2023.2.12 主日礼拝の案内

2023.2.12 主日礼拝の案内
週 報 78 巻 7 号 2023.2.12
それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。(ローマの信徒への手紙7章13節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  三 輪 志 都

 
<神の招き>
 
招 詞   ヨハネによる福音書4章23節
 23  しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
*讃 詠  (21)28

 
*罪の告白と赦し 交読詩編32編1節~5節
1 【ダビデの詩。マスキール。】
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てました。〔セラ
わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
 
*讃美歌  (21)206(1―2)

 
<神の言葉>
 
聖 書   創世記3章1節〜7節      (旧約P.3)
1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
2 女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
4 蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。 
5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
 
ローマの信徒への手紙7章7節~25節(新約P.282)
7 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。 
8 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。 
9 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、 
10 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。 
11 罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。 
12 こういうわけで、律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものなのです。
13 それでは、善いものがわたしにとって死をもたらすものとなったのだろうか。決してそうではない。実は、罪がその正体を現すために、善いものを通してわたしに死をもたらしたのです。このようにして、罪は限りなく邪悪なものであることが、掟を通して示されたのでした。 
14 わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは肉の人であり、罪に売り渡されています。 
15 わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。 
16 もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 
17 そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 
18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 
19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 
20 もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 
21 それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。 
22「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、 
23 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。 
24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 
25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
 
祈 り             増 田 裕 子
 
*讃美歌  (21)433(1,5,6)                                                                                                                              説  教  「律法と罪の関係」   鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌  (21)442(1,2,5)

 
*使徒信条
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
*献金感謝

 
主の祈り(座席前そなえつけ)

天にまします我らの父よ、
願わくは御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたまえ。
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
アーメン


*頌 栄  (21)29


*派遣と祝福

 
*後 奏

 
礼拝当番
(今週)薄田 東正

(次週)森﨑 千恵

 
献金当番
(今週)済陽 高志 白川 典子

(次週)安井 国雄 浜野 陽子

 
ライブ配信当番
(今週)新畑 信

(次週)小出 勝

2023.2.12~2023.2.18 の集会案内

2023.2.12~2023.2.18 の集会案内
      集 会
 
〇日曜学校           9:00

〇朝カフェ           休  会

〇クワイア練習         中  止

〇礼拝堂・1階の清掃(有志)    礼 拝 後

〇受洗後の学び          礼 拝 後

 
今 週 の 集 会
 
◎祈祷題「執事の働きのため」

 
〇聖書の学びと祈りの会   2月16日(木)10:00
ヨブ記37章(担当 鈴木 美津子) 司会 森 﨑 千 恵
 
次 週 礼 拝
 
説教 「わたしの中に住んでいる罪」 鈴木 美津子
詩編103編1節~22節

ローマの信徒への手紙7章7節~25節

 
讃美歌            板 垣 玲 子
545B、23 (1-2)、85(1,4)、365(1-2)、543

日曜学校説教 「エルサレム入城」  森 﨑 千 恵
ヨハネによる福音書12章12節~19節

2023.2.12 週報 教会からのお知らせ

2023.2.12 週報 教会からのお知らせ
【神学校卒業式】

日時:2月27日(月)13:00 神学校

対面とオンラインの両方で行います。

 
◇3月2日(木)大石啓介神学生による祈祷会奨励があります。

祈祷会後、サンドイッチで交わりの会をもちます。ご希望の方は

野田昭子まで、19日までにお申出ください。

 
ヤスクニ社会問題委員会・学習会のご案内

日時:2023年2月23日(木・休)午後2時~5時 場所:鶴見教会

講演題:『原発に抗い続けた人々』

講師:松谷彰夫(福島伝道所委員)

*オンライン参加希望の方は、下記のメールアドレスに「氏名」「教会名」をお知らせください。

Zoomのリンクをお送りいたします。

haga-s@orion.ocn.ne.jp

なお、3日経っても返信のない場合には、03-3959-4052(豊島北教会)までご連絡ください。

機械操作の都合で、当日オンライン参加者は質問・発言ができません。

*問い合わせ: 篠塚予奈(当委員会委員長)

046-822-7034

4748.yona@gmail.com

2023.2.12 の週報掲載の説教

2023.2.12 の週報掲載の説教
<2023年1月22日の説教から>
『神の恵みの下にある者として』
ローマの信徒への手紙6章12節~14節             牧 師 鈴木美津子

なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです(14)」。

新しく生まれた者は、もはや罪によって支配されることはない。自分が何者なのかを覚えて神に自分自身をささげて歩むならば、決して罪に支配されることはない、ということである。「罪に対して死に、神に対して生きる者となった」ということは、真に神の栄光のために生活を送ることができる者になったということであるからだ。

しかし、キリスト者になったから、罪を全然犯さなくなって完全な者となった、いうことではない。「たとえ罪を犯しても、御前に悔い改めて、もう一度立ち上がって義の道を歩む」者になったということである。キリスト者は罪の支配に対して死んだ。

私たちはキリストを信じて、恵みを受け、罪の支配に死んで、新しく生まれた。これは神の一方的な恵みの業である。私たちは、今は恵みの下にあるので、自分をキリストと共に死んでキリストと共に生きている者だということを認めることができる。なぜなら、キリストにあって生きているということを覚えて、自分を神にささげる人生を送ることができるのは、恵みの下にあるからだ。

しかし、そうであると覚えながらも私たちは罪を犯す。私たちは罪人だから、どうしても、失敗したり罪を犯してしまう。だからこそ、私たちは恵みの下にあるので、自分の罪を悔い改めて、キリストを信じて、なおも自分を神にささげるのである。

私たちは「恵みの下にある」ということの意味を、私たちの日々において常に覚えて、考えなければならない。それは、私たちが繰り返し自分の罪を告白し、それらを悔い改め、神の恵みとその赦しに信頼するということである。神は、毎主日に特別の交わりのために御自身の御前に出るように私たちを招いてくださる。それは、私たちが何者であるか、何を目的にして生きている者なのか、恵みの下にいるとはどのような意味であるのかを思い起こさせられる時である。