2022.3.13 主日礼拝の案内
週 報 77 巻 11 号 2022.3.13
「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
(ルカによる福音書22章36節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
< レントⅡ>
奏楽 加 藤 純 子
<神の招き>
招 詞 エフェソの信徒への手紙5章14節b
*讃 詠 546
聖 書
マルコによる福音書14章66節~72節(新約.94)
日曜学校説教
「ペトロ、イエスを知らないと言う」 岩 本 道 子
*讃美歌 465(1−2)
<神の言葉>
聖 書
イザヤ書53章11節~12節 (旧約P.1150)
11 彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
ルカによる福音書22章35節~38節(新約P.155)
35 それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
36 イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。
37 言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
38 そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。
祈 り 安 井 国 雄
*讃美歌 194(1−2)
説 教 「剣のない者は」 三 輪 地 塩
<神への応答>
*讃美歌 534(1−2)
*使徒信条
公 告
*献金感謝
*主の祈り
*頌 栄 540
*派遣と祝福
*後 奏
礼拝当番
(今週)森﨑千恵 (次週)済陽高志
献金当番
(今週)三浦勇二 國見照子
(次週)野田昭子 吉田さとみ
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)小出 勝
2022.3.13~2022.3.19の集会案内
本 日 2022.3.13 の 集 会
〇朝の勉強会 (1階会議室) 9:30
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇コイノニア 中 止
〇礼拝堂・1階の消毒(有志) 礼 拝 後
今 週 2022.3.13~2022.3.19 の 集 会
◎祈祷題「第71回定期中会のため」
〇第71回定期中会(柏木教会)3月16日(水)9:30~
〇聖書の学びと祈りの会 17日(木)10:00
エステル記8章(担当 三輪 地塩) 司会 白 川 典 子
※ラインで行います。
次 週 礼 拝
<レントⅢ>
説教 「オリーブ山での祈り」 三 輪 地 塩
詩編32編8節~11節
ルカによる福音書22章39節~46節
讃美歌 板 垣 玲 子
545A、23 (1-2)、288(1-2)、532(1-2)、541 板 垣 玲 子
2022.3.13 週報 教会からのお知らせ
【第71回定期中会】
正議員:牧師三輪地塩 長老三浦勇二 長老松谷信司
他に長老 安井国雄、森﨑千恵、増田裕子が出席予定
◇ウクライナへの緊急支援募金を行うことにいたしました。
3月13日(日)から暫くの間、募金箱を置きますので、
ご賛同いただける方は、ご協力宜しくお願いします。
◇会堂改修について
会堂の改修はほぼ終了いたしましたが、今後の会堂修理などのために、
会堂改修献金を引き続きお献げ下さいますようお願いいたします。
2022.3.13 の週報掲載の説教
<2020年8月30日の説教から>
ルカによる福音書8章26節~39節
『自分たちのところから出て行ってもらいたい』
牧師 三輪地塩
彼は恐らく、暴力的な行動をとっていたのだろう。「家に住まないで墓場を住まいとしていた」(27節)、「この人は、鎖で繋がれ、足枷をはめられ、監視されていた」(29節)という言葉から、社会から排除された厄介者、市民権はおろか、生きる価値や意味などが見出されないような状況にあったことが伺える。この男は、人間としての尊厳を失い、命の価値を失っていた。このような彼の前に、イエスが現れた。悪霊は「神の子イエス、かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい」と懇願したのだった。暗闇の中で強い光が当てられた人のように、彼は「やめてくれ」と願った。
イエスはこの男性、正確には、この男性に取り憑いた悪霊に対し、名は何かと尋ねると「レギオン」と答えた。これは、ローマ帝国の一師団の呼び方で、「6000人部隊」と呼ばれる軍隊のことを「レギオン」と呼ぶらしい。悪霊が軍団のように大勢いたことを示している。
この男の救いはとても奇妙である。「レギオン」と名乗る大勢の悪霊が豚の大群に入り込むと、豚の群れは崖を下って湖になだれ込んで溺れ死ぬという非常に不思議な結末を迎えるのだ。動物愛護の観点から言えば、豚が受けた“とばっちり”に些か気の毒な思いもするが、注目点はそこではない。なぜ豚なのか、にある。豚がゲラサにおいてどういう意味を持つ動物であるか。つまり、当時のユダヤ地方では不浄の動物として食用にされない豚であるが、この異邦人の土地ゲラサ(現在のヨルダン付近)においては最大の食材であり、財産である。トランス ヨルダンのゲラサにおいて豚とは価値が高く非常に高価な財産であり「富の象徴」でもあった。その豚の「大群」ともなれば、人間の命よりも財産価値が高いと見做される事もあっただろう。
この豚の群れの中に、悪霊が入り込み、悪霊に取り憑かれた豚が、崖から海になだれ込んで溺れてしまうのであった。つまり、社会生活から排除された迷惑千万なこの男の命が、神の目に大切なものである、という事である。苦しむ一人の魂をも、見捨てず、放置されない神がおられる。その恵みに、目を凝らしなさいと聖書は語るのだ。