2022.3.6 主日礼拝の案内

2022.3.6 主日礼拝の案内
週 報 77 巻 10 号  2022.3.6
主 日 礼 拝   午前 10:30
<レントⅠ・ 聖餐式>
奏楽 岩 本 道 子

 
<神の招き>
招 詞 エフェソの信徒への手紙5章14節b

*讃 詠   545B

罪の告白と赦し 交読詩編134編1節~3節

*讃美歌  20(1−2)

 
<神の言葉>
聖 書 詩篇37編1節~6節    (旧約P.868)
1 【ダビデの詩。】
悪事を謀る者のことでいら立つな。
不正を行う者をうらやむな。
2 彼らは草のように瞬く間に枯れる。
青草のようにすぐにしおれる。
3 主に信頼し、善を行え。
この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
4 主に自らをゆだねよ
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
5 あなたの道を主にまかせよ。
信頼せよ、主は計らい
6 あなたの正しさを光のように
あなたのための裁きを
真昼の光のように輝かせてくださる。
 
 
ルカによる福音書22章31節~34節(新約P.154)
31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。 
32 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 
33 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。
 34 イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
祈 り

*讃美歌  Ⅱ195(1−2)

説  教 「信仰がなくならないように祈った」
三 輪 地 塩

<神への応答>
*讃美歌  Ⅱ182(1−2)

*日本キリスト教会 信仰の告白

聖餐式  Ⅱ179

公 告

*献金感謝

*主の祈り

*頌 栄  539

*派遣と祝福

*後 奏

 
聖餐補佐 松谷、三浦、森﨑、安井、増田

 
礼拝当番
(今週)三浦勇二

(次週)森﨑千恵

 
献金当番
(今週)済陽高志 白川典子

(次週)三浦勇二 國見照子

ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2022.3.6~2022.3.12の集会案内

2022.3.6~2022.3.12の集会案内
 
      集 会
〇朝の勉強会 (1階会議室)    休 会

〇朝カフェ            休 会

〇入門の会            休 会

〇クワイア練習          中 止

〇コイノニア           中 止

〇礼拝堂・1階の消毒(有志)   礼 拝 後

〇定期小会            礼 拝 後

 
 今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「日曜学校生徒と教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会  3月10日(木)10:00

エステル記7章(担当 三輪 地塩) 司会 野 田 昭 子

※ラインで行います。

 
次 週 礼 拝
<レントⅡ>

 
説教 「剣のない者は」       三 輪 地 塩
イザヤ53章11節~12節

ルカによる福音書22章35節~38節

 
讃美歌               加 藤 純 子
546、465 (1-2)、194 (1-2)、534、540

 
 日曜学校説教「ペトロ、イエスを知らないと言う」
岩 本 道 子

マルコによる福音書14章66節~72節

2022.3.6 週報 教会からのお知らせ

2022.3.6 週報 教会からのお知らせ

【会堂改修の進捗状況】
2月に終了した改修工事>
外塀塗装

タワースポット メンテおよびLED照明交換

スポット撤去

ガスヒーポン交換2階礼拝堂室内冷暖房

床・壁・天井・LED照明(1F,2Fロビー, 階段エリア他)

<牧師館の改修>
外壁塗装、足場解体、物置解体

内装リフォーム 見積依頼

<追加補修>

1F正面壁面全てにスクリーンマグネットを貼る。

2022.3.6 の週報掲載の説教

2022.3.6 の週報掲載の説教

<2020年8月23日の説教から>

ルカによる福音書8章22節~25節

『先生、おぼれそうです』
牧師 三輪地塩

ガリラヤ湖を渡った弟子たちは、嵐と風に恐怖していた。彼らは漁師であり、嵐、波、風の動きについての「エキスパート」であった。イエスの最初の弟子であるペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟たちも漁師だった。彼らにとってのガリラヤ湖はホームグラウンドであるため、ちょっとやそっとの嵐では驚かない。だがその彼らが「先生、おぼれそうです」と助けを求めたのだから一大事である。

彼らに海(湖)の知識があったからこそ、状況把握が出来たのであるが、もう一方で「知識を得たからこそ生じる恐れ」もあり得る。人間は知識も経験も必要であり、それによって快適な生活と進歩が支えられてきた。だが知識や経験が先立ち、自分たちが何でも知っていると思うとき、神を忘れさせる負の力、傲慢な思いを生じさせるのではなかろうか。

このとき弟子たちは、実に正しい行動をとっている。それこそが「先生、おぼれそうです」という言葉。一見すると、恐怖に取り付かれ、信仰を見失っているような叫びの言葉であるが、しかしよく考えてみると、彼らの矛先が、躊躇いなくイエス・キリストに向かっていることに注目したい。漁師として海(湖)のエキスパートとしての自分の知識や経験によって、打開することの出来ない恐怖が生じた時、彼らは主の名を呼び、主に助けを求めたのであった。

だが彼らは、あと一歩足りなかった。イエスは「あなた方の信仰はどこにあるのか」と問う。アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトは、世界恐慌のさなか次のように言った。「私たちが恐れねばならない唯一のことは、『恐れ』そのものである」と。この言葉に勇気づけられた米国民は奮起し、恐れを乗り越え、大恐慌時代を生き延びたと言われる。

我々の人生の舟の艫にはキリストがおられる。そうであれば我々が恐れるのは「恐怖そのもの」であろう。恐怖とは、自分の心の中の恐れに恐れることである。キリストが共に居ませば、我々が恐れるのは、「自分自身が持つ恐怖心」のみである。

このコロナ禍にあって、世の中には多くの恐怖心が芽生えている。だが恐れることはない。嵐はキリストの支配の中にあるのだから。