2023.4.23 の週報掲載の説教

2023.4.23 の週報掲載の説教
<2023年3月5日の説教から>

『死ぬはずの体をも生かしてくださる神』

ローマの信徒への手紙8章5節~11節

 
牧 師 鈴木美津子

もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。(11)」

私たちの内に宿っている神の霊は、主イエスを死者の中から復活させられた神の霊でもある。そうであれば、「神は、あなたがたの内に宿る霊によって、あなたがたをも復活させてくださる」とパウロは言う。彼はコリントの信徒への手紙一の15章でキリストの復活についての詳細を記しているが、そこで主イエスの復活は、私たちの初穂であったと記している(一コリント15:20)。初穂はその畑の収穫を保証するものである。だから、主イエスを信じる者は、主イエスと同じように、朽ちることのない、栄光の体で復活する。しかし、それは主イエスと同じ死から3日目ではなく、キリストが栄光の主として天から来られる日に、復活させられる。ではなぜ私たちは主イエスと同じように復活すると言えるのか?それは、私たちの内に宿っている聖霊が、主イエスを復活させられた神の霊であるからだ。

ここでパウロが語っていることは目に見えない信仰の世界のことである。主イエスが「世は、この霊を見ようとも受け入れようともしないので、受け入れることができません」(ヨハネ14:17)、と言われたように肉の支配下にある者にとっては、ここでパウロが語ることは、戯れ言のように思えるだろう。しかし、目に見えないものを信じることが信仰である。目に見えるものだけで世界は成り立っているのではない。目に見えない世界を信じること、それが現代に生きる私たちにも必要なことである。そして、そのような目に見えない世界、霊に属することを考えることができるのは、聖霊なる神が、私たちの心に宿っておられるからである。

パウロは、7章24節で、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」と語ったが、その嘆きの答えが、8章11節で語られている。キリストを復活させた神が、その霊によって、私たちの死ぬはずの体をも生かしてくださる。私たちもいずれは死んで、この地上の生涯を終ることになる。しかし、神はその私たちを世の終わりに、主イエスと同じ栄光の体で復活させてくださるのである。