使徒言行録16章16節-40節 「あなたも家族も救われます」

 使徒言行録16章16節-40節 「あなたも家族も救われます」

 私たちは、自由を求め、自由を謳歌し、自由である事を人生の一つの目的としています。行きたいところへ行き、好きな事をし、選びたいことを自分の意志で決める。学問の自由、職業選択の自由、思想・信教の自由。私たちの生きるこの日本社会は、そのような自由が与えられているのです。
 「自由」という言葉を考えるとき、思い出すのは「Arbeit macht Frei」(アルバイト・マハト・フライ)という言葉です。アウシュビッツの入り口に掲げられた標語で「働けば自由になる」という意味であります。収容所に収監されたユダヤ人たちが、この言葉を信じて働き続けたわけです。けれども、この標語が大嘘であった事を歴史は証明しています。しかしながら、この「働けば自由になれる」という言葉は、戦後65年以上経った今も、時代を越え、国を越えて、私たちの心に深く突き刺さる言葉となっています。

 戦後私たちの国は、民主主義体制となり、著しい経済成長と共に、国民はこれを慶び、人生をより良きものとして謳歌してきたのです。しかしその果てにもたらされた、市場原理主義、新自由主義経済が、私たちの求める本当の自由の姿であったのかという疑問が、頭をもたげてきました。それによって「働けば自由になれる」という言葉は、決して過去の遺物ではなく、現代社会に空しく響き渡る言葉として迫ってくるのです。働いても自由を得られない者たち、ワーキングプアについての現状を、毎日のように耳にするこのご時勢です。自由競争に耐えうるものがより強くなっていき、弱い者は更に弱くなっていく。それが格差を生み、一握りの成功者と、その成功の陰で日々の糧にありつけない多くの労働者たちが存在する。それが自由の目指す最終的な姿であるならば、それはもはや、本来の喜ばしい自由の形ではありません。それは、私たちの生きる世界が、自由を求める私たちに完全な自由を与えてくれない世界である、ということ。競争原理に生きるということは、成績を求められるということ。そこには既に自由は存在しないのかもしれません。

 今日の箇所で私たちは「自由」の本質を問われます。キリスト者にとって自由とは何かであります。フィリピの町に滞在していたパウロとシラスは「占いの霊に取り付かれている女奴隷」に出会います。この占い師は主人たちに多くの利益を得させていました。しかしパウロはこの女奴隷が悪霊に取り付かれているため占いを行なっていることを察知し、「この女から出て行け」という言葉と共に悪霊を追い出し、この女性の本来の姿を回復させたのであります。

 しかし彼女の主人たちは怒ります。彼女は占いが出来なくなったからです。主人たちはパウロとシラスを広場へ連れて行き、鞭で打ち、牢に投げ込みました。女奴隷の主人たちが何ゆえにパウロたちを捕らえさせたのでしょうか。それは女奴隷が利益を出さなくなったからです。彼女から利益を得ていた主人たちは「良い占い師として稼いでいたのに、その力を奪うとは何事か」と憤慨したのです。そして「金儲けの望みがなくなってしまった事を知った直後に」パウロたちは囚われてしまうのです。それはまるで、この世の中が最も必要としている事柄が、御言葉ではなく利潤であると言っているかのようであります。この女奴隷は神の御言葉によって主イエスの名によって救われました。悪霊に取り付かれていた彼女は、本来の姿を取り戻したのです。しかし御言葉ではなく利益。キリストによる世界ではなく経済による世界を求めている人間の姿を示されます。

 パウロとシラスは衣服を剥ぎ取られ、何度も鞭打ちを受けたのち捕らえたのです。彼らには厳重な監視がつきました。足枷をはめられ、身柄を拘束されたのです。しかしこの時自由を奪われていたのは誰であったのか。その事が次の瞬間明らかとなるのです。

 その夜、突然大地震が起こり、牢が揺れ動き、扉が開き、全ての囚人の鎖が外れてしまうのです。看守は目を覚まし、牢の扉が開いているのを見て恐れます。彼らは恐れたのです。それは扉が開いた事実への恐れ、神の業への恐れではなく、囚人を逃してしまったことの故に、これから自分の身に何が起こるか分かっているが故の恐れであります。すなわち彼らは自害しなければならなかったのです。それがローマ法によって統治された国と、看守たちのルールであったのです。彼らはローマ法を遵守せねばならなりませんでした。決して彼らが望んだものではありませんでしたが、彼らにとってローマ法は絶対でありました。そしてやむなく剣を抜き、自害を決心するのです。

 しかし彼らのもとに、パウロとシラスが帰ってきたのです。この出来事を我々はどう読めばよいのでしょうか。彼らは自由の身になっていたのです。もう鉄格子から離れ、手枷足枷を外されてその場所から逃れることが出来たのです。鞭打ちの刑は、子どもの教育としてされていたものとは全く違い、酷い時はショックにより命を落としさえいたします。パウロとシラスが収監されていたということは、死が目前に迫っていたことを示すのです。しかし彼らは戻ってきたのです。我々はこの彼らの行いを何と見るでしょうか。馬鹿な事だと責めるでしょうか。お人好しの行為として呆れ返るのでしょうか。しかし私たちはここに信仰者の自由の何たるかを見ることが出来ると思うのです。もう一度捕まることによって、どんなことになるかを彼らは良く知っていたはずです。もう一度鞭で打たれ、その痛みに耐え切れずに、命を落としてしまうかもしれない。あるいは過酷な条件の下で、餓死をするか、病気に掛かって獄死をするか、いずれかであったことでしょう。彼らは自由でした。しかしその自由を用いて看守のもとに戻ってきたのです。

 それは彼らが本当の「信仰における自由」を持っていたからであります。彼らにとって、否、私たちキリスト者にとって「自由」とは、この身を自分の思い通りに用いるだけではなく、また好きな事を選べる権利があるというだけではなない。私たちは、世の中自体が囚われている巨大権力や、国家体制などから自由であり、病気や体の痛みから自由であり、死からも自由の身となるのであります。
 ここに主イエスの十字架を見ることが出来ます。主イエスは神の御子故に、また神の御子という自由の中で十字架をお受けになりました。それは神から与
えられた、何人(なんぴと)にも左右されずに神の御心を問い続けがゆえに、十字架を選び、苦しみの道を選んだのであり、それが神の求めた道であったのです。それが主イエスの自由な選択の故に行なわれたのでありました。

 マルティン・ルターの「キリスト者の自由」という本の中で彼はこう言います。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない。キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、だれにも従属している。」(マルティン・ルター「キリスト者の自由、第1」より)
 彼らは、大地震が来る前から既にキリストによって自由でありました。それは「真夜中の讃美」が物語っております。投獄された人の最期は痛みと苦しみに耐えるものであります。しかしパウロとシラスは「真夜中ごろ、讃美の歌を歌っていた。他の囚人もこれに聞き入っていた」というのです。およそ繋がれた者でないかのように、喜びに溢れているではありませんか。しかしこれがキリスト者の自由なのであります。

 ウィリアム・。ウィリモンという説教者の中で、次のような話が紹介されていました。アンゴラの教会の司教の話しです。アンゴラは社会主義国家であり、教会が立っていくのは容易ではありません。しかしエミリオ・デ・カルバリョというこの司教は次のように言っているのです。「社会主義政府は教会に協力的ではありません。けれども私たちは政府に対して、教会に協力する事を求めていません。ついこの間、教会内の女性組織を全て解体するようにとの法律を政府は制定しました。それでも女性たちは集会を続けました。政府がもし今より強硬に女性集会の解体を求めてきても、私たちは集会を続けるでしょう。政府は成すべき事を成す。教会もまた、成すべき事をなすのです。もしも私たちが教会であり続けるために牢屋送りとなるなら、牢屋にも行くでしょう。多くの者たちが投獄されることになったあの革命の期間。我々の教会は実に大きな収穫を得ました。牢はたくさん人の集まってくる場所です。説教し、教える時間があります。あの革命の期間、確かに20名の教会の牧師が殺されましたが、我々が牢を出たとき、人数も力も、それまでよりもずっと豊かな教会になっていたのです」。このようなお話でした。

