2021.3.14 主日礼拝の案内

週 報76巻11号 2021.3.14
イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。(ルカによる福音書11章37節-38節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
<レントⅣ>
奏楽  岩 本 道 子

<神の招き>
招 詞 エフェソの信徒への手紙5章14節b

*讃 詠  545A

*罪の告白と赦し 交読詩編94編16節~19節

*讃美歌 20〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 歴代誌下24章17節~22節 (旧約P.701)

ルカによる福音書11章37節~54節

(新約P.130)

祈 り

*讃美歌 249〔1-2〕

説  教 「正義の実行と神への愛」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 533〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 544

*派遣と祝福

*後 奏

「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難の方は

お座りのままでどうぞ。

礼拝当番(今週)菊地晴子

(次週)加藤純子

2021.3.14 週報 教会からのお知らせ

2021.3.14 週報 教会からのお知らせ
聖餐式・日曜学校・祈祷会・その他についてのお知らせ

1.4月4日イースターから行う予定の聖餐式は、緊急事態

宣言が解除される3月21日に確定します。

2.日曜学校礼拝は4月4日からおとなの礼拝の中で行う

予定です。

3.木曜日午前の祈祷会は、4月からオンラインとなります

ので、現在のままライン祈祷会を継続いたします。

4.木曜午後の祈祷会、「生と死」の学びの会については

検討中です。

5.緊急事態宣言が解除された翌週から、長老の講壇での

奉仕(聖書朗読・祈祷)を開始します。

《主日以外に教会にいらっしゃるかたへ》
 受付けに『入館管理表』が置いてありますので、
入館の時刻と名前、退館の際には暖房器具、
エアコンなどの運転停止の確認とご記入をお願いします。

2021.3.14~3.20 集会案内

      集 会  2021.3.14
〇「教会員の生活」による学びの会 休 会

〇朝カフェ            休 会

〇入門の会            休 会

〇クワイア練習          中 止

〇コイノニア           中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)   礼 拝 後

今 週 の 集 会    2021.3.14~3.20
◎祈祷題 「第70回定期中会のため」

〇聖書の学びと祈りの会 18日(木)10:00

長老 伊木美穂子、増田裕子、森﨑千恵によって

麻生信吾著「麻生信吾説教集3」から~キリストの

死の意味~を学ぶ       司会 志 賀 洋 子

〇第70回定期中会 18日(木)9:30~ 柏木教会

次 週 礼 拝
<レントⅤ>

説教 「雀よりはるかにまさる」     三 輪 地 塩

イザヤ書51章7節~8節

ルカによる福音書12章1節~12節

讃美歌 545B、21(1-2)、139(1-2)、Ⅱ182(1-2)、539

三 輪 志 都

2021.3.14 の週報掲載の説教

<2019年12月1日の説教から>

ルカによる福音書1章26節~38節

神にできないことは何一つない
牧師 三輪地塩

聖書はマリアのルックスや人物像には関心を向けず淡々と「受胎告知」を記す。つまり聖書は、マリアを、クリスマスの中心人物にしようとしていない。ここにはルカの使信が「人間」ではなく「神」中心であることが暗示されている。「主があなたと共におられる」「インマヌエル」が、聖書の中心テーマであると。

聖書にとってマリアという女性は、高潔で、性格の良い、正しい女性である必要がない。世の中にたくさんいる女性の一人であり、戸惑いと不安を持つ、田舎町ナザレに住む一般的な女性。それが聖書の伝えるマリアである。

ナザレという町は、ヨハネ福音書1:46に「ナザレから何か良い物が出るだろうか」と当時の格言で言われるように、取るに足らぬ町であり、神の救いから外れた町と考えられていた。

だが神は、この片田舎に住む、取るに足りない一人の女性に、救いの計画を告知した。神の目線から言えば、土地の繁栄、良い家柄、人間としての容姿・性格などの評価は関係ない。そのような人間の評価と「神の救い」は別なのだ。

このマリアの前に天使ガブリエルが現れた。29節には「彼女はこの言葉に戸惑い」とある。新共同訳聖書では「戸惑う」と訳されているが、岩波訳聖書では「心を乱され」と訳されている。彼女は結婚前であった。当時の律法に従うならば、婚前の関係は処罰の対象だった。もちろん事情を知らない周囲の人々は彼女の妊娠についてあれやこれやと勝手な事を言う。彼女のことを周囲は大いに誤解したことだろうし、彼女の心の痛みは激しかっただろう。つまりマリアは、戸惑っただけでなく、心が乱れ、苦しんだのだ。誤解され、婚約も破棄され、処罰されるかもしれない。命の危険もあるかもしれない。そのような、死の恐怖が彼女を包んだ。予期せぬ事態になり、喜べない現実が突然襲う。我々の身の回りでも起こりうる。彼女を襲ったこの状況は、しかしここから神の救いが始まる端緒となった。

神は我々の準備を待たず、突然救う。神はいつもご自身の計画をご自分の行いたいように遂行される。恵みを与えるのも、祝福するのも神の側からである。神に一方的に与えられたものを、我々は受け取るのみである。それがマリアの懐胎であった。