2022.12.4 主日礼拝の案内

2022.12.4 主日礼拝の案内
週 報 77巻 49号 2022.12.4
このような事が起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。

あなたがたの解放の時が近いからだ。(ルカによる福音書21章28節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
< アドベントⅡ>
 
奏楽 三 輪 志 都

 
<神の招き>
招 詞   ローマの信徒への手紙12章1節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
 
*讃 詠   545B

*罪の告白と赦し 交読詩編1編1節~6節
*讃美歌   67(1-2)

 
<神の言葉>
聖 書   イザヤ書11章1節~10節   (旧約P.1078)
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。
目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。
弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。
その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。
正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。
狼は小羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
10  その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
 
ルカによる福音書21章25節~28節,34節~36節(新約P.152)
25 「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 
26  人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 
27  そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 
28  このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
 
34  「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 
35  その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 
36  しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」
祈 り

*讃美歌  96(1-2)

 
  説  教  「天の国は近づいている」    鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌  171(1、4)

*日本キリスト教会 信仰の告白

わたしたちが主とあがめる神のひとり子イエス・キリストは、真の神であり真の人です。

主は、神の永遠の計画にしたがい、人となって、人類の罪のため十字架にかかり、完全な犠牲をささげて、あがないをなしとげ、復活して永遠のいのちの保証を与え、救いの完成される日までわたしたちのためにとりなしてくださいます。

神に選ばれてこの救いの御業を信じる人はみな、キリストにあって義と認められ功績なしに罪をゆるされ、神の子とされます。

また、父と子とともにあがめられ礼拝される聖霊は、信じる人を聖化し、御心を行わせてくださいます。

この三位一体なる神の恵みによらなければ、人は罪のうちに死んでいて、神の国に入ることはできません。

旧・新約聖書は神の言であり、そのなかで語っておられる聖霊は、主イエス・キリストを顕かに示し、信仰と生活との誤りのない審判者です。

教会はキリストのからだ、神に召された世々の聖徒の交わりであって、主の委託により正しく御言を宣べ伝え、聖礼典を行い、信徒を訓練し、終わりの日に備えつつ、主が来られるのを待ち望みます。

古代の教会は、聖書によって次のように信仰を告白しました。

わたしたちもまた使徒的信仰の伝統にしたがい、讃美と感謝とをもってこれを共に告白します。

わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。わたしは、そのひとり子わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女(おとめ)マリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。わたしは、聖霊を信じます。

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

 
聖餐式  202

公 告

*献金感謝

*主の祈り(座席前そなえつけ)

 
*頌 栄  540

*派遣と祝福

*後 奏

 
聖餐補佐 森﨑 安井 三浦 伊木 松谷

 
☆讃美歌の歌う節は( )内に示した節です。

 
礼拝当番
(今週)伊木 美穂子

(次週)菊地 晴子

 
献金当番
(今週)三浦 勇二   鈴木 惠子

(次週)済陽 高志  白川 典子

 
ライブ配信当番
(今週)小出 勝

(次週)新畑 信

2022.12.4~2022.12.10の集会案内

2022.12.4~2022.12.10の集会案内
      集 会
〇日曜学校          9:00

〇朝カフェ          休  会

〇入門の会          休  会

〇クワイア練習        中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)  礼 拝 後

〇トーンチャイム練習     礼 拝 後

〇受洗希望者の試問      礼 拝 後

〇12月拡大定期小会      同 上 後

〇12月定期小会        同 上 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「未陪餐会員のため、教会から長く離れている方々のため」

 
〇聖書の学びと祈りの会       12月8日(木) 10:00

ヨブ記28章(担当 鈴木 美津子)     司会 増 田 裕 子

 
次 週 礼 拝
< アドベントⅢ >
説教 「救い主の到来と喜び」       鈴木 美津子
イザヤ書40章1節~10節

マタイによる福音書11章2節~10節

讃美歌      板 垣  玲 子
546、70(1-2)、 96(1-2)、94(1-2)、541

 
日曜学校説教「マリアの讃歌」           
ルカによる福音書1章46節~56節     岩 本 道 子

2022.12.4 週報 教会からのお知らせ

2022.12.4 週報 教会からのお知らせ
ボランティアのお願い
本日礼拝後、花壇にチューリップの球根を植える予定です。

お時間の都合のつく方がありましたら、是非お手伝いください。

出来る方は鈴木惠子さんまでお知らせください。

 
【主な献金について】
・維持献金:毎月捧げていただく献金です。

・大中会負担金:1年分5000円を皆様にお願いしております。

・共助金庫献金:引退された教職の生活を支える大事な献金です。

*12月から2階の礼拝用ヨハネスオルガンの献金をしていただく

ことになりました。

受付に<ヨハネスオルガン献金>と書かれたブルーの封筒がありますので、宜しくお願いします。

2022.12.4 の週報掲載の説教

2022.12.4 の週報掲載の説教
<2022年10月16日日の説教から>

『一人の人アダムの罪と死』

ローマの信徒への手紙5章12節~14節

牧 師 鈴木 美津子

 
人類の罪の起源は、はじめの人アダムにある。彼は、神が「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない(創2:17)」と、命じた掟に背き、禁じられていた木の実を食べてしまったことによって、罪と死に支配される者となった。

しかし、その罪と死の支配は、アダムだけにとどまらず、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者をも支配した。なぜなら、はじめの人アダムは、全人類の代表者として罪を犯したので、それ以降の人類は、生まれながらにアダムの罪を転嫁され、アダムと共に罪と死に支配される者となったのである。なぜなら、全人類はアダムと一つであり、アダムと共に罪を犯したと見做されるゆえである。アダムの罪は彼が代表した者たちすべてに転嫁され、それゆえにその罪の罰もまた死も全人類のものとなったのである。

ところが、パウロは、「実に、アダムは来たるべき方を前もって表す者(14)」であると、記す。彼は、これまで、イエス・キリストを信じる信仰によって、人は神の御前に義とされることを語ってきた。自分で律法を守ることによってではなくて、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ人は義とされる、と語ってきた。これは考え方によっては甚だ虫の良い話である。罪のない御方であり、何一つ罪を犯さなかったイエス・キリストが、神の御前に義とされるのはもっともであるが、そのイエス・キリストをただ信じるだけで私たちまでもが義とされるとは一体どういうことなのか。

しかし、パウロは、アダムとあなたたちとの関係を考えてみよと言う。あなたたちは、アダムの違反と同じような罪を犯したわけではない。しかし、あなたたちのうえに厳然たる事実として死は支配しているではないか。そうであれば、来たるべき方であるイエス・キリストの場合も同じである。人類の代表者であるアダムによって、私たちが罪と死の支配に置かれていたように、今や私たちは、人類の代表者としてのイエス・キリストによって、義と生命の支配に生かされているのである、とパウロは語るのである。