2023.2.5 の週報掲載の説教

2023.2.5 の週報掲載の説教
<2022年1月15日の説教から>

『主イエスに結ばれて神に対して生きる』
ローマの信徒への手紙6章1節~11節

 
牧 師 鈴木美津子

 
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、
キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考え
なさい(11)」。

「考えなさい」には、「よく考え、よく思い巡らす」また「心に留める」という意味がある。では、何をよく考え、思い巡らすのか。「自分は本当の意味で何者であって何のために生きているのか」ということである。「主イエス・キリストを信じて完全に新しく生まれ変わったことの意味を深く覚えつつ自分のことを考える」ということである。

約二千年前に、キリストは十字架上で死に、そしてよみがえられた。そのとき、私たちはキリストと共に死んで、キリストと共によみがえった。「死んだ」というのは、罪に対して死んだのである。キリストとともによみがえったのは、神に対して生きるためである。そのことを厳然たる事実として認め、その事実を認識して、それに相応しい生活をするようにと、パウロは私たちに勧める。自分は何者なのかということを、本当の意味で正しく認識して、それを覚えて歩むのである。何か表面的に相応しく振る舞うということではなく、本当に心の一番深いところが根本的に変わったので、その新しいいのちに相応しく生きる、ということである。

「キリストの恵みによって、私の罪が赦されて、贖われて、私は罪に対して死んで、神に対して生きた者となった。それで、私はキリストにあって神の子どもとなり、キリストにあって神から愛され、永遠の契約の祝福を受け、キリストにあって、私は新しい歩みができる者となった。もはや罪の奴隷ではなくなった。私は神の御国を求めて、神の御国のために実を結ぶことができる者となった。私は、神に対して生きた者となった。私は心が根底から変えられた。私は神を愛する者となった」と、真に認識して把握するとき、深くそのことについて思いめぐらすとき、それは自分の生活に対して決定的な影響を与え、「主イエスに結ばれて神に対して生きる者」と、されていくのである。

なぜなら、心の中で思うこと、心の中で考えること、自分について思うこと、それらがその人の生活において実行されるからである。