週 報 75巻 35号 2020.11.8
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」(ルカによる福音書9章48節)
主 日 礼 拝 2020.11.8 午前 10:30
<こども祝福日・合同礼拝>
奏楽 岩 本 道 子
<神の招き>
招 詞 詩編115編1節
*讃 詠 545B
*罪の告白と赦し 交読詩編32編10節~11節
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書5章15節~16節(旧約P.1068)
ルカによる福音書9章46節~48節
(新約P.124)
祈 り 加 藤 純 子
*讃美歌 514〔1-2〕
説 教 「最も小さい者こそ最も偉い」
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 284〔1-2〕 祝福式
*讃美歌 454〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 542
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)三浦勇二、野田昭子
(次週)森﨑千恵
2020.11.8 週報 教会からのお知らせ
◇本日、地区の清掃に4人の有志の方が、奉仕致しました。
◇福音時報の申込み締切りは、次週11月15日(日)です。
1年分代金1800円(12回) を申込封筒に入れ、お申込み
ください。新規の方もどうぞこの機会に。
(担当 國見照子)
《皆様にお願い》
これから寒いシーズンを迎えますが、礼拝中・祈祷会中は
ウイルス感染予防のため、窓を開け、換気を致しますので、各自寒くないような服装をなさいますようお願いします。
◇福音時報の申込み締切りは、次週11月15日(日)です。
1年分代金1800円(12回) を申込封筒に入れ、お申込み
ください。新規の方もどうぞこの機会に。
(担当 國見照子)
《皆様にお願い》
これから寒いシーズンを迎えますが、礼拝中・祈祷会中は
ウイルス感染予防のため、窓を開け、換気を致しますので、各自寒くないような服装をなさいますようお願いします。
2020.11.9~11.15 集会案内
本 日 の 集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志) 礼 拝 後
〇11月定期小会 12:00
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「会堂改修のため」
〇聖書の学びと祈りの会 12日(木)10:00
ヨハネの黙示録14章(担当 三輪地塩)
司会 増 田 裕 子
〇聖書の学びと祈りの会 12日(木)14:00
ヘブライ人への手紙9章15~22節
担当 岡 野 庸 子
次 週 礼 拝
説教 「逆らわない者は味方」 三 輪 地 塩
ヨナ書2章8節~10節
ルカによる福音書9章49節~50節
讃美歌
546、465 (1-2)、288(1-2)、
Ⅱ184(1-2)、543
加 藤 純 子
日曜学校説教
「わたしたちは神の国の国民」
ルカによる福音書20章9節~19説
伊木 美穂子
2020.11.8 の週報掲載の説教
<2019年8月18日の説教から>
『妻と夫』
ペトロの手紙一3章1節~7節
牧師 三輪地塩
この箇所は、現代人の人権感覚と大きな齟齬をきたすものとなる。7節は「妻に対する夫の振る舞い」について「キリストの十字架の自己卑賤と同じように」、妻に接することが言われている。ここで問題なのが「妻を自分たちよりも弱いものだとわきまえて」という言葉である。もちろん、男性至上主義的感覚が多分に盛り込まれていることを差し引かねばならないのだが、ここを正しく理解するためにはどう読めば良いのか。
2000年前の世界は、概ね男性と女性の関係は「腕力」「武力」などの「物理的力がモノを言わせていた時代であった。ペトロの手紙が書かれた時も同様に、男性が女性よりも強い、ということには疑問の余地はなかった。現代的には、平均寿命を考えても、出席率を考えても、肉体的・精神的に女性の方が男性を圧倒していることは数字も証明している。
では、この箇所に接する我々は、これをどう読むのか。結論から言うと「社会的立場の弱さ」に焦点を当てて読むことは可能であろう。これが書かれたAD1世紀の地中海、小アジア一帯は家父長制長制度が世の常識だった。女性が行けない場所、してはならないこと、女性の仕事、行動、発言に多くの規制や制限があった。このような「社会的立場の弱さ」が当時の女性たちを取り巻いていた。
とは言え、2000年後の現代でこれが完全に解消されたとは言い難い。否、厳然として残る性差別・ジェンダーの問題。今も同じであると思わされる。政治、経済、企業、教育などの全ての世界・領域において男女不平等は今でも続いている。今日の箇所はこの「弱さ」、言い換えるならば「社会的地位の格差」をどのように考え、生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬するのかが問われているのだ。最も重要なことは、我々が「個人」として生きる時も、夫婦、家族、仲間関係という共同体の中を生きる時も、キリストの十字架に従って生きる者であることが大事なのだ。つまり「キリストの卑賤」において我々が生かされているように、夫婦の間にも「キリストの卑賤」が成り立つのであれば、互いを最も尊重し、互いに愛し合う関係性が生まれるということである。2章21節、「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」。ご自分を低くされたキリストを通して、我々もキリストの低さが与えられて、キリストの御足の後に続く事が出来るように。
『妻と夫』
ペトロの手紙一3章1節~7節
牧師 三輪地塩
この箇所は、現代人の人権感覚と大きな齟齬をきたすものとなる。7節は「妻に対する夫の振る舞い」について「キリストの十字架の自己卑賤と同じように」、妻に接することが言われている。ここで問題なのが「妻を自分たちよりも弱いものだとわきまえて」という言葉である。もちろん、男性至上主義的感覚が多分に盛り込まれていることを差し引かねばならないのだが、ここを正しく理解するためにはどう読めば良いのか。
2000年前の世界は、概ね男性と女性の関係は「腕力」「武力」などの「物理的力がモノを言わせていた時代であった。ペトロの手紙が書かれた時も同様に、男性が女性よりも強い、ということには疑問の余地はなかった。現代的には、平均寿命を考えても、出席率を考えても、肉体的・精神的に女性の方が男性を圧倒していることは数字も証明している。
では、この箇所に接する我々は、これをどう読むのか。結論から言うと「社会的立場の弱さ」に焦点を当てて読むことは可能であろう。これが書かれたAD1世紀の地中海、小アジア一帯は家父長制長制度が世の常識だった。女性が行けない場所、してはならないこと、女性の仕事、行動、発言に多くの規制や制限があった。このような「社会的立場の弱さ」が当時の女性たちを取り巻いていた。
とは言え、2000年後の現代でこれが完全に解消されたとは言い難い。否、厳然として残る性差別・ジェンダーの問題。今も同じであると思わされる。政治、経済、企業、教育などの全ての世界・領域において男女不平等は今でも続いている。今日の箇所はこの「弱さ」、言い換えるならば「社会的地位の格差」をどのように考え、生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬するのかが問われているのだ。最も重要なことは、我々が「個人」として生きる時も、夫婦、家族、仲間関係という共同体の中を生きる時も、キリストの十字架に従って生きる者であることが大事なのだ。つまり「キリストの卑賤」において我々が生かされているように、夫婦の間にも「キリストの卑賤」が成り立つのであれば、互いを最も尊重し、互いに愛し合う関係性が生まれるということである。2章21節、「キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」。ご自分を低くされたキリストを通して、我々もキリストの低さが与えられて、キリストの御足の後に続く事が出来るように。