 ルターも言います。「人間の肉体が、病みつかれ、飢え渇き、悩み苦しんでいるとしても、このことが魂に何の損失をもたらすだろうか。無条件に神の恵みを信じた者は、その信仰から神への愛と喜びとが溢れ出て、また愛から価なしに隣人に奉仕する、自由な、自発的な、喜びに満ちた生活が出発することだろう。魂は清められ、罪は払拭される。そこにはキリスト教的自由があり、あたかも天が高く地を超えているように、高くあらゆる他の自由にまさっている自由が存在するのである」と。

 看守たちはパウロとシラスの牢獄の鍵をもっていました。しかし独房の鍵を持つことが自由なのではないのです。鍵を持つことに怯え、たった一度の粗相によって自害を強要されている以上、彼らは自由ではないのです。自分たちは自由であると誇り高く語っていた人々は、実はローマ皇帝に支配され、虐げられ、巨大な国家権力に隷属していた者たちなのです。実際彼らは自由ではありませんでした。彼らは、ローマ帝国と、ローマ法に縛られ、皇帝の機嫌を伺い、高官たちの目に怯えながら、皮肉にも「ローマの自由市民」という名の下に生きていたのであります。看守の命は、ローマ帝国の手中にありました。生きるのも死ぬのも、全てはローマのため、お国のため、上官たちのためであったのです。

 パウロとシラスが戻ってきたことによって、看守たちは真の自由の存在に気付きました。自分を解放し、救いに導く真実な方の存在が示されたのです。救われなかった看守たちは、パウロに尋ねます。「救われるにはどうすべきでしょうか」。彼らは答えます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
 彼らは洗礼を受けました。つまりここで聖書は、自由だと思われていた者たち――女奴隷の主人、高官、看守など――の人たちこそが奴隷であり、最初に奴隷だと思われていた者たち――女奴隷、パウロとシラスたち――が自由なのであることが示されるのです。囚われた者は囚われておらず、囚えた者たちが囚われていたのです。

 「Arbeit macht Frei」(アルバイト・マハト・フライ)。この言葉は、現代社会に生きる私たちに、様々な形をとって迫ってくる言葉です。「働けば自由になる」「勉強すれば自由になる」「利益を上げれば自由になる」「市場原理に従えば自由になる」「新自由主義は真の自由である」「それによって出世すればもっと自由になる」と。

 しかしこれらは、何かに縛られた自由であり、他者の牢の鍵を預かっている自由に過ぎません。民衆の言葉に同調し、他者を鞭で打ち続け、見張り番をし、ローマに忠誠を誓う自由に過ぎないのです。聖書は私たちに、如何にすれば真の救いを得、真の自由を得ることが出来るかをこの箇所で示されるのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。看守たちは洗礼を受けて真の神の自由を得たのです。そして私たちも、同じように問われています。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」

使徒言行録15章1節-35節 『エルサレムでの使徒会議』

使徒言行録15章1節-35節 『エルサレムでの使徒会議』 2011年2月6日

 今日の箇所は、突然場面が展開しています。これまでのような、宣教活動に成功してきた喜びに溢れた場面から、突如「ある人々」と呼ばれる人たちが乗り込んでくるのです。それは、律法を厳格に守るユダヤ人たちが、パウロのアンティオキア教会に乗り込んできて「律法を厳守せよ、割礼を受けないと救われない」と教えたということです。アンティオキア教会は異邦人の教会でしたから、割礼を受けた人はおりませんでした。ですから「割礼を受けなければ救われない」という教えは、彼らにとっては信仰の根本を揺るがせる事柄でした。割礼を受けていない者は救われないのだろうか。このことに関して、パウロたちとユダヤ人たちは激しい論争となりました。「割礼は必要ない、いや必要だ」という言い争いであったと思います。このユダヤ人たちは、ユダヤ教徒ではなく、キリストを信じる信仰者です。しかしキリストがユダヤにルーツを持ち割礼を受けていたのならば、当然キリスト者もユダヤ人となるべきである、そのための割礼なのだ。それが彼らの主張だったと思います。
 しかしパウロたちはこれに納得いくはずもありません。使徒言行録10章では、ローマ軍の百人隊長コルネリウスが既に割礼無しで信仰者になっています。その後、キプロスの総督が改宗し、イコニオンやリストラでも、多くの異邦人改宗者を得たわけです。キリストを信じることによって全ての者がキリスト者となるのだ、これがパウロの見解でした。

 この疑問を晴らすために、パウロとバルナバたちは、キリスト教会の総本山であるエルサレム教会まで出向き、その真意を探りに乗り込んで行きました。エルサレム教会に着いた彼らは、歓迎される一方でファリサイ思想を持つ者たちから「割礼を強要すべきだ」という意見を聞かされたのです。ここでエルサレム教会のペトロが立ちあがり、異邦人にも聖霊がくだり、彼らは割礼の徴ではなく、心の信仰が認められたことを全会衆に向かって証言しました。そこでバルナバとパウロが立ち上がり、自分たちを通して神が異邦人をどのように救われたのかについて話したのです(12節)。

 これに対して、教会の代表者であったヤコブが答えて19節でこう言います。「それで私はこう判断します。神に立ち返る異邦人を悩ませてはなりません」。この言葉は割礼なしでもキリスト教信徒であり、神の救いに預かる確証を得る、という事を示します。その後パウロたちがアンティオキアに帰るのに伴ない、エルサレム教会の指導者たちを同行させました。彼らはアンティオキア教会で事の次第を説明しました。結果として異邦人教会はエルサレム教会に認められることとなり、その契機となったのがこの「使徒会議」であったのです。

 そして興味深いことに、この箇所は、福音書記者であるルカの視点から描いた使徒会議ですが、実はパウロの視点から書いた使徒会議が、ガラテヤ書2章1節以下に記されています。「それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任せられたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました」。パウロはこのように言っているわけです。使徒会議で決まったことは、ユダヤ人伝道と異邦人伝道とを区別して、それぞれの教会の地域性と特殊性に合わせた宣教を行なおうという話し合いの結果を得た、ということです。決してエルサレムとアンティオキアの教会が分裂し、相容れない関係として、それぞれ独立した組織となっていったのではなく、同じガラテヤ書2章9節で「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目される主だった人たちは、私とバルナバに、一致の徴として右手を差し出しました」とあるように、この時の会議の結論は、別々の働きを認めつつ「一致する」ことであったのです。キリストによる一致の中にあって、主のもとで別々の考え方を認め合うという結論なのです。
 彼らのこの会議の結果は、我々に多くの事を教えてくれます。全く別の考えの中にある兄弟姉妹たちが対峙したとき、教会は如何にしうるのでしょうか。如何にしてキリストを見上げて歩むことが出来るのだろうか。その答えを見るようです。

