週 報 75巻 40号 2020.12.13
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ書9章5節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
<アドベントⅢ>
奏楽 加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 マラキ書3章1節
*讃 詠 545A
*罪の告白と赦し 交読詩編51編18~19節
聖 書 ルカによる福音書2章1節~7節
(新約P.102)
日曜学校説教
「イエスさまは馬小屋で生まれた」
済 陽 高 志
*讃美歌 108[1-2]
<神の言葉>
聖 書 イザヤ書9章1節~20節 (旧約P.1073)
ルカによる福音書1章79節 (新約P.102)
祈 り 森 﨑 千 恵
*讃美歌 97〔1-2〕
説 教 「平和の君」~イザヤ書から②
三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 112〔1-2〕
公 告
*主の祈り
*頌 栄 541
*派遣と祝福
*後 奏
「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は
お座りのままでどうぞ。
礼拝当番(今週)松谷信司、薄田東正
(次週)三浦勇二、野田昭子
増田裕子、菊地晴子
2020.12.13~12.19 集会案内
本 日 の 集 会
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「クリスマス合同礼拝のため」
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木)10:00
ヨハネの黙示録19章(担当 三輪地塩)
司会 伊木 美穂子
*クリスマスのお菓子の袋詰めをいたします。お手伝い
出来る方は宜しくお願いします。
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木)14:00
ヨブ記4章 担当 大 和 文 彦
次 週 礼 拝
<クリスマス合同礼拝・聖餐式・祝会>
説教 「エッサイの根からひとつの芽が萌えいで」
イザヤ書から③ 三 輪 地 塩
イザヤ書11章1節~10節
ローマの信徒への手紙15章7節~13節
讃美歌 545B、109(1-2)、96(1-2)、103(1-3)、542
三 輪 志 都
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒・清掃(有志) 礼 拝 後
今 週 の 集 会
◎祈祷題 「クリスマス合同礼拝のため」
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木)10:00
ヨハネの黙示録19章(担当 三輪地塩)
司会 伊木 美穂子
*クリスマスのお菓子の袋詰めをいたします。お手伝い
出来る方は宜しくお願いします。
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木)14:00
ヨブ記4章 担当 大 和 文 彦
次 週 礼 拝
<クリスマス合同礼拝・聖餐式・祝会>
説教 「エッサイの根からひとつの芽が萌えいで」
イザヤ書から③ 三 輪 地 塩
イザヤ書11章1節~10節
ローマの信徒への手紙15章7節~13節
讃美歌 545B、109(1-2)、96(1-2)、103(1-3)、542
三 輪 志 都
2020.12.13 週報 教会からのお知らせ
◇次週クリスマス礼拝後、写真撮影、短時間の祝会をし、
お菓子をお持ち帰りいただきます。祝会に欠席の方は
お帰り際にお菓子をお持ちください。
◇今年もあと僅かとなりました。大中会負担金(4500円)、
維持献金がまだの方はどうぞ宜しくお願い致します。
【第26回青年会の集い】
日時12月20日(日)17:00~18:30
参加ご希望の方は受付にチラシがありますので、ご覧いただき、お申込みください。
お菓子をお持ち帰りいただきます。祝会に欠席の方は
お帰り際にお菓子をお持ちください。
◇今年もあと僅かとなりました。大中会負担金(4500円)、
維持献金がまだの方はどうぞ宜しくお願い致します。
【第26回青年会の集い】
日時12月20日(日)17:00~18:30
