ペンテコステでお祝い

2019年6月9日 ペンテコステ。
本日のペンテコステ礼拝後 
信仰50周年を迎えられた方のお祝いがありました。
1969年クリスマスに平田正夫牧師より受洗されました。
おめでとうございます。
浦和教会からのお祝い品は、ご本人のご希望により、CDです。


2019.6.9のお知らせ

◇本日、信仰50周年を祝われる方は小沢初江さんです。
1969年クリスマスに平田正夫牧師より受洗
 
【「聖書・教理の公開講座」ご案内】 
71()19002030 鶴見教会
テーマ:新約聖書・その他の書簡と黙示録 住谷 眞牧師
72()19002030 鶴見教会
テーマ:教理・終末論
*申込書の送付は真田 牧師まで (FAX)0339826326
 締切:617()  受講料:1000
◇訃報
大月美智子さんが65()召されました。享年88
葬儀式は8() 三輪牧師司式により浦和教会で行われ、
火葬は戸田斎場にて行われました。

2019.06.09~15 今週の集会

今 週 の 集 会
 
祈祷題「木曜祈祷会のため
聖書の学びと祈りの会        13日()10:00
  歴代誌上29章(担当 三輪地塩)   司会
聖書の学びと祈りの会          13日()14:00
  詩編62編             担当
牧師予定】
第1回教育交流部合同委員会(柏木)11()14:30
立教大学講義 11()、聖学院大学講義12日(水)

2019.06.09 礼拝予定

2019.06.09              
             主日礼拝     午前10:30

   <ペンテコステこどもおとなの合同礼拝・聖餐式>

 
   奏楽   
                  
            <神の招き>
招 詞  ローマの信徒への手紙121
*讃 詠  (21)83
*罪の告白と赦し 交読詩編14115a
*讃美歌  (21)17
 
<神の言葉> 
聖 書 ヨブ記421節〜6   (旧約P. 832
   マルコによる福音書169節~13
                 (新約P.97                         
祈 り                           >                                                                         
*讃美歌  (21)462
  教 「マグダラのマリアに現れるイエス     
                     三
                                                       
<神への応答>
*讃美歌  (21)343
*日本キリスト教会信仰の告白
 聖餐式  (21)81
 公 告 
*献金感謝 (21)346     クワイア       
*主の祈り (座席前そなえつけ)  
*頌 栄  (21)46
*派遣と祝福
後 奏            
      聖餐補佐  伊木、三浦、安井、松谷
 
="left" style="margin:0mm 0mm 0pt 45pt;text-align:left;line-height:10pt;text-indent:-45pt;">「*」の箇所は起立して行いますが、立つのが困難な方は
お座りのままでどうぞ。
 

礼拝当番(今週)増田、菊地、入江、大嶋
     (次週)加藤、新畑、岡野、小川澄
 

掃除当番今週)深沢、阿部、岡野、松沢
        小出和、室橋
(次週)入江、増田、塩澤、岩本
    吉田耕、吉田さ、武政明

2019.6.2のお知らせ  

【「聖書・教理の公開講座」ご案内】東京中会
71()19002030 鶴見教会
テーマ:新約聖書・その他の書簡と黙示録 住谷 眞牧師
72()19002030 鶴見教会
テーマ:教理・終末論
【辺野古新基地建設反対スタディツアー】
日時:201971()3()名護市のホテルの2
内容:キャンプシュワブの抗議活動に参加、大浦湾視察、
   沖縄伝道所伝道祈祷会、講演会など。
◇先週26()9:00 地域の清掃奉仕を有志3人で行い
ました。
 

2018.10.28 説教

                <1028日の説教から>
                『腰掛をひっくり返す
             マルコによる福音書1112節~19
                                 牧師 三輪地塩
 イエスは神殿を「強盗の巣」と批判し、堕落した宗教祭儀を嘆いている。「両替商」とは、神殿にお金を納めるための「両替」である。当時ユダヤ地方の通貨は、ローマの貨幣が使われていたが、神殿に納めるためには「ユダヤの通貨」に両替してから献げねばならなかった。問題は、その両替レートがあまりにも法外なものだったことにある。
 
 もう一つは「鳩を売る者の腰掛けをひっくり返した」のである。当時鳩は、犠牲獣として売られていた。聖書には「焼き尽くす捧げ物」と呼ばれる屠るための犠牲獣が出てくる。牛や羊よりも手頃な鳩は重宝された。だが、この鳩が法外な値段で取引されていただ。今でも有名観光地では客の足下を見るように土産品や特産物は高いものである。この神殿では神への捧げ物にこの市場原理を用いていたということである。
 更に、これは推測でしかないが、「犠牲獣」と言いながら、実は「焼き尽くさず」こっそり裏道から生きて戻されて、また売られた、という事も十分に考えられる。
 つまり、神殿そのものが、宗教ビジネスの巨大な装置として金のなる木としてのシステムが出来上がっていたと言える。まさに、宗教界の「白い巨塔」さながらの宗教ビジネスに、司祭やレビ人のような神殿祭儀を勤めとする宗教者たちも関与し、その利権の恩恵にあずかっていた、と考えられるのだ。
 主イエスは、その歩みの中で、多くの苦しむ者、排除された者、病に塞ぎ込む者、生きる力を無くした者、神の祝福に預かれない罪人たちの隣人になってきた。外国人、身体障害を持つ者、子どもたちといった礼拝に預かれないと思われて来た人々を積極的に神の下に引き入れたのであった。しかし、その救いのシンボルであるはずの神殿が、彼らを排除し、むさぼり、詐欺まがいの行為を行っているとすれば、そこは既に神の家ではなく、強盗の巣そのものである、とイエスは言うのである。「怒るイエス」の姿は、我々のイエスのイメージにはあまり馴染まないかもしれないが、その怒りの裏には、イエスの深い愛があるのだ。