 そもそもこの話は「ある人々」と呼ばれるユダヤ人たちがやってくることから始まります。この人々は、保守的な考えを持ち、福音とはユダヤ人の伝統を守ることだと主張していたのです。エルサレム教会自体も、少なからずこのような考え方が正統的であると思っていたと思われます。ガラテヤ書では、パウロとペトロが割礼の考え方の違いで対立していることが出てくるぐらいです。しかしこれがエルサレム教会の考え方でした。保守主義のユダヤ的な考え方です。しかしユダヤ人たちが、異邦人の救いについて消極的なわけではありません。むしろ積極的に宣教の成果を喜んでいたことは明らかです。ギリシャ人もローマ人も同じく救われる、それはイエス・キリストの教えなのだ。地上の氏族が全て祝福に入ると創世記12章で神が宣言なさったアブラハム契約に、全ての人がこの神の預かることが出来るのだ、と考えていたのです。しかしどうして割礼という徴がないのに、その約束を得たと言い得るのだろうか。割礼は祝福への通行手形である。その徴は異邦人にも必要なのだ。こんな素晴らしい徴なのだからどうぞ割礼をお受けになって下さい。これがユダヤ人たちの考え方でした。もう一方で、彼らはこうも考えていたと思います。祝福と救いは、ユダヤ人だけに与えられた特権なのだから、異邦人であるあなたがたにそれを分けるためには、まずあなた方がユダヤ人にならねばならない。あなたが選ばれた民とならないことには、救いを受けることができないのだ。このように考えていた人たちもいたことでしょう。

 しかしこの考え方は、私たちキリスト者にも言えるように思います。つまり、私たちがこれまで行なってきた宣教は、自分たちのところに追いついてきた者たちだけがキリスト者になることが出来るのだ。という考え方であります。難しい本を読み、難しい教理を見につけ、聖書の箇所を暗誦し、毎週欠かさずに礼拝と祈祷会に参加し、理想的なキリスト者になった者が、救いを受ける資格を得るのだと。

 これまで西欧のキリスト教会は、植民地政策にのっとり、異文化圏の西欧化を進めてきました。つまり西欧的な考え方が神の御心であ
り、正義である、という考え方のもとで、世界宣教が行なわれてきたのです。アフリカも、東南アジアも、ラテンアメリカも、全てが西欧文化の生き写しの教会とならなければ教会ではありえない。このように考えて宣教してきたのです。

 しかし歴史には、その反動としての反ユダヤ主義もございます。ナチスドイツがユダヤ人を投獄し処罰する理由として「アーリア条項」というという考え方を政治的に広めました。それは、ユダヤ人の血を引く者は全ての重要ポストから排除し、アーリア民族であるドイツ国民だけが神の目に優越される民族であるという考え方です。しかしユダヤ主義も、反ユダヤ主義も、お互いの論理は全く同じです。つまり「こうでなければならない」という論理です。キリスト者とはこうでなければならない。信仰者とは、求道者とはこうであらねばならない。と、もしそのような考えを持ち込むのならば、アーリア条項と何ら変わらない論理の中で生きることとなってしまうでしょう。

 つまり、私たち信仰者が、信仰の本質とは異なる論理を持ち込もうとするならば、それは全く異質な信仰にすり替わってしまう事を忘れてはならないのです。私たちが信ずべき唯一つのことは、イエス・キリストの父なる神への信仰なのであって「信仰+割礼」であるとか、「信仰+道徳礼儀」「信仰+民族主義」というような信仰に付随する何者かがなければ信ずることができないとなった時、私たちは律法主義へ陥る危険を孕んでいることを忘れてはならないのです。

 しかしながら、今日の箇所では、パウロの側も、エルサレム教会の側も、両方が譲歩を引き出して、お互いの考えを歩み寄らせています。ユダヤ人たちは割礼の遵守を求めた。パウロたちは律法の如何なる箇条の遵守も拒否していた。しかし結果として与えられたのは、15章20節にあるような、「律法の中のでも特に『食物規定』だけは守るように」という事でお互いが歩み寄ったのです。それは教会が、新たな展開を見せた瞬間でもありました。ユダヤ人に対してはユダヤ人のように、ギリシャ人に対してはギリシャ人のように与えられる神の言葉を認めた、ということに他なりません。両者が、それぞれ頑なに守り続けようとし、執着したがるものから離れて、信仰の本質に迫った瞬間であったのです。そこには、いがみ合いや、憎しみ合いではなく、和合すること、お互いに主にあって共に生きる事の実践があるのです。つまり「教会は新しく変わりうるのだ」ということが示されたのです。

 私たちの教会は、信仰者同士で意見が分かれ、お互いの相違が明らかになり、意見の衝突が起こる時、その事実を隠したり、時には公然と批判しあってみたり、あるいは激怒して力ずくで押さえつけてみたりと、決定的な分裂の危機を迎えることが往々にして起こりえます。しかし言ってみれば、その対立意見のどちらも正しいのです。どちらも正論を持っているのです。お互いがお互いの言い分を持っているのです。ユダヤ人にはユダヤ人の生きてきた証としての律法の遵守があるのであり、パウロには異邦人宣教によって肌で感じてきた宣教の方法論があるのであり、どちらも自分が正しい、という正しさの中に生きているのであります。

 しかし教会は、それらに優劣をつけたり、どちらかが一方的に正しいと判断したり、一方を切り捨ててみたり、一方を完全に正しい、もう一方は完全な間違いであると見做したりすることは、福音の本質から言うと、それこそが間違いなのです。教会の目的は、人を断罪し、生き方の幅を狭めることではないのです。福音は、縛られている人を解放し
囚われている人を自由に導く神の言葉です。ルカ福音書4章18節で言われている通りです。教会が求めることは、その人にどう福音が届くのかに腐心し、心砕き、どのように提示していくことが可能なのか、ということ。神の働きとしての如何に宣教を行なうことが出来るのか。その事が求められているのであります。

 「一致する」という行為はそれ自体「ニュートラルな概念」であります。一致すること自体は何も良いことではありません。むしろ一致することで、いじめが起こるし、差別が起こるし、戦争も起こるのです。ですから「一致する」ということそれ自体は、特に良い事でも悪い事でもないのです。しかしひとたびキリストによって一致することが出来たならば、それは大きな力を得るのです。「一人よりも二人が良い、倒れたとき抱き起こしてくれる人は幸いである」と詩編で語られているように、共に生きる目的の中に、キリストが立ち給うのならば、そこには生きる意味があり、共に過ごす必要性があり、共同する可能性が広がるのであります。教会の中で、ユダヤ人が異邦人を認めず、異邦人がユダヤ人を認めないことがあるならば、そこには主の教会は立ち得ないのです。主の教会とは、ユダヤ人が異邦人を愛し、異邦人がユダヤ人を愛する教会であり、割礼の有無を認め合う教会であり、他者の他者性を尊重する教会であります。それがイエス・キリストをかしらとする教会なのです。

 先週私たちは、総会を開催し、様々な報告と、方針と、アイデアを出し合ったことと思います。そして今こうして、一人の新しい執事が、教会の奉仕者として選ばれております。どうかこの浦和教会という主の器が、真実の御言葉に立つ教会であるように。この器が、主に用いられて、真の福音の輝きを照らし出す教会であるようにと、心から願うものであります。 

使徒言行録13章42節-14章7節 『異邦人の光』

 使徒言行録13章42節-14章7節 『異邦人の光』 2011年1月23日

 反ユダヤ主義というものがあります。これは一般的には、ナチス・ドイツのプロパガンダとして使われた政治政策のように捉えられがちですが、しかしその起源は古く、既に中世ヨーロッパで起こっているようです。イスラム教の成立によって弾圧は強まり、十字軍によってキリスト教に迫害され、そして20世紀に入り、ユダヤ人たちは史上類を見ない受難のときを迎えることとなったわけであります。つまり大変に根の深い問題であるがゆえに、政治的プロパガンダとして悪用されやすかったのでありましょう。

