2022.10.9 主日礼拝の案内
週 報 77巻 41号 2022.10.9
それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今や、このキリストを通して和解させていただいたからです (ローマの信徒への手紙5章11節)
主 日 礼 拝 午前 10:30
奏楽 三 輪 志 都
<神の招き>
招 詞 ヨハネによる福音書12章24節
24 はっきり言っておく。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
*讃 詠 (21)28
*罪の告白と赦し 交読詩編32編1節~5節
*讃美歌 (21)7(1-2)
<神の言葉>
聖 書
詩編85編9節~14節 (旧約P.922)
9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。
主は平和を宣言されます
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に
彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
10 主を畏れる人に救いは近く
栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。
11 慈しみとまことは出会い
正義と平和は口づけし
12 まことは地から萌えいで
正義は天から注がれます。
13 主は必ず良いものをお与えになり
わたしたちの地は実りをもたらします。
14 正義は御前を行き
主の進まれる道を備えます。
ローマの信徒への手紙5章6節~11節(新約P.279)
6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
祈 り 安 井 国 雄
*讃美歌 (21)394(1-2)
説 教 「キリストを通して与えられた神との平和」
鈴木 美津子
<神への応答>
*讃美歌 (21)392(1-2)
*使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。
わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで
苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に
死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。
そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。
わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
からだの復活、永遠のいのちを信じます。 アーメン。
公 告
*献金感謝
*主の祈り
天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン
*頌 栄 (21)26
*派遣と祝福
*後 奏
☆讃美歌は、1節、2節のみとします。
礼拝当番
(今週)森﨑千恵
(次週)菊地晴子
献金当番
(今週)薄田 東正 浜野 陽子
(次週)安井 国雄 鈴木惠子
ライブ配信当番
(今週)新畑 信
(次週)新畑 信
2022.10.9~2022.10.15の集会案内
本 日 の 集 会
〇日曜学校 9:00
〇朝カフェ 休 会
〇入門の会 休 会
〇クワイア練習 中 止
〇礼拝堂・1階の清掃(有志) 礼 拝 後
〇洗礼準備会 礼 拝 後
〇「浦和教会のつどい」(1階会堂) 同 上 後
礼拝後~14時まで
今 週 の 集 会
◎祈祷題「日曜学校教師のため」
「対面礼拝に来られない人のため」
〇東京中会長老・執事・委員研修会 10月10日(月)13:00
〇聖書の学びと祈りの会 13日(木)10:00
ヨブ記20章(担当 鈴木 美津子) 司会 増 田 裕 子
*祈祷会後、希望者は川越バスツアーに行きます。
次 週 礼 拝
説教 「一人の人アダムの罪と死」 鈴木 美津子
創世記3章6節~9節
ローマの信徒への手紙5章12節~14節
讃美歌 岩 本 道 子
545B、19(1-2)、137(1-2)、137 (3-4)、539
日曜学校説教「王の夢を解く」 安 井 国 雄
創世記41章1節~8節
2022.10.9 週報 教会からのお知らせ
◇本日礼拝後、「浦和教会のつどい」にどうぞご参加ください。
サンドイッチ(400円)、お菓子(100円)、コーヒー(100円)
召しあがりながら、楽しい交わりの時をお過ごしください。
*10月10日(月)13:30~17:00
「東京中会長老・執事・委員研修会」Zoomにより開催
【訃報】
9月29日(木) に北海道中会教師 堀田治郎先生が逝去(98歳)され、
10月4日(火)葬儀式は、帯広教会にて北村一幸旭川教会牧師司式に
より行われました。ご遺族のためにお祈りいたします。
2022.10.9 の週報掲載の説教
<2022年8月28日説教から>
『神は唯一だからです』
ローマの信徒への手紙3章29節~31節
牧 師 鈴木美津子
「では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました(27)」。何らかの誇りがなければ生きていけないのが人間である。プライドと言い換えたほうがわかりやすいだろうか。私たちは、それにしがみつきながら生きている。誰かにプライドを傷つけられた、と言っては怒り、また意気消沈したり、また落ち込んでみたり・・・。それが人間である。
ユダヤ人たちは、自分たちが神の民、選ばれた民であるということを誇り、神に与えられた特権としての律法に、そして選民の象徴である割礼に、しがみついて生きていた。そのように生きてきたユダヤ人たちにとって、「律法によって救われるのではなく、信仰によって救われる」、というパウロの言葉は、彼らの「誇り」要するにプライドを、ズタズタに傷つけたのだ。「信仰によってのみに生きる」ということは、ユダヤ人であっても、異邦人であっても、がっしりとしがみついていた「誇り」が取り去られることである。キリスト教信仰に一歩足を踏み入れたならば、学歴、経歴、職業、経済的な豊かさ、知識の深さ、人柄の良さ、行いの豊かさなどなどを誇ることが、取り去られるということである。ところが信仰生活が始まっても、誇りがなければ生きていけないという人間の性は、なかなか死なないのが現実である。それでもパウロは、「誇りは取り去られた」、と言う。では、一切の誇りが取り去られた私たちは、どのように生きていくのか。パウロは、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(コリント二12:9)」と語る。信仰者の生きる力の源は、主イエスの十字架にある。あらゆる誇りを取り去られて、ただ主イエスの十字架から力をいただき、自分の弱さを誇る者になることである。キリスト者が誇るとすれば、自らの弱さである。誇りなど何もない、まったくない、それが主イエスを信じる者の生き方、それが真に信仰に生きるということだからである。
唯一の神が備えられた救いの道は、イエス・キリストを信じることによって義とされることのみ。その神の御前に私たちは唯一誇れること、それは神が私たちを正しい者とするために、愛する御子を十字架の死へと引き渡してくださったことのみである。
*先週8月28日説教としましたが、9月4日説教の誤りでした。
掲載が前後してしまいましたことをお詫びいたします。