2023.4.23 主日礼拝の案内

2023.4.23 主日礼拝の案内
 
週 報78巻17号 2023.4.23
 
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。

キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 (ローマの信徒への手紙9章5節)

 
主 日 礼 拝   午前 10:30
奏楽  三 輪 志 都

 
<神の招き>
 
招 詞   マラキ書3章1節
1  見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
 
*讃 詠   546

聖なるかな

聖なるかな

聖なるかな

主なる神

昔いまし 今いまし

永久にいます

主をたたえん

アーメン

 
*罪の告白と赦し 交読詩編32編6節~11節
6 あなたの慈しみに生きる人は皆
あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してありません。
7 あなたはわたしの隠れが。
苦難から守ってくださる方。
救いの喜びをもって
わたしを囲んでくださる方。〔セラ
8 わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。
それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。
そのようなものをあなたに近づけるな。
10 神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
 
 
*讃美歌   67(1-2)
 
よろずのもの とわにしらすみ父よ、

いまめぐみを くだしたまえ、

み名をほむる われらに。

2 人となりし すくいのみ子、主イエスよ、

利(と)きつるぎの みことばもて しめしたまえ まことを。

 
<神の言葉>
 
聖 書   出エジプト記32章30節~35節 (旧約P.148)
30  翌日になって、モーセは民に言った。「お前たちは大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない。」 
31  モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。 
32  今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」 
33  主はモーセに言われた。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。 
34  しかし今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く。しかし、わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する。」 
35  主は民がアロンに若い雄牛を造らせたので、民を打たれたのである。
 
ローマの信徒への手紙9章1節~5節    (新約P.286)
わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、 
わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。 
3  わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。
 彼らはイスラエルの民です。神の子としての身分、栄光、契約、律法、礼拝、約束は彼らのものです。 
先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
 
祈 り            三 浦 勇 二
 
*讃美歌   312(1-2)
 
1.いつくしみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを

とり去りたもう。こころの嘆きを 包まず述べて、

などかは下ろさぬ、負える重荷を

2.いつくしみ深き 友なるイエスは、われらの弱きを

知れて憐れむ。悩みかなしみに 沈めるときも、

祈りにこたえて 慰めたまわん。

 
説  教   「選びの民のために祈る」     鈴木 美津子
 
<神への応答>
 
*讃美歌   502(1-2)

 
1.いともかしこし イエスの恵みつに死にたる

身をも活かす。主よりたまわる あめの糧に飢えしこころも

飽き足らいぬ。世にあるかぎり、きみのさかえといつくしみとを

かたりつたえん。

2.すくいのめぐみ 告ぐるわれはたのしみあふれ

うたとぞなるほろびをいでし

このよろこび、あまねくひとに えさせまほし。

世にあるかぎり、きみのさかえといつくしみとを

かたりつたえん。

 
*使徒信条
 
わたしは、天地の造り主、全能の父なる神を信じます。

わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。

主は聖霊によってやどり、処女マリヤから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで

苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に

死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます。

わたしは、聖霊を信じます。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、

からだの復活、永遠のいのちを信じます。  アーメン。

 
公 告

 
*献金感謝

 
*主の祈り(座席前そなえつけ)
天にまします我らの父よ、
 
願わくは御名をあがめさせたまえ
 
御国を来たらせたまえ。
 
御心の天に成る如く、地にもなさせたまえ。
 
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 
我らに罪を犯す者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。
 
我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ。
 
国と力と栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。
 
アーメン
*頌 栄  544

あまつみたみも ちにあるものも

ちちみこみたまの 神をたたえよ

神をたたえよ

アーメン

*派遣と祝福

 
*後 奏

 
 