 宗教改革者マルティン・ルターでさえも、反ユダヤ主義を標榜し「ユダヤ人とその虚偽について」というパンフレットまで発行しているぐらいであります。ヒトラーは、このルターの言葉を過大に用いて、反ユダヤ主義を正当化する証拠として使ったのであります。そしてあの忌まわしき600万人もの大虐殺という人類のなしうる最大の凶悪犯罪が起こったわけであります。

 では、聖書は何と言っているのか。私たちにはそれが一番の問題です。主イエスは、ユダヤ人でした。しかし敵対者たちもユダヤ人でした。同じユダヤの同胞たちから迫害を受け、十字架に掛けられたのです。祭司長も、律法学者も、ファリサイ派も、敵対する者たちすべてがユダヤ人であったのです。ですからユダヤ人はキリスト教徒の敵である。このような論調がまことしやかにささやかれるようになり、ユダヤ人を敵視する傾向が強まり、反ユダヤ主義が、聖書に基づく、正統的な考え方とされるようになったのであります。

 今日の箇所を読んでみましても、それを裏付けているかのような言葉が出てまいります。45節「しかし、ユダヤ人はこの群集を見て、ひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した」。そして50節「ところがユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した」。14章2節「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた」このようにあります。これら言葉は、反ユダヤ主義を助長させて余りある言葉ではないでしょうか。特に「ねたみ」「口汚いののしり」「扇動して」「迫害させ」「悪意を抱かせた」などのような言葉を並べますと、「イエスを十字架にかけよ」と口々に叫び続けたあのユダヤ人民衆たちを想起させるかのようであります。それに対してバルナバは「あなたは異邦人の光たれ、と主に言われたのだ」と言って、異邦人の救いのために働く事を宣言しております。ですから聖書はやはり反ユダヤ主義なのか、そのように考えてしまうかもしれません。

 しかし聖書は前後関係が大事です。文脈の中で読まず、新聞の切り貼りをするように読んでしまっては、肝心要の事に目を向けられなくなってしまいます。つまり、今日の箇所は、反ユダヤ主義的な言葉のように捉えられてしまうのですが、実はそうではないということです。神の寛大さと気前の良さに満ち溢れております。そのことに目を凝らしてみたいのです。

 今日の箇所は、パウロとバルナバの伝道旅行の話です。彼らの伝道は成功し、たくさんの改宗者を得ることが出来たようです。しかしそれをねたんだユダヤ人たちは、45節のように振舞ったのです。バルナバは46節でこう言います。「救いというのは、本当はユダヤ人のためにあったのだが、彼らはそれを拒否し、永遠の命を軽んじてしまった。だから私たちはユダヤ人への宣教を止めて、異邦人のところへ行く」と、このように宣言するのです。しかしこれに怒ったユダヤ人たちは、50節で反撃に出ます。町のおもだった人たちにデマを蒔いたのでしょう。彼らを扇動し、パウロとバルナバを迫害させたのでありました。このようなやり取りが中心となっているのが、今日の箇所でありますが、ここの前後を見てみたいのです。

 それは238ページ下の段、13章14節「パウロとバルナバは~そして安息日に会堂に入って」とあります。それからパウロは長い説教をするわけですが、その後、今日の箇所の13章44節で「次の安息日になると」とあります。これは1週間が経って次の週になってから、また次の安息日にパウロとバルナバは宣教を始めた、ということです。そして14章1節のイコニオンでも同じように「ユダヤ人の『会堂に入って』話をしたが~」とあるように、これら一連の話は、全てユダヤ人のユダヤ教の会堂、「シナゴーグ」で神の言葉が宣べ伝えられていたということを示しているのです。

 お分かりになりますでしょうか。先ほども言いましたが、この箇所は、見方によっては、あからさまな反ユダヤ主義を煽るように読めてしまいますし、これを契機に異邦人宣教へと舵を切って、新約聖書はユダヤ人たちと決別していったかのように読み取ることが出来てしまうのです。45節のユダヤ人の悪口、バルナバの言葉を読む限りにおいて、ユダヤ人たちは完全な敵対者であるかのように映ってしまうのです。 
 けれどもそうではない。反ユダヤ主義でいようとするならば、なぜ敢えて必ず「ユダヤ人の会堂で」宣べ伝えようとするのでしょうか。なぜ敢えてそれを続けようとするのでしょうか。一度ならずも、二度も三度も、神のみ言葉を拒否するあのユダヤ人たちの懐不覚に入り込んで、彼らに語らせるのでしょうか。それは、神が「彼らを招こう」とされているからであるのです。

 46節によると、ユダヤ人はもともと救われるはずでありました。旧約の預言者の時代から、彼らを救おう救おうとしてきたのです。しかし預言者を迫害し、神の言葉を軽んじ、預言者を痛い目に遭わせて、拒否し続けてきました。けれども彼らは、そうであっても愛された神の被造物であり、選ばれし神の民ということなのでありましょう。

 彼らは何度も拒否いたしました。究極的には、主イエス・キリストという神の啓示を「肉となった神の御言葉を」拒絶し、ののしり、悪口を浴びせ、最終的にはユダヤの法律にはない、最も残虐な方法である、十字架という処刑法を通して、神の言葉を抹消しようとしたのです。

 普通、人間同士の関係ならば、人間同士の契約関係、また企業や学校、医療機関などの
法人の契約関係ならば、もしそこまで拒否する人がいれば、簡単に契約は解除され、もう二度と関係を持つことはないかもしれません。万が一詫びを入れ、もう一度関係を結びましょうと打診されたとしても、今度は限りなく不平等な契約であったとしても、それを飲まねばならず、それは自分が拒否したことのツケであるのだ、と納得せざるを得ないところだと思うのです。

 しかし神は、私たちとの関係を断ち切らないで継続されるのです。神は寛大な神であり、気前の良過ぎる神であられるからです。このような拒否に拒否を重ねたユダヤ人たちであっても、神を拒否し続けたどのような者たちであっても、神は最終的に、その人を救いに招こうとされる神なのであります。

 あのペトロが、あなたを決して拒否しませんと豪語したすぐ後に「知らない、知らない、知らない」と三度言い放ったように。「キリストが本当に復活したのなら、証拠を見せろ」と息巻いたあのトマスのように。ニネべに行きなさいとの命令を無視し、タルシシュ行きの船に乗り込んだあのヨナのように。私たち自身も、神に背を向け、神のなさる業を否定し、神の計画を拒否することがあると思うのです。神から離れよう離れようとし、そこから逃げようとする心。もしそれがあったとするなら、私たちもまた、このユダヤ人と同じではないですか。あの、キリストに敵対した、ユダヤ人。神の計画に賛同せず、人となられた神の御言葉を消し去ろうとするあのユダヤ人こそが、私たちであるのです。

 けれども、今日の箇所が私たちに希望の光を見せています。なぜなら、このユダヤ人こそが、神に何度も何度も招かれ続けているからです。何度拒否しても、何度悪口をたたいても、この罪が決して消えないとしても、罪なき者と「見做して下さる」からです。この箇所は、私たちに、異邦人の光である神が、ユダヤ人の光でもあり、また私たちの光でもある事を教えてくださっています。13章39節に「信じる者は皆、この方によって義とされるからです」とあるように、私たちは一時も離れることなく、この神の愛に包まれて、歩もうではありませんか。

使徒言行録12章18節-24節 『神に栄光を帰す』 (新年礼拝)

