2019.8.11の礼拝予定

主 日 礼 拝  午前 10:30

<平和記念礼拝・こどもとおとなの合同礼拝>  奏楽  三 輪 志 都

<神の招き>

招 詞  ローマの信徒への手紙12章17節~18節

*讃 詠  545A

*罪の告白と赦し 交読詩編145編1節~2節

*讃美歌  58

<神の言葉>

聖 書  詩編4編2節~9節     (旧約P.836)

コロサイの信徒への手紙3章12節~17節(新約P.371)

祈 り              森 﨑 千 恵

*讃美歌  529

説  教 「平和のうちに」      三 輪 地 塩

<神への応答>

*讃美歌  531

*使徒信条

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  540

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)松谷、新畑、武政み、武政明

(次週)三浦、島口、中山、浜田

掃除当番(今週)菊地晴、松本、浜田、佐藤真

加藤ヨ、板垣、草野

(次週)薄田、青木、志賀、越智

藤沢、加藤純

*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.8.11のお知らせ

次 週 礼 拝

説教「妻と夫」          三 輪 地 塩
イザヤ書3章16節~24節

ペトロの手紙一3章1節~7節

讃美歌 545B、61(1-3)、428、537、541 岩 本 道 子
日曜学校説教「主イエスが傍らで共に歩んでおられる」

ルカによる福音書24章13節~27節    三  輪  地  塩

◇本日、年3回行っている「あしなが育英基金」への
                   募金を行います。ご協力お願いいたします。
◇ 本日、平和記念礼拝後の予定

かき氷大会は礼拝後直ぐに1階で行います。

おとなのみ¥100です。

1330「平和記念コンサート」
出演:コ-ロ・アンジェルス  入場無料
*ご家族・友人・知人をお誘いのうえ、どちらもご自由にご参加ください。

*昼食は各自でお済ませ下さい。

2019.8.11~8.16 今週の集会

      集 会

 
〇朝カフェ(担当 松谷信司)     9:30

○入会準備会            9:00

〇入門の会(担当 三浦勇二)     9:45

〇クワイア練習           礼 拝 後

〇コイノニア(かき氷大会 おとなのみ¥100) 礼 拝 後

〇「平和記念コンサート」     13:30

〇テモテ交わりの会                同 上後

今 週 の 集 会

◎祈祷題「世界平和のため」

〇ヤスクニ学習会「天皇代替わり問題の現況と課題」

柏木教会12日(月・休)10:30~15:30

〇聖書の学びと祈りの会は午前・午後とも

718()~912()まで休会です

牧師予定】
〇牧師夏期休暇(後半) 8月21日(水)~24日(土)

2019.8.11 週報掲載の説教

<2019年1月20日の説教から>

『真実の祈りと真実の献金』

マルコによる福音書12章38節~44節    牧師 三輪地塩

一人の貧しいやもめがやって来てレプトン銅貨2枚(1クァドランス)を献げた。これは当時の日当を5000円とすると、78円程度の金額である。日当が10000円ぐらい出ると考えても156円。このやもめの女性は、神殿の献金箱に約100円前後の「なけなしのお金」を献げたのだった。

イエスは神殿で、大勢の金持ちの献げ物と、貧しいやもめの献げ物の両方を見て、弟子たちをわざわざ「呼び寄せ」、このやもめが一番多くの物を献げた、と言うのである。「はっきり言っておく」という、イエスが注意喚起をするために使う定型句を加え、「これを見なさい」と念を押すかのように語る。それこそがこのやもめのささげっぷりであった。

この箇所を読んでいて腑に落ちない思いが起こるとすれば、お金持ちがたくさんの献げ物をしているにも関わらず、「それは有り余るものの中から捧げた「はした金」である」と言われているように聞こえることだろう。彼らだって、いくらたくさん貰っているからと言っても、大金を献げるのは、それは褒められて良いのではないか、と思うかもしれない。

しかし、この金持ちと、やもめの彼女にとって、「お金」が意味する事柄がそもそも違うのである。彼女にとって1クァドランスは「生活費」として数えられる。つまり、金持ちのお金が、「財産」「資産」として数えられるのに対し、やもめの彼女の「お金」とは「命そのもの」であり、「彼女の全て」という意味を持つ。つまり彼女は、彼女の生きる全存在を献げた、という意味がある。ここで言われるのは、金額の大小ではなく、献げたものが「命そのものである」と言っても良い。

この出来事の終わりには、イエスのまとめの言葉がない。「あなたも行って、このようにしなさい」とか「あなたの信仰があなたを救った」という模範を示す言葉がないのである。それは、この箇所のメッセージが、「倫理的、道徳的な教訓」を示すものではないからだ。つまり「献金のススメ」ではなく、イエス自らが歩もうとしている十字架の道が、命を献げる道であることを示そうとしているのだ。彼女の行為を、受難の道を行こうとする自らと重ね合わせて弟子たちに示しているのである。我々は、讃美歌332番から、献げるキリストと応答する我々を見比べて学びたい。