2019.9.1週報の礼拝案内

週 報 74352019. 9.1
心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。      (ペトロの手紙一 3章15節)
主 日 礼 拝  午前 10:30
< 聖 餐 式 >
奏楽 板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞  ヨエル書3章1節

*讃 詠  (21)83

*罪の告白と赦し 交読詩編145編14節~16節

*讃美歌  (21)7(1-3)

<神の言葉> 
聖 書  箴言16章7節  (旧約P.1011)

ペトロの手紙一3章13節~22節

(新約P.432)

祈 り

*讃美歌  (21)56

説 教 「良いことに熱心であれ」  三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  (21)412

*日本キリスト教会信仰の告白

聖餐式  (21)79

公 告

*献金感謝 (21)575     クワイア

*主の祈り (座席前そなえつけ)

*頌 栄  (21)46

*派遣と祝福

*後 奏

聖餐補佐 森﨑、伊木、加藤、安井

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番 (今週)安井、新畑、田﨑、深沢
(次週)伊木、済陽、福永真、藤澤

掃除当番(今週)福永、松谷、伊木、須田
國見、河野武子、佐藤允

(次週)済陽、森﨑、国久、新畑

鈴木恵、小出勝、武政み

*礼拝・掃除当番が困難な方は遠慮なくお申出ください。

2019.9.1週報掲載のお知らせ

【中会長老・執事・委員研修会】

日時:9月16日(月・休)10:30~ 大森教会

主題:「次世代を担う長老・執事・委員を育てるために」

講師:午前 南 純(引退教師)

午後 大石周平(府中中河原教会牧師)

*出席ご希望の方は、本日までに書記森﨑千恵まで。

 
【タビタの会献金のお願い】

期間:9月~11月末まで。袋を各ボックスに配布します。

タビタの会献金は日本キリスト教会の牧師として教会

に仕えてこられ、引退された先生方とそのお連れ合いの方々の生活支援や傷病のお見舞いなどに用いられています。引退されてもなお無牧の教会の応援をしてくださる引退教職の先生方を覚え、宜しくお願いします。

 
◇コードレスクリーナーの献品をいただきました。どうぞ

ご活用ください。(2Fの物置にあります)

2019.9.1~9.7 今週の集会

集 会 2019.9.1

〇日曜学校                 9:00

〇朝カフェ(担当 松谷信司)        9:30

〇入門の会(担当 休会)           9:45

〇クワイア練習              礼 拝 後

〇コイノニア               礼 拝 後

〇入会者試問               12:00

〇定期小会                12:45

今 週 の 集 会

◎祈祷題「礼拝生活の充実のため」

〇聖書の学びと祈りの会は

午前・午後とも718()~912()まで休会です

◇牧師予定

〇中会常置委員会(柏木)     5日(木)14:00

〇「全国青年の集い」委員会(大阪姫松)6~7日(金土)

 
次 週 礼 拝

説教「愛は多くの罪を覆う」        三 輪 地 塩

箴言10章9節~12節

ペトロの手紙一4章1節~11節

讃美歌 (21)83、3(1-3)、411、57、46 岩 本 道 子

日曜学校説教「水から引き上げられた王子」 薄 田 東 正

出エジプト記2章1節~10節

2019.9.1 週報掲載の説教

<2019年2月3日の説教から>

今後も決してないほどの苦難が来る』 
マルコによる福音書13章14節~23節

牧師 三輪地塩

 
1995年の地下鉄サリン事件によって明らかとなったカルト集団は、日本の全国民を恐怖に陥れた。この教団のやり方は至ってシンプルな「終末思想の強調」であった。世の終わりに自らの正当性が明らかになると語り、結果的に教団の意にそぐわない者を殺人するという、残忍で、幼稚なやり方である。

我々は、あの事件から多くを学んだ。とりわけこの聖句、

「『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい」とマルコ福音書が語るこの言葉を心に留めたい。

我々は、信じるべき方を見誤らないように、いつもそれを悟ることが出来るように、くまなく世を見続けねばならない。

あの教団の極端な終末観を今日的に言うならば、「極端な二元論」である。「救済されるか」「消し去られるか」、という二元論は、正義と悪を極端に分ける。異なる意見を排除し、敵対視し、攻撃する。逆の立場の人を受け入れない。

こういった現象は、我々の身の回りにも起こりうる。だからこそ、偽メシア、偽預言者の登場に対して、真の神の言葉に、耳を傾けねばならない。世の中に横行するフェイクニュース。歴史修正論などは、社会がカルト化する前触れなのかもしれない。

このような不安な中にあっても、尚も我々信仰者は、神の御言葉という堅い土台に立っていることを覚えておきたい。マタイ福音書7章のイエスのたとえ話には、固い岩の上にしっかりと両足を下ろしている時、迷わず、惑わされず、キリストに於いて真実を見、真実に生きる事が出来るのだと聖書は語る。たとえ信仰者であっても、迷う事はあるだろう。だが恐れることはない。イエス・キリストこそが真実の救済者、真実の預言者である。この方こそが、我々の要であり、守りであり、救いであることを固く信じ続けるとき、この世の、多くの惑わしから、自由になることが出来るのです。