 使徒言行録12章18節-24節 『神に栄光を帰す』 (新年礼拝) 2011年1月2日

 新しい年が明けました。今年もまた主の恵みを一身に受けて、御言葉によって導かれる日々を過ごしたい、そのように願っていることと思います。
 さて昨年2010年の日本は、GDPが世界第3位に後退したことが示すとおり、経済的な問題が浮き彫りにされた1年でした。不透明な経済情勢、とりわけ年間通しての異常な円高は、私たちの国が今後どうなっていくのかという不安感を煽り立てました。夏の猛暑は、私たちの健康を脅かすと同時に、不作を起こし、物価の高騰を招き、経済不況に追い討ちを掛けました。

 さらに「口蹄疫」の問題や、一昨年から流行した新型インフルエンザ、そして今後発生し流行するであろう、もっと強毒性のウィルスへの恐怖など、私たちの生活が脅かされたとき、国がどう対処するのだろうか、という不安感を募らせました。

 尖閣諸島の所有権問題。海上保安庁の船と中国の漁船の衝突事故と、映像の流出。。それから非核三原則を掲げながら、米国の核の傘に守られることの条約を秘密裏に結んでいた、という国民の知らない驚愕の事実。自衛隊の問題と、沖縄米軍基地の移設問題。これらは国家の安全保障上の問題でありました。

 このように、昨年は様々なことがありました。それは同時に、私たちには様々な問題や課題があることをも示しています。このような問題を解決するために、私たちはこの国がどう動いてくれるかに期待すると思います。景気の回復も、円高の解決も、安全保障や、広がりつつある凶悪犯罪に関しても、その解決を国家に委ね、国家に期待すると思います。医療に関しても、年金に関しても、戦争や、災害が起こったときも、私たちは国家に期待し、全能でさえあると思われるこの国家権力が、全てを解決できると感じると思うのです。
 国家と国家権力は、国民にとってあたかも全能の神のようであり、時には自分の命を投げ出してでも守り続けることを義務付ける教育を施し、国民の意思をコントロールし、自分自身の存在意義さえも、この国家との繋がりの中で見出すことさえあります。

 今日与えられた聖書箇所は、国家もしくは国家権力者が、神のようになり、神と同じ存在として、民衆に先立っている様子が記されております。ヘロデは「神の声だ。人間の声ではない」と民衆に叫び続けられたとあります。ここではヘロデが神として崇められている有頂天な様子が伺えます。

 ヘロデ王という人物は、権力的であり、独裁的であったようであります。12章1節以下には「そのころヘロデ王は、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのをみて、更にペトロをも捕らえた」とあります。ヘロデは自らの考えに賛同しない者を投獄し、時には民衆の人気を得るために、世論を意識した行動にも出ております。ですから非常に政治的な人物であると言えるのです。単なる暴君ではなく、ある意味冷静に状況を判断し、大局的に物事を捉えながら、多数者の満足が満たされることを考えているし、民衆からの人気を得ることに力を注いでいる、と言う点において、彼は現代的に言っても優れた政治家なのであります。ユダヤ地方は小さな国でありますが、しかしこのヘロデの名声は天下に轟き、民衆の尊敬を集めていたのだと思われます。ヘロデの着ていた衣服は、神々しいばかりに光り輝き、それが印象的な彼の姿であった、と古い歴史家たちが伝えております。その神々しさ、光り輝く衣服によって、彼はあたかも神であるかのような崇拝を受けているのであります。

 ヘロデは当時のユダヤ地方を治めておりました。ユダヤはティルスとシドンに対して、食料を供給しておりました。ユダヤはこの二つの国に対して優勢な立場にあり、この国々はユダヤに頭の上がらない従属関係に近いものがあったと考えられます。

 ヘロデ王は何らかの理由で、このティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていることが記されています。何に憤慨していたのかは、ヨセフスなどの聖書外資料や歴史資料を紐解いても知ることはできません。いずれにしても「何らかの理由」ということ以外はわかりません。

 今日の箇所で言われていることは、ティルスとシドンの人々が、怒り心頭のヘロデのところに出向き、国家の存亡を賭けて、ヘロデの侍従ブラストに和解調停役を願い出たということであります。しかしこの和解の申し出が受け入れられたのかどうかについても、ここには書かれておりません。とにかく、この箇所から分かるのは、彼こそが当時のユダヤとその周辺都市を掌握し、生殺与奪の権利を持っているということなのであります。

 このようなヘロデが演説をしたのに対し、民衆は「神の声だ。人間の声ではない」と、ヘロデを神であるかのように祭り上げ、媚へつらう民衆の様子が記されております。ヘロデは自らが神であると呼ばれることを否定することもなく、それを受け入れているのです。しかし「するとたちまち、主の天使がヘロデを打ち倒した」のであります。

 私たちの生きるこの世の中には、神ではない者、神ではない事柄を、神として崇め奉ることが大変多く起こります。特定の人間自体を直接的に神だとすることはあまりないかもしれませんが、しかし私たちは、国家や国家権力といったものに対し、あたかも神であるかのように考えることは多くあると思うのです。私たちは自らの生活の保障を、国家に求めます。私たちは自分の身の安全や、社会福祉、保護、を国に求め、期待します。日の丸・君が代を崇拝対象的に扱い、民族の存在根拠をそのシンボルの中にこめて、忠誠心を植え付けられる教育が施されつつあります。私たちがもし、自分を守り、保護し、この身を保障する最終的な力が「国家にのみぞある」と捉えるならば、それは神ではなく、人間を崇拝することになるのです。

 冒頭で申し上げましたような、様々な問題や課題が、今年も私たちと私たちの社会を包むでしょう。経済不安や、犯罪の増加など、それらを解消できる最終的な手立ては国家にしか持ち合わせていない、とするならば、そこには神不在の、国家崇拝が存在することになってしまうのです。

 安全保障のことに関しては特に顕著でありま
す。私たち人類は、核の脅威に晒されながら、そこから脱却することが中々出来ない者たちです。核の脅威に晒され、世界で唯一の被爆国となった日本でさえも、アメリカの核の傘に守られることを前提として密約が、しかも戦後20年のうちに締結されていたという事実が意味することは「軍事力こそが我々の命を守り、命を保障するものである」という軍事力崇拝的な思いが人間の中にある、ということであります。

 しかし人間が国家の力を信奉し、そこに神の姿を見出すのであるならば、私たちは今後、核弾頭をこの世から消し去ることなど出来ないどころか、核弾頭の力を信じ、それをせっせと作り上げることに精を出して行き続けるのであります。むしろ私たちは、人間の作り出したものの無力さ、つまり核弾頭がいかに無力であり虚無であるか、という事実の中に身を投じてゆかなければ、私たちは本当の神に出会うどころか、私たちを本当に支配なさるのがどなたであるのかを見失うことになってしまうのであります。

 つまり私たちは、ヘロデ王の神々しい姿の中に「神のように見える輝き」を見出し、その輝きの中から「神の声のように聞こえる言葉」を見つけ出してしまうのであるならば、真の神を見ることはできないのです。しかしその反対に、ヘロデの神々しい服装や佇まいに、何の魅力も、何の輝きも見出すことがないならば、本当の神が如何なる方であるのかという真実に到達することが出来るのであります。
 面白いことに聖書は、ヘロデ王の演説それ自体には、全く関心を持っていません。使徒言行録は数多くの演説や説教が出てまいります。使徒たちの説教集のようにすら感じられるこの使徒言行録という書簡の特徴から鑑みて、ヘロデの演説と言葉に一切注意を払っていないことの意味がここにあります。つまりヘロデそれ自体は「神とは無縁な存在であった」ということです。シドンとティルスの人々は、食料援助を得るために、ヘロデの憤慨を宥めて和解するために、媚へつらって、又、お世辞の一つでも言えば何か良い事があるに違いない、と理解して「あれは神の声だ。今まで聞いた演説の中で、神にも劣らない最高のものである」と大喝采を送ったのです。

