2026.9.6 週報掲載の説教

2026.9.6 週報掲載の説教

<2026年6月14日の説教から>

『この書が記された目的』

ヨハネによる福音書20章30節〜31節

鈴木美津子

ヨハネ福音書20章30〜31節は、この福音書全体の目的を語る箇所である。ヨハネは、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの何より命を受けるためである」と語る。ここでヨハネは、単なる歴史の記録を書いているのではない。この福音書を読む者が、イエス・キリストを信じ、命を受けるために書いているのである。

ヨハネ福音書は、「初めに言があった」という言葉で始まる。ヨハネは、イエス・キリストを単なる歴史上の人物としてではなく、天地創造に関わるお方として語っている。そして、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と語り、神ご自身がこの世界に来てくださったことを示す。苦しみや涙、罪と死の現実の中へ、神ご自身が来てくださったのである。

ヨハネ福音書は、数々の「しるし」を通して、このお方がどなたであるのかを示していく。水をぶどう酒に変え、病人を癒やし、多くの人々を養われた。特にラザロの記事では、「わたしは復活であり、命である」という言葉が語られる。主イエスは、涙を流される主として、人の悲しみのただ中に立たれた。そして、ラザロを墓から呼び出された。この出来事を通してヨハネが示しているのは、「このお方のうちに命がある」ということである。

しかしこのお方は、十字架へ進まれた。人々に拒まれ、弟子たちにも見捨てられた。それでも逃げることなく、ご自身の命を与えられた。ヨハネ福音書は、十字架を敗北ではなく、神の愛が最も現された時として語る。そして十字架で終わるのではなく、復活へ至る。復活の主は、マリアに、恐れる弟子たちに、疑うトマスに現れてくださった。

トマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と告白する。この告白は、ヨハネ福音書全体の結論とも言える。ヨハネ福音書は最初から最後まで、「イエス・キリストとは誰か」を語っているのである。そしてこの福音書は、今も御言葉を通して、私たちを復活の主へと導いている。