2019.8.25の礼拝予定

主 日 礼 拝

午前 10:30                奏楽 三 輪 志 都

<神の招き>

招 詞  ローマの信徒への手紙12章17節~18節

*讃 詠  546

*罪の告白と赦し 交読詩編145編10節~13節

*讃美歌  62(1−3)

<神の言葉>

聖 書  詩編34編12節~18節  (旧約P.865)

ペトロの手紙一3章8節~12節

(新約P.431)

祈 り               伊木 美穂子

*讃美歌  534

説 教 「憐れみ深く謙虚になりなさい」

三 輪 地 塩

<神への応答>

*讃美歌  532

*十 戒

公 告

*献金感謝

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  542

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)森﨑、薄田、半田龍、半田理

(次週)安井、新畑、田﨑、深沢

 
掃除当番(今週)河野武郎、安井英、大嶋、

菊地淑、栗原、島口

(次週)福永、松谷、伊木、須田

國見、河野武子、佐藤允

2019.8.25のお知らせ

【全国青年の集い】

日時:9月21日(土)~23日(月・休)

募金の受付けは本日までです。遠距離から参加する青年

の支援のために用いられます。

【中会長老・執事・委員研修会】

日時:9月16日(月・休)10:30~ 大森教会

主題:「次世代を担う長老・執事・委員を育てるために」

講師:午前 南 純(引退教師)

午後 大石周平(府中中河原教会牧師)

*出席ご希望の方は、書記森﨑千恵まで。9月1日まで

◇主日以外にも教会にいらっしゃる方は、必ず電気

消し、玄関の鍵を閉めてお帰り下さい

2019.8.25~8.30 今週の集会

集 会

〇日曜学校               9:00

〇朝カフェ(担当 松谷信司)      9:30

〇入門の会(担当 三浦勇二)       9:45

〇クワイア練習              礼 拝 後

〇コイノニア              礼 拝 後

〇日曜学校教師会            礼 拝 後

今 週 の 集 会 

◎祈祷題「日曜学校・朝カフェのため」

〇聖書の学びと祈りの会は午前・午後とも

718()~912()まで休会です

次 週 礼 拝

< 聖 餐 式 >

説教「良いことに熱心であれ」   三 輪 地 塩

箴言16章7節

ペトロの手紙一3章13節~22節

讃美歌(21)83、7(1-3)、56、412、79、46  板 垣 玲 子

日曜学校説教「神を畏れる」         岡 野 庸 子

出エジプト記1章15節~22節

 

2019.8.25 週報掲載の説教

<1月27日の説教から>

『マルコの小黙示録』 
マルコによる福音書13章1節~13節

牧師 三輪地塩

 
弟子たちはイエスに問う。「そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが全て実現するときには、どんな徴があるのですか」と。イエスは次のように答えた。「人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎやうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは、起こるに決っているが、まだ世の終わりではない」。現代社会において、あたかも自らを救い主であるかのように語る「自称メシア」の何と多い事であろうか。

また、今の世を見回すと、いたずらに格差を広げ、富める者の優越感を助長し、同時に、弱者をより弱者にさせていく。新自由主義経済だの、リベラリズムだの、ていの良い言葉を使うが、世で起こるのは、人種や国民を分断し、憎しみを助長するだけである。

キリストは「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われた。そして「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」との言葉は真実である。

キリストは、「戦争が起こるに決っている」と言う。しかし、「慌ててはいけない、惑わされてはいけない」と語る。

弟子の一人が「先生ご覧下さい、なんとすばらしい石、なんと素晴らしい建物でしょう」と言う(1節)。神殿の美しさを見た弟子が、その見た目の美しさや、華やかさ、細工技術の高さを評価している言葉。プラクティカルで、実益的な言葉である。

だがこれに対するイエスの答えは「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石も、ここで崩されずに他の石の上に残ることはない」であった。イエスの意図は、「人は目に見えるもので判断しがちであるが、その全ては永遠ではない」と答えたのだ。目に見える希望、目に見える豊かさ、目に見える強さなど、表面的なものに一喜一憂するのではなく、真理に導こうとされる主の声をいつも聞き続け、本当に主が示そうとされる場所を見極め、そこに向かって歩んで行くことが大切なのである。