 私たちはこの御言葉を受けて、我々は真の神を見出すのか、それとも神以外の神のように振舞うものを見出してしまうのだろうか。そのことが今問われているのです。現代社会において、特に今の日本において、独裁者や暴君のような者は存在しにくい世の中であります。だから私たちは、ヘロデは出現しないと考えがちであります。しかしながら、ヘロデに象徴される力を信じることは往々にして起こり得るのです。

 ヘロデ流の救いは、人々を制圧し、威厳を示し、権力を誇示することによって頭を下げさせ、人々が犠牲になることによって、民衆の満足を得ていくというものでありました。失敗した番兵が処刑されたという19節の記述も、使徒ヤコブの殺害と、ペテロの投獄が民衆に喜ばれたため行なわれた、という記述も、ヘロデ流の救いの姿であります。つまり人々の犠牲の中で成り立っている、ということです。それは私たちの生きる現代社会にも言えることであります。国や組織というものは、往々にして私たちに犠牲を求めます。誰かが我慢し、犠牲になることによって、国は国としての体裁を守り、安全が守られるのだと信じられるからです。しかし主イエス・キリストの国は、我々の犠牲によってではなく、主ご自身が十字架の犠牲によって打ち立てた新しい国なのであります。私たち人間は、もっぱら強さと大きさの中に神の姿を見ようとしますが、しかしそれはヘロデの中に神を見るのと同じ事であります。むしろ私たちは、弱さと小ささの中にこそ、神が降り立ってくださったことの中にある、新しい神の国を見出すときにこそ、そこに真の救いが存在するのであります。

 私たちの救いは、私たちの信仰の内にあるのです。「国さえ何とかなれば、政治さえどうにかなれば、私たちの生活は救われる」と考えがちな私たちであります。神以外の中に全能性を投影し、それを神であるかのように扱い、その神が、私たちを守ってくれるように考えるのであるならば、そこには神ではない神を信じる姿、ヘロデの中に神を見出す私たちの姿を見つけるのです。

 しかしヘロデは主によって打ち倒されました。その理由が「神に栄光を帰さなかったからである」と書かれております。つまり私たちはヘロデに栄光を帰すのではなく、神に栄光を帰すこと、国家の安全保障と、軍備増強、政治的手腕と権力に栄光を帰すのではなく、神に栄光を帰すことが大切なのであります。人間は、神に代わる全ての代用品に対して、そこに何らの神的な信頼も、信仰も持ってはならないことを今日の聖書は私たちに伝えているのであります。

 21世紀に入りますます混沌としてきた現代社会であります。新しい年を迎えて心新たな思いをもって、この年を歩みだそうとしております。どうか私たち一人ひとりが、真の神を見続け、真の信仰が養われていくものでありたいと願うものでございます。

使徒言行録11章1節-18節 『エルサレム教会内の洗礼論争』

 使徒言行録11章1節-18節 『エルサレム教会内の洗礼論争』(伝道礼拝)
                                       2010年11月21日


 ご承知の通り、南アフリカ共和国の「アパルトヘイト」(人種隔離政策)と呼ばれるこの政策は、全人口の15%程度の白人が、残りの85%の人々を国民として扱わず、厳しい差別が法律で制定されていたというものでした。国際連合はこれを「人類に対する犯罪」とまで呼びました。

 アパルトヘイトは個人的な気持ちで行う差別ではありませんでした。その一つひとつが法律で定められた社会的システムでありました。差別のために作られた法律は数え切れないほど多くあります。
例えば【原住民土地法】という法律では、国土面積の14%の土地が黒人専用とされ、そこに10個の「ホームランド」と呼ばれる狭い「国」を作らせて、黒人はそこの「国民」とされました。黒人は南アフリカという国にとって「外国人」となるため、南アフリカ市民としてのさまざまに権利は一つも持てないことになります。選挙にも参加できません。選挙したければ、ホームランドの「国」でしろ、というわけです。
【隔離施設留保法】という法律では、全ての公共施設が白人用と白人以外用に区別されるというものでした。レストランのテーブルで、白人と黒人がなかよく食卓を囲むことは法律で禁じられていたわけです。海水浴場でさえ、白人専用ビーチがあり、そこに立ち入った黒人はすぐに逮捕されました。
【雑婚禁止法】という法律では、人種の違う男女が結婚することを禁じておりました。
たとえ結婚しなかったとしても、恋愛関係だけで罰せられました。これは【背徳法】という法律です。
 南アフリカの人種差別は、ヨーロッパの白人が、先住民のコイサン人やアフリカ黒人よりも優れていると思いこむ「優越意識」から生まれたものであります。しかし20世紀になりますと、その優越意識による人種差別を正当化するために「理論化」されていったのです。

 この政策では、個人の努力とは関係なく、色の違いが生活の全てを決めてしまいます。白人は、きれいな校舎で学校生活を送り、庭付きの大きな家に住み、家事を行う黒人をやとってのゆとりある生活が約束されました。一方、黒人たちは、白人が経営する農園や工場で働くことを余儀なくされました。給料は白人の10分の1以下であり、住む家もままならず、空き地に粗末な小屋を立てて生活する人も大勢いました。

 差別は町並みの違いとなってもあらわれました。よく整備され、完全舗装された白人地域の道路にはゴミ一つ落ちておらず、それは黒人のてによって毎日整備されておりました。黒人居住区の道路は舗装されていない道が多く、町のいたるところに汚水やゴミがたまっています。
 この人間の尊厳を踏みにじるアパルトヘイトをなくすために多くの人たちが立ち上がりました。しかし自由を掲げた人たちの多くが、命を落としていったのです。アパルトヘイトを守ろうとする人たち、特権を持った人たちに殺されたわけです。

 そしてとうとう、1994年春、全ての人種が参加する総選挙が行われ、27年間投獄されていた黒人政治家ネルソン・マンデラが新しい大統領に選ばれたのです。その後アパルトヘイト関連の法律は全て廃止され、人間の平等が新しい南アフリカの理想となりました。大統領就任演説でマンデラは「『悲しみの大地』から『虹の国』(レインボーネンション)へ、大きな一歩をふみだした」、と語り、又「虹の国がここに始まる。和解がここに始まる。赦しがここから始まる」とこれからの希望に向った演説をしたと言います。
 しかし現状では、人種差別が完全になくなったとは言えず、まだまだ多くの課題が残されているようです。37%という驚異的な失業率を下支えするのは多くの黒人たちの苦しみであり、HIV感染率20%という信じられない数字の被害者の殆どが黒人たちであります。
長い年月を掛けて差別してきた意識と、差別的生活は、長い年月を掛けて取り除かれていくことでありましょう。

 さて、私たちは、優越主義と差別意識が内在する国を概観したわけですが、2000年前のユダヤ地方でも似たような民族意識がありました。そのことが今お読み頂いた聖書に書かれております。2節「ペトロがエルサレムにのぼって来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。この言葉は、はっきりと民族優越主義的な言葉であります。

 「選民思想」と呼ばれる考え方が、ユダヤ人の思想の中にあります。それが顕著に表されているのが、この言葉であるのです。選民思想とは、自分たちだけが神に選ばれた民族である、という「選ばれた者の意識」であります。ユダヤ人たちは、自分たちの信じる神が、イスラエルを選び、それ以外の異邦人はご自身の神の民としてお選びにならなかった。それは私たちが特別な民族として扱われているからだ、という意識。それが選民思想であります。

