2023.10.8 の週報掲載の説教

2023.10.8 の週報掲載の説教
<2023年7月30日説教から>

『一つの体を形づくる』

ローマの信徒への手紙12章3節~8節

牧 師 鈴木美津子

 
パウロは、キリストを信じる者たちが形づくる共同体、つまりキリストの体なる教会の中では、「自分を過大に評価してはなりません(3b)」と命じる。自分自身に過大な評価をして、他の人を蔑まないように、謙虚な心を持つようにと命じているのである。しかし、これは「自分を評価する時に、控えめに評価せよ」ということではない。それは言うまでもなく、恵みを与えくださる神ご自身を否定しているのと同じだからである。それは他の人に対しても同様である。そうであるから、パウロは「むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべき(3c)」である、と語るのである。人間のはかりではなく、信仰のはかりにしたがって、しかも神が与えくださった信仰のはかりにしたがって、慎み深く各自を評価するようにと命じているのである。

これを語るパウロには、教会という共同体が、キリストを頭とした一つの体とする思いがある。人間の体というのは、さまざまな部分から成り立っている。体には手があり、足があり、手には指があり、顔には目や鼻や口があるように、教会に集う一人一人のキリスト者も、そのように一つの体なる教会を造り上げている。しかも、一つの体を構成している部分は多様な部分からなっているが、それぞれの部分同士を比較して、どちらの方が優れている、またどちらの方が劣っている、とは言えない。むしろ、それぞれの部分が互いに他を必要としているからこそ、一つの体としてもっともよく機能していくことができるのである。このようにキリストを信じる者たちが、互いに他を必要とする体の部分であるという認識を持っていれば、そこには傲慢な思いも、蔑む思いも生まれて来るはずがないはずである。だからこそ、互いがそれぞれに自分に与えられた責任を果たすことで、一つの体としてもっともよく成長できることを覚える必要があるのだ。
教会は、キリストを頭として一体性と多様性をバランスよく保ちながら豊かに成長していく共同体である。そして、そのような共同体を自分もまた構成している一人一人であることを謙虚に自覚し、互いに対して果たすべき責任を深く思うことが大切なのである。パウロは、6節以下で、それぞれに与えられる賜物について記しているが、私たちはその賜物を各々慎み深く思い、一つの体なる教会を形づくるために用いていきたいと願うのである。