2024.4.7 の週報掲載の説教

2024.4.7 の週報掲載の説教
<2024年2月18日説教>

『証し人ヨハネ』
ヨハネによる福音書1章6節~13節

牧師 鈴木 美津子

 
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。(6-7)」

ここに登場する「ヨハネ」は、主イエスより先に生まれ、主イエス様に先だってヨルダン川に忽然と姿を現わした洗礼者ヨハネのことである。そして、彼は主イエスに洗礼を授けた預言者である。この当時、洗礼者ヨハネは、悔い改めを求める説教をし、ヨルダン川で洗礼を授け、多くの人々から支持され、大変な影響力を持っていた。「洗礼者ヨハネこそが旧約の預言者によって預言されてきた救い主、メシアではないか」、そのように思っていた人も少なくなかったのだ。

しかし聖書は、洗礼者ヨハネは主イエス・キリストについて証しするために来たのだと告げている。神に選ばれ、遣わされた人であるので、洗礼者ヨハネもまた偉大な預言者であるに違いない。しかし、彼は、あくまで主イエスを指し示す人であり、主イエス抜きにして偉大な人ということではない。8節に「彼は光ではなく、光について証しをするために来た。」とある。つまり、洗礼者ヨハネは光ではない。光は主イエス・キリストである。彼が光について、つまり主イエス・キリストについて証しをするというのは、「主イエスが誰であるか、どんな方であるのか、そのことを告げる」ということ。そして、この証しの目的は、つまり洗礼者ヨハネの目的は、彼の証しを聞く人が「主イエス・キリストを信じるようになる」ということである。預言者として彼の使命は、正確に主イエス・キリストを指し示すということなのである。
この洗礼者ヨハネの役割を現代において担っているのが、教会であり、私たちキリスト者である。教会に来れば主イエスが分かる、キリスト者に出会えば主イエスが分かる、そのような使命を与えられた者として私たちは、ここに、この浦和教会に立てられているのである。