参加ご希望の方は受付にチラシがありますので、ご覧いただき、お申込みください。
2020.12.13 の週報掲載の説教
<2019年9月15日の説教から>
『神の栄光が留まる』
ペトロの手紙一4章12節~19節
牧師 三輪地塩
「火」は聖書的に言うと「苦しみの象徴」「ゲヘナ」「地獄」を表わすと共に「精錬されること」「神の力が与えられること」、の表現として用いられる。当該箇所でも「火のような試練を」という厳しい言葉が使われているが、「驚き怪しんではいけません。むしろキリストの苦しみにあずかるものとして喜びなさい」と言うように、苦しみとは正反対の概念をもって伝えている。キリストの名のために非難され苦しむとき、あなたたちの上に、神の霊、聖霊の力がとどまるのだ、と言う。
火は、全てのモノを破壊する恐怖の力でありながら、明るく灯される「灯火」にもなる。食料を柔らかく調理し、夜通し危険な猛獣から身を守る助けとなる。「神からの火・試練」は、決して我々を破壊するものではなく、我々をより強固に構築し、より恵み深く歩む力となる、とペトロは言う。ここには敵対者に対する憎しみや怒りよりも、自分たちが苦しみをどう受け取るかに焦点が当てられる。
とは言え、17節には「自分たちがこんなに苦しむんだから敵対者たちはもっと苦しむはずだ」という主旨の言葉が述べられる。自分を苦しめる者らがもっと痛い目に遭うのならば、今自分たちに向けられる苦しみは甘んじて受けよう。そう語っているようでもある。 このような言い方は、日本の因果応報的考えに似ているように思うかもしれない。だが、この書簡の1章~4章を読んでみて思うのは、ペトロが敵対者の行動にはあまり関心を示していないことである。言い換えるならば、人がどうするかよりも、信仰者たちであるあなた方はどう生きるのか、を問うていることにある。「敵の攻撃に対して、我々はどう対処する」という敵の批判はペトロの念頭にあまりない。むしろ聖書全体は「悪い者こそが救われるべきだ」というメッセージを持っている。特に新約聖書ではその傾向が強い。イエス・キリストがサマリア人や娼婦、徴税人や忌み嫌われる者たちを愛し、共に歩む姿は、まさに救いから外れた者たちに対する救いの宣言である。我々は敵対者や悪人の行動を見るのではなく、自分はどう生き、どう赦すのか、を問いたいものである。
『神の栄光が留まる』
ペトロの手紙一4章12節~19節
牧師 三輪地塩
「火」は聖書的に言うと「苦しみの象徴」「ゲヘナ」「地獄」を表わすと共に「精錬されること」「神の力が与えられること」、の表現として用いられる。当該箇所でも「火のような試練を」という厳しい言葉が使われているが、「驚き怪しんではいけません。むしろキリストの苦しみにあずかるものとして喜びなさい」と言うように、苦しみとは正反対の概念をもって伝えている。キリストの名のために非難され苦しむとき、あなたたちの上に、神の霊、聖霊の力がとどまるのだ、と言う。
火は、全てのモノを破壊する恐怖の力でありながら、明るく灯される「灯火」にもなる。食料を柔らかく調理し、夜通し危険な猛獣から身を守る助けとなる。「神からの火・試練」は、決して我々を破壊するものではなく、我々をより強固に構築し、より恵み深く歩む力となる、とペトロは言う。ここには敵対者に対する憎しみや怒りよりも、自分たちが苦しみをどう受け取るかに焦点が当てられる。
とは言え、17節には「自分たちがこんなに苦しむんだから敵対者たちはもっと苦しむはずだ」という主旨の言葉が述べられる。自分を苦しめる者らがもっと痛い目に遭うのならば、今自分たちに向けられる苦しみは甘んじて受けよう。そう語っているようでもある。 このような言い方は、日本の因果応報的考えに似ているように思うかもしれない。だが、この書簡の1章~4章を読んでみて思うのは、ペトロが敵対者の行動にはあまり関心を示していないことである。言い換えるならば、人がどうするかよりも、信仰者たちであるあなた方はどう生きるのか、を問うていることにある。「敵の攻撃に対して、我々はどう対処する」という敵の批判はペトロの念頭にあまりない。むしろ聖書全体は「悪い者こそが救われるべきだ」というメッセージを持っている。特に新約聖書ではその傾向が強い。イエス・キリストがサマリア人や娼婦、徴税人や忌み嫌われる者たちを愛し、共に歩む姿は、まさに救いから外れた者たちに対する救いの宣言である。我々は敵対者や悪人の行動を見るのではなく、自分はどう生き、どう赦すのか、を問いたいものである。