2020.11.29 主日礼拝の案内

週 報 75巻 38号 2020.11.29
「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。     (ルカによる福音書9章61-62節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
<アドベントⅠ>
奏楽  岩 本 道 子

 <神の招き>
招 詞 詩編115編1節
*讃 詠  545B

*罪の告白と赦し 交読詩編48編13~15節

聖 書 ルカによる福音書1章26節~38節

(新約P.100)

日曜学校説教「イエスさまこそ真の王」薄 田 東 正

*讃美歌 98〔1-3〕

<神の言葉>
聖 書 ホセア書6章1節~3節 (旧約P.1409)

ルカによる福音書9章57節~62節

(新約P.124)

祈 り            三 浦 勇 二

*讃美歌 94〔1-3〕

説  教 「天の国にふさわしい者」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 106〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄  539

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)伊木美穂子 菊地晴子

(次週)増田裕子

2020.11.29~12.5 集会案内

      集 会

〇「教会員の生活」による学びの会   休 会

〇朝カフェ              休 会

〇入門の会              休 会

〇クワイア練習            中 止

〇コイノニア             中 止

〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志)  礼 拝 後

今 週 の 集 会

◎祈祷題 「大会の働きのため」

〇聖書の学びと祈りの会  3日(木)10:00

ヨハネの黙示録17章(担当 三輪地塩)

司会 森 﨑 千 恵

〇「生と死」の学び      担当 岡 野 庸 子

ボンヘッファー著『共に生きる生活』第2回

〇聖書の学びと祈りの会   3日(木)14:00

ヘブライ人への手紙9章23~28節  担当 岡 野 庸 子

次 週 礼 拝

<アドベントⅡ・聖餐式>

説教 「その名をインマヌエルと呼ぶ」

~イザヤ書から①~

三 輪 地 塩

イザヤ書7章1節~17節

マタイによる福音書1章23節

讃美歌  546、95(1,4)、111(1,3)、114(1-2)、540

加 藤 純 子

日曜学校説教「ヨセフも大事な役を果たした」

済 陽 高 志

ルカによる福音書1章18節~25節

2020.11.29 週報 教会からのお知らせ

◇クリスマスのお菓子の持ち寄りは12月13日(日)までに

宜しくお願いします。17日(木)に袋詰め致します。

(お菓子は賞味期限が2021年1月以降まであるもの)

 
【東京中会U-19 オンラインの集い】

11月29日(日)14:00~16:00 対象は中学生・高校生・

OB(青年部)世代を中心としています。詳細は掲示板の

チラシをご覧ください。

 
皆様にお願い

これから寒いシーズンを迎えますが、礼拝中・祈祷会中は

ウイルス感染予防のため、窓を開け、換気を致しますので、各自寒くないような服装をなさいますようお願いします。

 
日本キリスト教会大信仰問答予約募集のお知らせ

ビジュアル版、スタンダード版どちらも定価1980円の

ところ1600円。受付の申込書でどちらかを記入して

お申込みください。締切は12月6日(日)までです。

 
《対面礼拝について》[浦和教会HPに掲載]

1.飛沫感染防止のため、教会内ではマスクの着用をお願い

しています。特に、礼拝内では「讃美歌」「交読詩編」、

それ以外では人との会話の際のマスク着用と一定の距離を保って頂けますようお願いします。

2.教会内に入るときには、玄関での手指消毒を必ずお願いします。

3.「聖餐式」は、12月6日から再開し、20日のクリスマス

礼拝でも行なう予定です。聖餐を受ける方は、それぞれに

十分に気を付けつつ、聖餐にあずかって下さい。

4.主日礼拝内に「日曜学校説教」が加わりました。

5.You Tubeのライブ配信は、これまで通り継続します。

2020.11.29 の週報掲載の説教

<2019年9月1日の説教から>

良いことに熱心であれ
ペトロの手紙一3章13節~22節

牧師 三輪地塩

「主は悪を放置しない」と言われる。我々は、悪人が罪の意識に苛まれ、最終的には改心し、良識ある人として立ち直ってもらうという願望を持つ。我々は『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンのように、劇的に心を入れ替えてもらうことを望んでいる。しかし実際はそう甘くない。悪人は悪人のままであることが多いように感じる。たとえば「特殊詐欺」の実行犯は、善良な市民からお金をむしり取ることを「正義である」と思い込み、その歪な論理の中で自らの行為を正当化し、それが恰も「経済活動」であるかのように主張し、罪の意識を持たない。「悪人が、自らの悪に苦しんでいつか改心する」というのは、我々の願望であり、思い描く理想に過ぎないのかもしれない。

当該箇所では、この「悪の現実」についてノアの箱舟の物語を例に挙げる。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました」とある。

ノアの洪水を免れて救われたのは、箱舟に乗った8名だけであった。他の民衆は、神の言葉をないがしろにしてノアを馬鹿にしあざ笑った。その結果自らの罪を顧みることなく滅んで行ったというのがノアの物語である。

「神の言葉から離れた罪人たちは、霊として、救われることなくさまようのだ」という。一見キリスト教的でなさそうなこの言葉には日本人の死生観に近いものがあるかもしれない。

しかし、もし著者ペトロの記す死生観・天国観を受け入れるとするならば、善と悪の問題に少し解決の糸口を見ることができる。「そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」(3:19)。この言葉から分かるのは、キリストが陰府にくだった後、そこで悪人に宣教をするのだということである。御言葉に聞かなかった者たちに、御言葉の宣教を行なう、という意味であろう。この世において改心(回心)しなかった罪深き者たち、悪人たちも、キリストの宣教の言葉を受けるのだ。我々の死生観ではにわかに受入れにくいこの言葉である。だが聖書はそう証言している。