2021.8.29 主日礼拝の案内

2021.8.29 主日礼拝の案内
週 報 76 巻 35 号 2021.8.29
「神の国は、見える形では来ない。

『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。

実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」

(ルカによる福音書17章20節~21節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都

<神の招き>
招 詞 エフエソの信徒への手紙5章14節b

*讃 詠  546

罪の告白と赦し 交読詩編117編1節~2節

*讃美歌 19〔1-2〕

<神の言葉>
聖 書 創世記6章5節~8節   (旧約P.8)

ルカによる福音書17章20節~37節

(新約P.143)

祈 り          加 藤 純 子

*讃美歌 Ⅱ188〔1-2〕

説  教 「神の国はあなたがたの間にある」

三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌 534〔1-2〕

公 告

*主の祈り

*頌 栄 543

*後 奏

礼拝当番(今週)伊木美穂子

(次週)岩本道子

ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2021.8.29~9.4 週報 集会案内

2021.8.29~9.4 週報 集会案内
      集 会
〇「教会員の生活」による学びの会  休 会

〇朝カフェ             休 会

〇入門の会             休 会

〇クワイア練習           中 止

〇コイノニア            中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)     礼 拝 後

〇日曜学校教師会          礼 拝 後

今 週 の 集 会
◎祈祷題 「自然災害の被災地・被災者のため」

〇聖書の学びと祈りの会は9月9日まで休会です。

次 週 礼 拝
説教 「気を落とさずに絶えず祈る」

三 輪 地 塩

レビ記27章30節~34節

ルカによる福音書18章9節~14節

讃美歌
545A、20(1-2)、249(1-2)、533 (1-2)、544

三 輪 志 都

*日曜学校礼拝は第2主日と第4主日に行います。

2021.8.29 週報 教会からのお知らせ

2021.8.29 週報 教会からのお知らせ
会堂改修工事について
823(月)1ヶ月間の予定で1階トイレ工事
8月29日、9月5日、12日(日)の主日礼拝の日は

2階のトイレ改修は終了し、手洗場所もできました。

1階で礼拝する方も2階のトイレをご利用ください。

 
【オンライン一日神学校のご案内】
日時:9月20日(月・休)10:30~14:30

申込方法は掲示板を確認・締切831
 
【訃報】
8月17日(火) 南柏教会(東京中会)天満由加里牧師が、

くも膜下出血のため急逝されました(59歳)。

23日葬儀(流山サポートホール)、

火葬(ウイングホール柏)が、夫・藤塚聖牧師(古河伝道所)の司式により、

近親者のみで行なわれました。どうぞご加祷下さい。

2021.8.29 の週報掲載の説教

2021.8.29 の週報掲載の説教
 <2020年3月22日の説教から>
ルカによる福音書5章17節~26節

『あなたの罪は赦された』
牧師 三輪地塩

 
中風の人の癒しの話し。この男は脳内出血、脳血管障害などにより、半身不随、四肢の麻痺があったと考えられる。彼は歩く事ができず、不自由な生活を強いられていた。この男には、友人たちが沢山いたらしく、彼を心配して集まってきた。

古代ユダヤ社会では、病気は「罪」との関係で考えられていたため、この中風の患者は罪に対する罰が下っていると考えられていた。彼は肩身の狭い生活を強いられ、治ることのない半身不随と一生付き合っていかなければならないとい絶望と共に過ごしていた。

だが彼の友人たちは諦めることなく、中風の男を床に乗せて担ぎ、イエスのいるところまで連れて行ったのだった。「床に乗せて」と表現されているが、「床」は、貧しい者たちが使う「ゴザ」「敷物」のような、簡素で低価格な庶民の道具のことを示している。この中風の男性は、病気だけでなく、経済的にも苦しみ、貧しく質素な暮らしをしていたのではないかと考えられる。

彼らは、マルコ福音書2章によると「4人の男性」と書かれているが、ここでは人数は分からない。重要な事は、彼らの執念とも言えるやり方でイエスの下につり降ろしたことにある。いくら仲の良い友人であっても、屋根を剥がして上からイエスと対面させるとは、大胆すぎるにもほどがある。今では「器物損壊」と「不法侵入」で現行犯逮捕だ。家の主人にとっては迷惑千万のこの行為。しかしイエスはこれを高く評価した。

イエスは、「その人たちの信仰をみて、人よ、あなたの罪は赦された」と宣言する。このイエスの好意的な言葉は、突拍子もないことをしでかした男たちの行動を、「素晴らしい信仰」と認めた言葉であった。友人たちのこの行動の素晴らしさは、中風患者が治りたいか否かによって行動しているのではなく、この患者にとって最も必要なことを自己判断で行っていることにある。