 この選民思想は、個人的な優越意識ではありませんでした。先ほどお話ししたアパルトヘイトにも似て、それは法律化され、法的に除外されるべき民族として、異邦人たちを排除していたのです。
 その律法の一つは、割礼を受けていない者は、神の祝福を受けるに相応しくない、というものです。そしてもう一つは、割礼を受けていない者と一緒に食事をしてはならない、というものであります。ですから彼らユダヤ人たちは、この二つの律法に抵触しているのではないか、と言って、ペトロを非難しているのです。それはあたかも、あなたは肌に色のついた者たちと一緒に食事をしただろう、などと言って、その行為を糾弾されているかのようであります。ユダヤ人たちは異邦人が神の祝福を受ける権利を持っていない、選ばれていない民族であるという意識を持っていましたから、罰の対象になるのではないか、と言っているのです。

 それに対して使徒ペトロは4節以下で「事の次第を順序正しく説明し始めた」のです。その内容は232ページの10章1節からずっと語られてきているもので、次のような内容です。「あるときペトロの前に幻が現われ、『神様からユダヤ人も異邦人も区別してはならない、神が清めたものを清くないなどと言ってはいけない』と言われた。そして神は、
『あなたは異邦人のコルネリウスのところに行きなさい。彼は御言葉を求めている。悔い改める者には洗礼を授け、信仰の道へと導きなさい。』」このように言われたのだ、という事を順序立てて説明したのです。
 それを聞いたユダヤ人たちは、18節「この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ』といって、神を讃美した」のです。ここに表されているのは、ペトロを非難していた人たちの心の壁が取り除かれた瞬間であります。人間は、神が与えた律法を拡大解釈し、既に人間の制定した法律になってしまっていることに気付き、神の本当の心を知る瞬間がここに訪れたのです。表面的にしか人間を見ていなかった律法の拡大解釈に、気付いたのです。

 人間は外側で判断する生き物であることは、世の中を見ていて明らかであります。白いから、黄色いから、黒いから、という理由で、人を表面的に判断する。割礼を受けているか否かに関しても、又、同じであります。割礼は人間が体に刻んだ、表面的な徴です。その徴の有無に関して厳密であろうとすることは、肌が何色だから優越される、という外見上に厳密になるのにも似ています。そして私たちは、えてしてこの表面を気にするのです。表面で人を判断し、表面で人を憎み、表面で人を阻害する。表面で救われるとか、優越される、ということまで、決めてしまいます。この世の中に広がっている私たち人間の意識は、この外見上の事柄に非常に左右され易いのです。それは何と浅はかなことで、何と愚かなことでありましょう。
 
 養老猛という解剖学者がおりまして、彼は数年前ベストセラーの「バカの壁」という本を著しました。お読みになった方もおられると思います。その中で彼はこう言います。「人間は自分の頭の中に『バカの壁』を築き、その向こう側の事など想像もしない。起こっている自分の意識だけが世界の全てであると思ってしまう。それがバカの壁であり、乗り越えることは困難だが、それは乗り越えねばならぬ壁でもある」このように言うわけです。世界を戦禍に陥れるテロリズムも、宗教原理主義も、その人たちの頭の中で、自分の主義主張から一歩も離れることも出来なくなった者たちが、これ以外の正しさはありえないと言って、壁を作ってしまっているために起こるものであります。そこの向こう側にある世界観を知ろうとはせず、自分はその場所で安住しようとしてしまう。そのような壁が私たちの中にあるとするならば、人種差別も、優越主義も、選民思想もまた、「バカの壁」の強烈な形なのであろうと思うのです。

 しかし神様は12節、「ためらわないで行きなさい」と言われます。この力強い言葉の中には、私たちが「ためらう者であること」を予想しているかのようであります。つまり神様は、私たちが抜け出すことの出来ない、固定観念や、主義主張に雁字搦めに縛られる者たちであることをご存知であるのでしょう。
 しかし私たちは、神の救いには垣根は無く「悔い改める者は誰でも、救いの道が備えられている」ことを、神様から教えてもらっています。それが10章から続く、異邦人に聖霊が降ったという出来事であります。
 後は私たちが、その垣根を取り除くのです。神様の次元では既に取り除かれている。あとは私たちの側の問題であるのです。だから主は「ためらわないで行きなさい」と仰っているのです。その壁を越えることの出来ない「ためらい」その、一辺倒な考え方から抜け出すことの出来ない「ためらい」が、もしあるとするならば、この主の御声に耳を傾けねばならないのです。
 この世の中には、未だに多くの差別が残ります。苦しむ者はさらに苦しみ、悲しむ者はさらに悲しむ。差別意識は連鎖し、親から子へ受け継がれ、人間の憎悪のスパイラルの中で、私たち人間の闇と無力さを思い知らされることの多い世の中です。世界の紛争や、内乱、テロリズム、アパルトヘイトのような優越主義、ジェンダーの問題、イジメや、各種のハラスメントに至るまで、それら全ての原因の中に、私たち人間の一方的な意識、容易に変えることの出来ない大きな壁が立ちはだかっているのです。

 けれどもその壁は、神様の側では既に取り除かれている。神は分け隔てなさらず、差別なさらず、私たちの命を、一人ひとり、それぞれを最も大事なものとして大切にしてくださっています。私たちが悔い改め、救いを真剣に求めるとき、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、優位な立場など無く、それぞれの命の大切さに目を留めて下さるのです。それが私たちの信じる神様であります。
 この神様を信じるからこそ、私たちは他者に対して、深い隣人愛をもって接することが出来るのです。多くの隣人との壁を乗り越えることが出来るのです。神の側では取り除かれている、後は私たちがそれを取り除く番である。それが今日のメッセージです。どうかここに集う全ての方が、この神様を信じて、真の神の愛を実践することの出来る者として歩んで頂きたいし、共に歩んで行きたいのであります。
                                     

使徒言行録8章26節-40節

 使徒言行録8章26節-40節 『手引きしてくれる人がいなければ』 2010年10月10日

  人種の坩堝と言われる現代社会において、様々な国の人たちと出会うのは稀なことではありません。東アジア諸国のような、私たち日本人と殆ど見分けのつかない外国人から、人目でそれと分かるヨーロッパ・アフリカの外国人まで、日常的に出会っております。

 今日の箇所では、フィリポがある外国人と出会うことによるエピソードが記されております。前の箇所でフィリポは、魔術師シモンへ洗礼を授け、北イスラエルであるサマリア人に対して宣教活動を行なっておりましたが、今日の箇所で彼は、「エルサレムからガザへ下る寂しい道へ行きなさい」という主の言葉を聞いて、それに従うことから話は始まります。前はサマリア人全体に対する宣教でしたけれども、今日はたった一人の異邦人への宣教であります。その一人への救いのために、心を砕き、思いをもって、主は人をお遣わしになるのであります。

 そこへ現れたのが、「エチオピアの女王カンダケの高官で女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官」でありました。彼がなぜユダヤ地方に来ていたのかということですが、27節には「エルサレムに礼拝にきて、帰る途中であった」と書かれております。ですから彼自身はもともとユダヤ教の信仰を持ち、長い巡礼の旅を厭わずに行なう、篤い信仰者であったことが分かります。

 エチオピアという名前は、もともとギリシャの「イティオプス」に由来します。この「イティオプス」は「日に焼けた人々」という意味でありまして、黒人の肌の色に対する驚きがそのような名前をつけたのでありました。

