2020.10.11主日礼拝の案内

週 報 75巻 31号 2020.10.11
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」(ルカによる福音書9章20節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  板 垣 玲 子

<神の招き>
招 詞 イザヤ書41章10節

*讃 詠  545A

*罪の告白と赦し 交読詩編24編9節~10節

聖 書 列王記上8章22〜26節

日曜学校説教「神の名がとどまるところ」

薄 田 東 正

*讃美歌 354〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 ミカ書7章8節   (旧約P.1457)

ルカによる福音書9章18節~20節(新約P.122)

祈 り         森 﨑 千 恵

*讃美歌 Ⅱ182〔1-2〕

説  教 「わたしを何者と言うのか」  三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 533〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄  544

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)伊木美穂子、岩本道子

(次週)加藤純子、菊地晴子

会堂清掃は引き続き有志で行います。

2020.10.11~10.17 集会案内

      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会   休  会

〇朝カフェ              休  会

〇入門の会              休  会

〇クワイア練習            中  止

〇コイノニア             中  止

〇礼拝堂の消毒・清掃(有志)     礼 拝 後

 今 週 の 集 会
◎祈祷題「宗教改革記念日・神学校日を覚えて」(10月25日)

〇聖書の学びと祈りの会  15日(木)10:00

ヨハネの黙示録11章(担当 三輪地塩)

司会  岡 野 庸 子

〇聖書の学びと祈りの会  15日(木) 14:00

ヨブ記1章            担当  大 和 文 彦

次 週 礼 拝
説教 「イエスについて行きたい者は」   三 輪 地 塩

詩編118章22節~25節

ルカによる福音書9章21節~27節

讃美歌 545B、354(3-4)、Ⅱ195(1-2)、239(1-2)、539

岩 本 道 子

日曜学校説教「ダビデのように、正しく歩む」

列王記上9章1節〜9節      三 輪 地 塩

2020.10.11 週報 教会からのお知らせ

【神学校からのお願い】

10月最後の主の日は日本キリスト教会神学校日と定められています。今年は10月25日です。この日を覚えて、お祈りくださり、献金をお献げくださいますようお願い申しあげます。神学校では現在新型ウイルス感染防止に努めながら、4名の学生が学んでいます。授業の半分以上はオンラインで行われています。来年度も志を与えられて神学校に学ぶ者が一人でも多く与えられますよう、特にお祈りください。

 

2020.10.11の週報掲載の説教

<2019年7月14日の説教から>
混じりけのない霊の乳をペトロの手紙一21節~10
                       牧師 三輪地塩

ヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』という作品は実に福音的なストーリーである。叔母に連れられてアルプスのアルムに連れられて来たハイジは、山奥で暮らすおじいさんの元に預けられる。ハイジの利発で明るい性格は、自然の中でさらに育まれてく。だが、読み書きなどの教育が行き届かないことを憂慮した叔母は、ハイジを大都市フランクフルトに引っ越しそこの学校に入学させた。読み書き、計算、躾け、マナーをならい、山の暮らしと異なる厳しい生活を送るも、ハイジは馴染めず精神を患って「夢遊病」になる。精神科医の診断は「山の生活に戻ること」であった。

とは言え、大都会の暮らしは、必ずしも悪いことだけではなく、クララという親友とそのおばあさんと出会い、彼女の熱心なキリスト教信仰に出会うという宝を得るのだった。ハイジは聖書の話しを聞き、神の存在と祈る素晴らしさを「大都会で」学ぶのだった。そこでハイジはおばあさんから、パウル・ゲルハルトの讃美歌「朝の恵み」という以下の詩を教えられた。

「黄金の太陽は、喜びと歓喜に満ち、私たちの世界にその輝きと一緒に、心を爽やかにする光を届けてくれます。打ちひしがれていた 私の頭と手足は、再び起こされ、私は元気に明るく、空に顔を向けます」。 パウル・ゲルハルトは、讃美歌107番の作詞家として有名なルター派の牧師である。この詩で重要なのは「打ちひしがれていた 私の頭と手足は、再び起こされ、私は元気に明るく、空に顔を向けます」という、「復活」「回復」が語られていることにある。この『アルプスの少女ハイジ』という物語は、読者に「自然vs都会」という二元論的価値観を強要せず、どちらにも良い部分があることを伝える。自然の良さ、都会での出会い、この両面がハイジの霊的な成長を支えたのだった。自然を通して神を知り、聖書を通して神を知る。豊かさを通して神を知り、苦しみを通して神を知る。この『ハイジ』の物語は、人間の全ての出来事が神の深い思慮の中にあることが示される。当該の聖書箇所、2章4節。「この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです」。この言葉には、ハイジが苦しみを経て神の救いに出会ったような、深い神の思慮、すなわち「十字架の救い」に我々の目を向けさせる。