2020.10.25 主日礼拝の案内

週 報 75巻 33号 2020.10.25
ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。(ルカによる福音書9章33節)
主 日 礼 拝   午前 10:30
<宗教改革記念日礼拝>
                                  奏楽  加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 イザヤ書41章10節
*讃 詠  546
*罪の告白と赦し 交読詩編31編24節~25節
 聖 書 列王記上10章1節〜10節 (旧約P.546)
 日曜学校説教「知恵と富を与える神」済 陽 高 志
*讃美歌 121〔1-2〕
<神の言葉>
聖 書 詩編2編7節〜9節   (旧約P.835)
    ルカによる福音書9章28節~36節(新約P.123)
祈 り      伊木 美穂子
*讃美歌 380〔1-2〕
説  教 「仮小屋を三つ建てましょう」
                                 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 243〔1-2〕
 公 告
*主の祈り
*頌 栄  540
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
   お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)増田裕子
    (次週)松谷信司、薄田東正
 

2020.10.26~11.01 集会案内

      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会   休 会
〇朝カフェ              休 会
〇入門の会              休 会
〇クワイア練習            中 止
〇コイノニア             中 止
〇日曜学校教師会           礼拝後
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志)   礼拝後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「墓前礼拝を覚えて」(11月1日)
〇聖書の学びと祈りの会  29日(木)10:00
ヨハネの黙示録12章(担当 三輪地塩)
司会  菊 地 晴 子
〇聖書の学びと祈りの会  29日(木)14:00
使徒言行録21章1節~16節     担当  安 井 国 雄
次 週 礼 拝
説教 「神の偉大さに心を打たれる」      三 輪 地 塩
サムエル記下22章2節~4節
ルカによる福音書9章37節~45節
讃美歌 545、312(1-2)、234A(1-2)、537(1-2)、541 板 垣 玲 子
日曜学校説教「イエスさまは恵み深い主人」
ルカによる福音書19章11節~27節    岩 本 道 子
《皆様にお願い》
これから寒いシーズンを迎えますが、礼拝中・祈祷会中は
感染予防のため、窓を開け、換気を致しますので、各自
寒くないような服装をなさいますようお願いします。
 
《対面礼拝について》[浦和教会HPに掲載]
1.飛沫感染防止のため、教会内ではマスクの着用をお願い
しています。特に、礼拝内では「讃美歌」「交読詩編」、
それ以外では人との会話の際のマスク着用と一定の距離を保って頂けますようお願いします。
2.教会内に入るときには、玄関での手指消毒を必ずお願いします。
3.「聖餐式」は、12月6日から再開し、20日のクリスマス
礼拝でも行なう予定です。聖餐を受ける方は、それぞれに
十分に気を付けつつ、聖餐にあずかって下さい。
4.主日礼拝内に「日曜学校説教」が加わりました。
5.You Tubeのライブ配信は、これまで通り継続します。

2020.10.25の週報掲載の説教

<2019年7月21日の説教から>

権力への服従か?自由な生活か?
ペトロの手紙一211節~17
              牧師 三輪地塩

「異教徒の間で立派に生活しなさい」と著者は言う。彼らは異邦人の中に住む少数のキリスト者であり、彼らがどのように行動するかによって、キリスト教の評価や見方が好意的にも否定的にもなる。日本人があまり行くことのない海外に旅行などをする際、自分がその旅先の人々にとっての「初めて会う日本人」ということがある。ちょうどそれと似ているかもしれない。あなた方はキリスト者の代表として「立派に生活しなさい」と。

特に著者は、「肉の欲」に注意せよと11節で言う。「肉の欲」は、食欲や睡眠欲のような生理現象を指しているのではない。イエス・キリストが、40日間荒れ野の誘惑に晒された時(つまり、自らを神の子であるという自己認識を持った時)自分には何でもできる力と可能性を自覚するのであった。そこに悪魔的誘惑、或いは誘惑に導く内的囁きの声を聞くのであった。その誘惑は、全能性、権力欲、人心掌握などなど、自己を輝かせようとする「欲」であった。しかしイエスの答えは、「人はパンのみによって生きるにあらず」であった。

イエスが、欲に従って歩まなかったように、自らの利益・徳、自らへの自己愛の具現化を求めて歩むのではなく、神に示された隣人愛と赦しによる歩みである。異邦人の中に生きる時、たとえそこに迫害の嵐が吹き荒れていようとも、その場所で立派に生きることこそ、キリスト者としての歩みなのだ、と著者は語る。我々は「地上を旅する神の民」(カール・バルト)である。天に国籍を持つ寄留者、であり「仮住まいの身」(11節)であるのだから、自らの生活がキリストを現していくものでありたい。

12節「そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、おとずれの日に神をあがめるようになります」とある通り、我々の行いは、キリストを示すことができる。使徒言行録2章43節以下には共同生活をしていた初代教会の信徒たちが、物を共有し合い、共にある交わりを大切にし、「神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた」とある。宣教とは「私」というエゴのなす業ではなく、キリストの香りを漂わせる営みにほかならない。