2022.3.13 の週報掲載の説教

2022.3.13 の週報掲載の説教
<2020年8月30日の説教から>
ルカによる福音書8章26節~39節

『自分たちのところから出て行ってもらいたい』
牧師 三輪地塩

 
彼は恐らく、暴力的な行動をとっていたのだろう。「家に住まないで墓場を住まいとしていた」(27節)、「この人は、鎖で繋がれ、足枷をはめられ、監視されていた」(29節)という言葉から、社会から排除された厄介者、市民権はおろか、生きる価値や意味などが見出されないような状況にあったことが伺える。この男は、人間としての尊厳を失い、命の価値を失っていた。このような彼の前に、イエスが現れた。悪霊は「神の子イエス、かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい」と懇願したのだった。暗闇の中で強い光が当てられた人のように、彼は「やめてくれ」と願った。

イエスはこの男性、正確には、この男性に取り憑いた悪霊に対し、名は何かと尋ねると「レギオン」と答えた。これは、ローマ帝国の一師団の呼び方で、「6000人部隊」と呼ばれる軍隊のことを「レギオン」と呼ぶらしい。悪霊が軍団のように大勢いたことを示している。

この男の救いはとても奇妙である。「レギオン」と名乗る大勢の悪霊が豚の大群に入り込むと、豚の群れは崖を下って湖になだれ込んで溺れ死ぬという非常に不思議な結末を迎えるのだ。動物愛護の観点から言えば、豚が受けた“とばっちり”に些か気の毒な思いもするが、注目点はそこではない。なぜ豚なのか、にある。豚がゲラサにおいてどういう意味を持つ動物であるか。つまり、当時のユダヤ地方では不浄の動物として食用にされない豚であるが、この異邦人の土地ゲラサ(現在のヨルダン付近)においては最大の食材であり、財産である。トランス ヨルダンのゲラサにおいて豚とは価値が高く非常に高価な財産であり「富の象徴」でもあった。その豚の「大群」ともなれば、人間の命よりも財産価値が高いと見做される事もあっただろう。

この豚の群れの中に、悪霊が入り込み、悪霊に取り憑かれた豚が、崖から海になだれ込んで溺れてしまうのであった。つまり、社会生活から排除された迷惑千万なこの男の命が、神の目に大切なものである、という事である。苦しむ一人の魂をも、見捨てず、放置されない神がおられる。その恵みに、目を凝らしなさいと聖書は語るのだ。