永遠の生命の御約束

2009.4.12  ローマ 5:1-11  牧師 中家 誠

 わたしたちキリスト教会は、3つの重要な祝祭日をもっている。第1は、キリスト降誕日クリスマスである。これは冬至祭とも関わりをもつと言われる。陽が短くなり、春へと移る時。第2は、キリストの復活日イースター。これは「東」と関係があるようだ。北欧の「光と春の祭り」と結びついていると言われる。そして聖霊降臨日ペンテコステ。教会の出発の日である。

 いずれも、光と命を求める人類の深い願いと結びついている。天地創造の神、イエス・キリストの父なる神がお持ちで、最も良きもの、それは「神の愛」と「永遠のいのち(神のいのち)」である。神はご自身の最も良きものを、キリストの十字架の死と復活を通して、わたしたちにお与えになった。

 キリストの十字架。それは、神の深い自己犠牲的な愛の行為であって、神に背くわたしたちを赦し受け容れる手だてであり、かつ、ご自身の愛の表現なのである。

 キリストの復活。それは、神が何者にも打ち負かされない全能の父であることの現れである。わたしたちのいのちは、一重に神の恵の御力にかかっている。わたしたちは、どんなにあがいても、自分の力で永遠の生命を手に入れることはできないのであって、ただ、神の愛とあわれみの御力によるものなのである。

永遠の命に至る食べ物

2009.3.15  牧師 中家 誠

 「あなたがたは朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食べ物のために働きなさい」(ヨハネ福音書 6:27)

 ここに2種類の食べ物があることが言われている。この世の肉体を維持するところのものと、それにとどまらず、それ以上のものがこの世にあるということが。これら2つの世界にまたがって、わたしたち人間は存在しているのである。

 「永遠の命に至る朽ちない食べ物」にあずからない人間の一つの現実が、今、全世界でくりひろげられている。「経済的世界恐慌」という形で。

 過日の夕刊に、次のような見出しの記事がのっていた。「傷つき祈る 強欲の街-ウォール街」。この出来事を惹き起こした直接的、かつ根本的原因を厳しく糾弾した言葉である。

 果てしない人間の強欲。「朽ちる食べ物」のみを求めて生きる人間の行き着く先が何であるかを、これは見事に言表わしている。そこには、「人間の共存」という姿もなければ、他者を思いやる心もない。

 「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と聖書は教えている(申命記 8:3)。

 「朽ちる食べ物」のためにだけ生きる時、人間そのものが朽ちて行くことを、わたしたちは思い知らされるのである。