礼拝当番

(今週)野田 昭子

(次週)済陽 高志

 
献金当番

(今週)安井 国雄  浜野 陽子

(次週)三浦 勇二   鈴木 惠子

 
ライブ配信当番

(今週)新畑  信

(次週)小出 勝

2023.4.23~2023.4.29 の集会案内

2023.4.23~2023.4.29 の集会案内

      集 会
〇日曜学校          9:00

〇朝カフェ          休  会

〇クワイア練習        中  止

〇礼拝堂の清掃(有志)     礼 拝 後

〇日曜学校教師会       礼 拝 後

 
今 週 の 集 会

 
◎祈祷題「新しい任地に赴く教師のため」

〇聖書の学びと祈りの会       4月27日(木) 10:00

ヨナ書2章(担当 鈴木 美津子)  司会  森 﨑 千 恵

 
次 週 礼 拝
説教「約束の子」                            鈴木 美津子

創世記22章16節〜18節

ローマの信徒への手紙9章6節~9節

 
讃美歌     田 中  愛

545A、19(1—3)、85(1—2)、281(1—2)、539

 
日曜学校説教 「パン裂きの中で」  加 藤 純 子

ルカによる福音書24章28節~35節

2023.4.23 週報 教会からのお知らせ

2023.4.23 週報 教会からのお知らせ

◇本日から、五十嵐喜和先生とご家族が浦和教会礼拝に出席される

ことになりました。

 
<東京中会の牧師就職式>

・2023年4月23日(日)15:00~  西経堂伝道所 西田恵一郎教師

鈴木美津子牧師が出席

・2023年4月30日(日)15:00~ 場所:東京中央伝道所

多摩地域教会建設式並びに大石周平教師の牧師就職式

鈴木美津子牧師、松谷信司長老が出席

 
◇新型ウイルス感染症に対する規制が解除され、感染も収まりつつ

ありますので、第5週の礼拝も含めて、2階での礼拝を基本にすることにいたしました。2階会堂にお上がりの際は、ご遠慮なさらず受付で補助をお願いしてください。

また、1階で礼拝を希望の方は、受付にお申出ください。

1階で礼拝する方の献金は、礼拝前に受付で捧げていただきます。

*礼拝の際は、会堂の前の方の席を空けずにお座りください。

2023.4.23 の週報掲載の説教

2023.4.23 の週報掲載の説教
<2023年3月5日の説教から>

『死ぬはずの体をも生かしてくださる神』

ローマの信徒への手紙8章5節~11節

 
牧 師 鈴木美津子

もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。(11)」

私たちの内に宿っている神の霊は、主イエスを死者の中から復活させられた神の霊でもある。そうであれば、「神は、あなたがたの内に宿る霊によって、あなたがたをも復活させてくださる」とパウロは言う。彼はコリントの信徒への手紙一の15章でキリストの復活についての詳細を記しているが、そこで主イエスの復活は、私たちの初穂であったと記している(一コリント15:20)。初穂はその畑の収穫を保証するものである。だから、主イエスを信じる者は、主イエスと同じように、朽ちることのない、栄光の体で復活する。しかし、それは主イエスと同じ死から3日目ではなく、キリストが栄光の主として天から来られる日に、復活させられる。ではなぜ私たちは主イエスと同じように復活すると言えるのか?それは、私たちの内に宿っている聖霊が、主イエスを復活させられた神の霊であるからだ。

ここでパウロが語っていることは目に見えない信仰の世界のことである。主イエスが「世は、この霊を見ようとも受け入れようともしないので、受け入れることができません」(ヨハネ14:17)、と言われたように肉の支配下にある者にとっては、ここでパウロが語ることは、戯れ言のように思えるだろう。しかし、目に見えないものを信じることが信仰である。目に見えるものだけで世界は成り立っているのではない。目に見えない世界を信じること、それが現代に生きる私たちにも必要なことである。そして、そのような目に見えない世界、霊に属することを考えることができるのは、聖霊なる神が、私たちの心に宿っておられるからである。

パウロは、7章24節で、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と語ったが、その嘆きの答えが、8章11節で語られている。キリストを復活させた神が、その霊によって、私たちの死ぬはずの体をも生かしてくださる。私たちもいずれは死んで、この地上の生涯を終ることになる。しかし、神はその私たちを世の終わりに、主イエスと同じ栄光の体で復活させてくださるのである。