2022.2.13 主日礼拝の案内

2022.2.13 主日礼拝の案内
週 報 77  巻 7 号  2022.2.13
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。   (ルカによる福音書22章20節~21節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽 岩 本 道 子

 
< 聖 餐 式 >
新型ウイルスの感染状況によっては、

見合わせることもございますので、

ご了承ください。

 
 
<神の招き>
 
   招 詞  ヨハネによる福音書4章23節
23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
 
*讃 詠   546

 聖  書  マルコによる福音書12章41節~44節
41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 
42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 
43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 
44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
 
日曜学校説教 「貧しいやもめの献金」済 陽 高 志
*讃美歌  461〔1-2〕

 
<神の言葉>
聖 書
出エジプト記24章3節~8節  (旧約P.134 )
3 モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。 
4 モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。 
5 彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。 
6 モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、 
7 契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、 
8 モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」
 
ルカによる福音書22章7節~23節   (新約P.153) 
7 過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。 
8 イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。 
9 二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、 
10 イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、 
11 家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 
12 すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」 
13 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。 
15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 
17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 
18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 
19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 
20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 
21 しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。 
22 人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 
23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
 
 
祈 り

*讃美歌  15〔1-2〕

 
説  教 「イエスの血による新しい契約」 三 輪 地 塩
 
<神への応答>
*讃美歌  517〔1-2〕

*日本キリスト教会 信仰の告白

聖 餐 式   Ⅱ179

公 告

*献金感謝

*主の祈り

*頌 栄   542

*派遣の言葉

*後 奏

 
聖餐補佐 増田、松谷、三浦、森﨑、安井

 
 
 
礼拝当番
(今週)野田昭子 (次週)安井国雄

 
献金当番
(今週)伊木美穂子 鈴木惠子

(次週)森﨑千恵 國見照子

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝(次週)新畑 信

2022.2.13~2022.2.19の集会案内

2022.2.13~2022.2.19の集会案内
      集 会
 
〇『教会員の生活』による学びの会 1階会議室 休  会

〇朝カフェ                  休  会

〇入門の会                  休  会

〇クワイア練習               中  止

〇コイノニア                中  止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)        礼 拝 後

〇2月定期小会               礼 拝 後

 
 今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「教会員の健康が守られるため」

〇聖書の学びと祈りの会   2月17日(木)10:00

エステル記4章(担当 三輪 地塩) 司会 吉田 さとみ

※ラインで行います。

 
次 週 礼 拝
 
説教 「答える」    神学校特別聴講生 田 中 康 尋
エゼキエル書34章11節~16節

ヨハネによる福音書21章15節~19節

讃美歌

545A、18 (1-2)、73(1-2)、26 (1-2)、543     岩 本 道 子

2022.2.13 週報 教会からのお知らせ

2022.2.13 週報 教会からのお知らせ
◇本日は聖餐式を行う予定ですが、新型ウイルスの感染状況

によっては、見合わせることもございますので、ご了承

ください。

 
◇次週礼拝説教は神学校特別聴講生田中康尋さんが、奉仕

されます。

 
◇『教会員の生活』による学びの会は次週20日です。

 
【神学校卒業式のご案内】
日時:2月28日(月) 午後1時

場所:神学校 礼拝堂

卒業生:安彦晴樹  田中康尋(修業)

*新型コロナウイルス感染防止の観点から関係者のみで

行います。卒業式の模様は、同時配信の予定です。

視聴方法については、後日あらためてご案内します。

2022.2.13 の週報掲載の説教

2022.2.13 の週報掲載の説教
<2020年8月23日の説教から>
ルカによる福音書8章22節~25節

『先生、おぼれそうです』
              牧師  三輪地塩

 
ガリラヤ湖を渡った弟子たちは、嵐と風に恐怖していた。彼らは漁師であり、嵐、波、風の動きについての「エキスパート」であった。イエスの最初の弟子であるペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟たちも漁師だった。彼らにとってのガリラヤ湖はホームグラウンドであるため、ちょっとやそっとの嵐では驚かない。だがその彼らが「先生、おぼれそうです」と助けを求めたのだから一大事である。

彼らに海(湖)の知識があったからこそ、状況把握が出来たのであるが、もう一方で「知識を得たからこそ生じる恐れ」もあり得る。人間は知識も経験も必要であり、それによって快適な生活と進歩が支えられてきた。だが知識や経験が先立ち、自分たちが何でも知っていると思うとき、神を忘れさせる負の力、傲慢な思いを生じさせるのではなかろうか。

このとき弟子たちは、実に正しい行動をとっている。それこそが「先生、おぼれそうです」という言葉。一見すると、恐怖に取り付かれ、信仰を見失っているような叫びの言葉であるが、しかしよく考えてみると、彼らの矛先が、躊躇いなくイエス・キリストに向かっていることに注目したい。漁師として海の(湖)のエキスパートとしての自分の知識や経験によって、打開することの出来ない恐怖が生じた時、彼らは主の名を呼び、主に助けを求めたのであった。

だが彼らは、あと一歩足りなかった。イエスは「あなた方の信仰はどこにあるのか」と問う。アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトは、世界恐慌のさなか次のように言った。「私たちが恐れねばならない唯一のことは、『恐れ』そのものである」と。この言葉に勇気づけられた米国民は奮起し、恐れを乗り越え、大恐慌時代を生き延びたと言われる。

我々の人生の舟の艫にはキリストがおられる。そうであれば我々が恐れるのは「恐怖そのもの」であろう。恐怖とは、自分の心の中の恐れに恐れることである。キリストが共に居ませば、我々が恐れるのは、「自分自身が持つ恐怖心」のみである。

このコロナ禍にあって、世の中には多くの恐怖心が芽生えている。だが恐れることはない。嵐はキリストの支配の中にあるのだから。