 黒人に対して「日焼けした」という言い方は、今の私たちにとって、侮蔑的な言葉であるように感じるかもしれません。私たちはキング牧師や、ネルソン・マンデラの黒人解放運動をよく知る者として、黒人が差別の対象であるという歴史からそのように感じてしまうのであります。しかしそれは、アフリカ黒人が奴隷として新大陸で売買されてから顕著になって行った概念であるように感じます。しかし使徒言行録の書かれた当時、その黒い肌は、侮蔑の対象などでは決してなく、むしろユダヤ人やローマ人の間で驚きと賞賛の対象ですらあったという事であります。さらに、現代社会問題の一つである南北問題などもあるはずもなく、彼らは貧困地域の人ではありません。彼は女王の側近であり、女王の全財産を任せられた高官なのであって、高い位につく重要人物であります。

 この彼が、エルサレム神殿での礼拝の帰りに馬車に乗りながらイザヤ書を読んでおりました。その朗読の声を聞き、フィリポは彼に「読んでいることがお分かりになりますか」と話しかけるのです。

 エチオピアの宦官は大変素直に、そして謙虚に「分かりません」と答えるのです。その分からなかった聖書が、イザヤ書53章7節~8節の、いわゆる「苦難の僕」の箇所であります。「彼は羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行なわれなかった。誰が、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ」。このような御言葉であります。

 これに対してフィリポは、これこそが十字架のキリストの事である、と指し示し、この解き明かしに感銘を受けた宦官は「洗礼を受けたい」という意思を表明いたします。37節「宦官は言った。ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。そして車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた」。このようにして彼は洗礼に満たされながらエチオピアに帰って行くのであります。

 これは異邦人が洗礼を受け、神の民の一員とされる印象的な場面でありますが、実はこの洗礼に関して、今日の箇所では全く触れられておりませんが、大きな難問を抱えておりました。それは彼が、「去勢された宦官である」ということであります。宦官というのは、もともと、女王に仕えるという職務上、去勢されていなければならず、また王の側近となるわけですから、権力の世襲を防ぐためにこのような制度が始まったと言われております。

 しかし先ほどお読みいたしました。申命記23章2節以下には、「去勢された者は、主の会衆に加わることは出来ない。混血の人は主の会衆に加わることは出来ない」と書かれております。これが律法で定められた、ユダヤ教徒であるための条件であったのです。ですから「エチオピア人」の、しかも「宦官」ということであれば、彼がユダヤ人の主の会衆に加わることなど到底許されるはずもなく、どんなに信仰が篤くても、彼は部外者以外の何者でもなく、ユダヤ教に興味のある、非ユダヤ人であったのであります。
 このような彼の境遇は、彼自身を悩ませていたに違いありません。信仰の有無ではなく、人種の違いや、体の機能の違い、また、その人の選んだ人生による結果によって、つまり外面的特長によってその人の全人格が決定されてしまうという律法だったのであります。

 しかしここで宦官は苦難の僕についてフィリポに質問を投げ掛けるのであります。ここでは「イエスについて福音を告げ知らせた」とだけ書かれておりますが、フィリポはおそらくイエス・キリストという方の救いの本質を語ったのであろうと思います。それはキリストこそが、全ての人のために苦しんだ方である、という使信であります。「十字架の受難は、全ての人の十字架であり、それは『異邦人』であり、『去勢された宦官』でもある、あなたへの救いです」と、恐らくそう話したのではないかと思います。この救いの使信を聞いた宦官は、二つ返事で「ここに水があります。どうか洗礼を受けさせてください。」と洗礼を懇願したのです。
 
 旧約の律法は、イスラエル人たちの信仰を守るためのものであります。異邦人を仲間として認めることによって、宗教混交の危険が伴うでしょうし、去勢を受けた者が会衆となることによって、男色の問題や、子孫への受け継ぎが立たれている、という問題があったのかもしれません。いずれにしてもネコの額ほどのちっぽけなユダヤ地方の弱小国家である、ユダヤ人たちを異教の脅威から守り、子孫へ未来永劫に信仰を存続させることから考えて、申命
記23章のような律法が必要であったのかもしれません。ですから私たちは、一概にこの律法の偏狭さを批判的に捉えてはならないのであります。

 もっとも、イザヤ書56章3節~5節にはこのように書かれております。1153ページです。「主のもとに集ってきた異邦人は言うな。主はご自分の民とわたしを区別されると。宦官も言うな。見よ、わたしは枯れ木に過ぎない、と。なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集ってきた異邦人が、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き、わたしの祈りの家の喜びの祝いに、連なることを許す。」

 このように書かれております。恐らくこの宦官は、律法の重要さと厳格さによって、受け入れて貰えないということで、悲しさを心に刻み込んでいたと考えられます。しかし律法の書とは別に、イザヤ書には異邦人への慰めの言葉が記されていることに親しみを持って、イザヤ書を愛読していたのでありましょう。この彼がキリストの福音に導かれたことは、至極当然の事でありました。

 さて、今日の箇所を紐解く上で、注目すべきことは、このエピソードの主人公は誰であるのか、ということであります。ここにはフィリポ、エチオピアの宦官、名前だけなら女王カンダケ、なども出てきますが、フィリポと宦官の対話にのみ注目してしまうと思います。しかし、結論から言いますならば、この箇所は徹頭徹尾、神の見えない力によって導かれているのであります。事の発端は「主の天使はフィリポに言葉を掛けた」ことから始まっておりまして、29節で「“主の霊”」が語り掛けたのも、また偶然にもフィリポが追いかけることの出来る程度の速さで馬車が動いていたのも、宦官が声に出してイザヤ書を「朗読」していたことも、道を進んで行くうちに、水のあるところに来たことも、それは主によって準備が整えられていることを示しているのであります。また洗礼を授けたフィリポが、主の霊によって連れ去ってしまうことも、このエピソードの主人公が、主であることを示しているのです。洗礼に導いたフィリポという人間の力に注目してしまうことの多い私たちですが、しかしその後すぐにフィリポは宦官との関係を絶たれてしまいます。それは決して残念なことでもなく、むしろ洗礼によってそれを受けた者は、人間同士の関係の中にではなく、神との関係性の中で生きるという事を表しているのではないでしょうか。 この後エチオピアの宦官がどのような人生を送ったのかを聖書は記しておりません。しかしエウセビオスによれば、彼はエチオピアに帰り、宣教師になったと報告しております。その真偽のほどは分かりませんけれども、しかし私たちは、この生き生きとした回心の出来事を、私たちの信仰的事柄として素直に受け取るならば、このエピソードが単なる物語ではなく、私たちの歩みそのものと関連づけて読まれるべきものとなるのであります。
 つまり私たちは、人生を歩む中で、また信仰を貫く中で、様々な障壁や障害、課題や問題に突き当たります。それはエチオピアの宦官が異邦人であることや、律法では去勢者が認められていなかったという事に示されているとおり、自分ではどうすることも出来ない外面的な障壁、束縛、人生の呪縛を抱えるのです。それは自分ではどうすることも出来ず、ただ密かに神に自らを問うだけであります。この宦官がたった一人でイザヤ書を読んでいたのは、このような悶々とした思いの中での神への問い掛けだったのかもしれません。
 そうであるならば、今日の箇所は全き恵みとなって私たちに答えます。それは「あなたの障壁は、キリストによって取り払われた」という救いです。人間の力を遥かに超えたところに存在する、神の力と導きが、私たちを取り囲んでいる。このことを信じて生きることき、全ての障害が、また恵みとなり、全ての困難が、主の導きへの礎となるのであります。このことを心に留めて、今週も主に導かれて歩んで生きましょう。