2024.3.31 の週報掲載の説教

2024.3.31 の週報掲載の説教

<2024年2月11日説教>

『初めに言があった』
ヨハネによる福音書1章1節~5節

牧師 鈴木 美津子

 
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(1)」

「初めに言があった。」これは明らかに、ヨハネが創世記の冒頭を意識して記した言葉である。創世記は、捕囚の地バビロンで書かれたと言われている。イスラエルはバビロニアとの戦争に負けて国が滅ぼされ、住民の多くは捕虜として、バビロニアの首都バビロンに囚われた。彼らは、故国エルサレムに帰る希望もなく、その前途は真っ暗闇であった。しかし、彼らがエルサレムの神殿に思いを馳せ、その地の礼拝の中で、はるか遠いバビロンの地にも、自分たちの神が共におられる事を知った時、彼らは闇の中に一筋の光を見出した。

この当時、ヨハネの属する教会も、厳しく、辛い迫害のただ中にあった。しかし、神はかつて言葉で天地を創造されたように、今、また神は「」を用いて新しい創造をされた、キリストが人となることによって新しい時代が始まったと、ヨハネは語る。当時、教会を取り巻く状況は、混沌として、まさしく暗闇が光を理解しない、光を覆い隠してしまうような状況であったのである。けれども、ヨハネは言う。光は暗闇の中で輝いている。その光をヨハネはどこで見たのか。それは何より主イエス・キリストの十字架においてである。「暗闇は光を理解しなかった」。この言葉を、他の聖書は、「闇は光に打ち勝たなかった」と訳している。

「理解する」と訳された言葉は、元の言葉は、「とらえる」という意味がある。理性でとらえると「理解する」となり、力でとらえると「打ち勝つ」となる。暗闇は光に打ち勝たなかった。なぜなら、十字架につけられたイエス・キリストは、死から三日目によみがえられたからだ。光は暗闇の中で輝いている。この光は、何より復活された主イエス・キリストの光である。復活された主イエス・キリストが光として今も私たちを照らしてくださっている。それゆえに、今に生きる私たちもヨハネと声を合わせて、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」と永遠からおられるキリストをほめたたえることができるのである。