2023.1.8 主日礼拝の案内

2023.1.8 主日礼拝の案内
週 報 78巻 2号 2023.1.8
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

(ローマの信徒への手紙6章4節)

主 日 礼 拝   午前 10:30
< 聖 餐 式 >
奏楽 板 垣 玲 子

 
<神の招き>
招 詞   イザヤ書42章1節a
 
*讃 詠   (21)28

 
罪の告白と赦し 交読詩編51編12節~21節
 
*讃美歌   (21)18(1-2)

 
<神の言葉>
聖 書   詩編98編1節~9節     (旧約P.935)
 
 
ローマの信徒への手紙6章1節~11節(新約P.280)
 
 
祈 り
 
*讃美歌  (21)532(1-2)                                                                                                                               説  教 「洗礼の恵み」    鈴木 美津子
 
<神への応答>
*讃美歌  (21)536(1-2)

 
日本キリスト教会 信仰の告白
 
聖餐式  (21)81

 
公 告
 
献金感謝
 
主の祈り(座席前そなえつけ)

 
*頌 栄  (21)26

 
派遣と祝福
 
*後 奏

 
聖餐補佐 三浦、伊木、増田、森﨑、松谷

 
礼拝当番
(今週)安井 国雄

(次週)増田 裕子

 
献金当番
(今週)伊木 美穂子 星野 勇

(次週)菊地 晴子  青木 節子

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

 

2023.1.8~2023.1.15 の集会案内

2023.1.8~2023.1.15 の集会案内
      集 会
〇日曜学校          9:00

〇朝カフェ          休  会

〇入門の会          休  会

〇クワイア練習        中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)  礼 拝 後

〇1月定期拡大小会       礼 拝 後

〇定期小会          同 上 後

 
今 週 の 集 会
◎祈祷題「世界の平和のため」
 
〇聖書の学びと祈りの会        1月12日(木)10:00
ヨブ記32章(担当 鈴木 美津子)   司会 板 垣 玲 子

 
次 週 礼 拝
 
説教
「主イエスに結ばれて神に対して生きる」  鈴木 美津子
ヨブ記19章23節~27節

ローマの信徒への手紙6章1節~11節

 
讃美歌            岩 本 道 子
545A (1-2)、24 (1-2)、452(1-2)、361(1-2)、539

日曜学校説教 「ぶどう園で」    増 田 裕 子
マタイによる福音書20章1節~16節

2023.1.8 週報 教会からのお知らせ

2023.1.8 週報 教会からのお知らせ
20231月の予定

1月15日(日)総会資料提出締め切り

1月18日(水)総会資料印刷

1月19日(木)祈祷会後、総会資料製本 現住陪餐会員に配布

東京中会常置委員会

1月29日(日)礼拝後、2023年度総会

 
◇総会資料の提出について

担当の方は、B5サイズでフォントは10,5の明朝体、数字はCentury 資料中の名前はフルネームでお願いします。データで書記増田裕子迄。

 
【家庭礼拝暦購読申込みのお知らせ】

2023年4月~2024年3月(4月、7月、10月、1月)年4回発行。

週報ボックスに配布のブルーの封筒に年間購読料2,000円を入れ、

お申込みください。新規の方もこの機会にどうぞ。(担当 國見照子)

2023.1.8 の週報掲載の説教

2023.1.8 の週報掲載の説教
<2022年11月6日の説教から>

『一人の従順によって』
ローマの信徒への手紙5章18-19節        牧師 鈴木美津子
 
パウロは、これまでのところで、アダムとキリストとの相違点を語ったうえで、なぜアダムが来るべき方を前もって表す者(キリストのひな型)であるのか、その類似点を指摘する。

アダムとキリストの類似点は、二点挙げられている。一点目は、一つの行為を行なったことにある。それは相反する行為である。アダムは、善悪の知識の木から、実を食べるという行為を行なった。それによって、すべての人が罪に定められることになった。キリストの場合は、十字架の上で、血を流されて、死なれた。この一つの義の行為によって、キリストを信じるすべての人にいのちを与えることがおできになった。

二点目の類似点は、影響を受けた人についてである。アダムの神への不従順によって、すべての人が罪人とされた。同じように、キリストの父なる神への従順によって、キリストを信じる者は、すべて罪人のままでいることはない。キリストは、ただ一度、死なれたわけであるが、それは、「キリストを信じるすべての人に及ぶ」ことになるのである。

18節に「すべての人が義とされて」とあるが、これは未来形になっている。義と認められる、あるいは、正しいと宣言されることは、もうすでに起こったことではあるが、実際に義人となるのは、イエス・キリストが再び来られるときを待たなければならない、ということである。キリストの再臨のときに、私たちのからだは変えられて、キリストに似た者とされるのである。

人がアダムであった時、要するに、人間の本性に従って生きている時、そこは罪が支配する死の世界であった。神に背いているという人の在り方が、多くの個々の罪を派生したからである。しかし、キリストにあっては、恵み(カリス)が支配する。人は、神に従順に従ったキリストの贖いの業によって、「罪の世界」から「恵みの世界」に移さるのである。