ティアマト」などもその一つである。 
 ここで弟子たちが見た「ファンタスマ」は、人間の理解を超えた恐怖、
自分の想像を絶する何らかの力に対する恐怖を示してる。
同時に、その姿の正体が主イエスであったという事実は、我々信仰者に、
イエス・キリストこそが救いの神である、と言っているのである。
 この箇所は5000人のパンの出来事の後に記されている。これは明らか
に、出エジプト記の「マナの奇跡」を想起させる。大勢の空腹を満たす
のは、真の神以外にはおられないという信仰告白である。更に、
「荒れ狂う波の真ん中を進んで来るイエスの姿」は、出エジプト後に葦
の海を割ってその真ん中を通った「モーセの海割りの出来事」を想起さ
せようとしている。
 この時弟子たちに対するイエスの言葉は「安心しなさい。わたしだ。
恐れることはない」であったが、「わたしだ」と言うのは「エゴー・
エイミ」[]I am[]である。これは出エジプト3章で、モーセに
対して神が顕現された時の宣言の言葉「私はあってあるもの」「私はあ
る、わたしはあるという者だ」と類似する。つまり、弟子たちにご自分
を「エゴー・エイミ」と言い表した主イエスこそが、自然のすべてを収
め給う真の神。そして、世にうごめき、世にはびこる、すべての恐怖を
乗り越えさせ給う真の神」と宣言されているのである。その主イエスが、
yle="font-family:serif;">我々に「恐れることはない」と声を掛けている。