11月11日 こども祝福式が行われました

日本キリスト教会浦和教会では、毎年11月第2日曜日に「こどもとおとなの合同礼拝・こども祝福式」が行われます。

今年は11月11日(日) 13名のこどもたちが祝福の座につき、一人ひとりが祝福されました。



礼拝後は、恒例の 愛情たっぷりカレーライス 愛餐会。
ゲームをしたり、楽しいひと時を、過ごしました。


2018.05.13の説教から

513日の礼拝説教から>
『食卓の下の子犬』
         マルコによる福音書724節~30
                             牧師 三輪地塩
 ェニキア人は、イスラエル人たちと敵対的な関係が1000年以上も続いていたため、ユダヤ人にとって「神の民の外側にいる人々」であり、良い印象を持たれていなかったと言える。
このような文化背景が前提にあるにもかかわらず、このフェニキア人の女性(母親)は、自分の娘を救ってくれるようイエスに懇願したのである。だがイエスは「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と拒否したのである。この冷淡とも受け取れるイエスの返答についてはさておき、この母親はなおも食い下がるのである。
 この母親は、愛する娘が悪霊に取り憑かれていることで大変な苦しみを受けていた。現代で言うところの、精神疾患の状態と思われる娘を心配し、心を痛め、なんとか元通りに治って欲しいと願っているのであった。イエスの足下にひれ伏すこの姿は、娘を思う切実な願いであり、その辛さが胸に突き刺さる。母親は娘に様々な治療を施した事だろう。民間療法、魔術、薬なども試した事であろう。時間を掛け、費用を掛け、全てをこの娘に注ぎ、娘に寄り添い、治療に当たったが、一向に良くならなかった。
イエスから、けんもほろろに断られた母親であったが、それでも食い下がり、「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」と懇願した。この諦めない姿。一生懸命粘るこのひたむきな姿が、主イエスの考えを変えさせた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」。この言葉と同時に、娘は癒やされたと聖書は記している。
 普通なら諦めてしまいそうなこの場面で、彼女は「謙虚に」「粘り強く」主に求めるのである。ここに神との向き合い方のヒントがある。我々は、神とどう向き合うのか。厚かましいまでも神に願い続ける。しかし常に謙虚に、である。

2018.11.11~17 その他・集会

【第34回「大森講座」開催のお知らせ】
 期日:1118() 14:0017:00 大森教会
 主題:「神殿税を納める」とは何か
      ―マタイ1724節以下を釈義する―
 講師:山本 盾(尾道西教会牧師)
 
シューボックスの献品のお願い】
シューボックスの集荷期間は1118()までです。
昨年に引き続き今年も宜しくお願いします。
(担当 入江有妙、三輪志都)
 
【東京中会伝道局特別献金のお願い】
 中会伝道局は、伝道所の伝道援助、応援伝道、集中伝道
および問安などにより福音宣教と教会形成を応援してい
ます。その働きを覚えて献金をお願いします。
浦和教会の目標額は80,000円です。

2018.11.11~17 今週の集会

今 週 の 集 会
祈祷題「執事のため
神学校講義           12日()10:30             
聖書の学びと祈りの会      15日()10:00

  歴代誌6章(担当 三輪地塩)    司会 鈴木美津子

聖書の学びと祈りの会        15日()14:00
  使徒言行録1342節~52節      担当 安

2018.05.06の説教から

 
56日の礼拝説教から>
『昔の人の言い伝えに従って歩まず』
         マルコによる福音書71節~23
                             牧師 三輪地塩
 の箇所を読む上で二点の事が前提となる。まず「コルバン」とは神殿に献げる「穀物」の事を言う。もう一点は、当時のイスラエルには「両親の扶養義務」があったことである。この義務はモーセの律法にも出てくる。だがこの扶養義務からズルをして逃れたいと思う者たちも少なくなかったという。どのようなズルかと言うと、「これは神への捧げ物、コルバンとして捧げるので、親を扶養する事は出来ません。神様に捧げる為に、親には捧げられません」と言って扶養義務を逃れるのである。現代社会でもこのようなグレーゾーンを渡って法律の穴を逃れようとする「輩」が後を絶たないが、2000年前の人間も全く同じであった。
 このような背景によって、9節以下の言葉を考えると、よく理解出来る。十戒の第4戒に「あなたの父母を敬え」とあるが、ここから理解されるのは「両親の扶養義務」である。更に広い意味で捉えると、健常者や経済的裕福な者たちは、弱者に対する相互扶助や支援の責任・義務を負う、というのが当時のルールであった。だが、「神へのコルバン・神に捧げるから」という理由をつけて、神の名をみだりに唱えつつ、実際は、自分の懐に財産をしまい込んでいる人も少なくなかったのである。イエスが告発し、暴露しているのは、このような、ズルをした者たちが、「神の名をみだりに使っている事」であった。
 イエスは群衆を集め、15節で言う。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」。これは、多少解釈が難しいが、律法の食物規定を考えても、神の作り給う被造物に汚れはないことと、汚れは「我々の心」が作り出すものだ、と述べている。すなわち汚れは「罪」の問題に由来する。「心」とは何か。それは、「人間の正しさによってではなく、神の正しさによって、正しく神に向かう思い」。それこそが、我々の言うところの「心」の正しいあり方だとイエスは言うのである

2018.11.04~10 その他・集会案内

おはなし会のお知らせ】
 1118日(日)13001330 南浦和教会
語り手:国岡晶子(銀座教文館ナルニア国おはなし会チーフ)
 
【「教会ブックレット」第5刊のご案内】
南純・渡辺信夫共著「教会における子ども
―契約の子らをどうとらえるべきか」¥300 +税
詳細は受付のチラシを御覧ください。(担当 増田裕子)
 
シューボックスの献品のお願い】
シューボックスの集荷期間は本日から1118()まで
です。昨年に引き続き今年も宜しくお願いします。
            (担当 入江有妙、三輪志都)