世界平和の基(もとい)キリスト

2009.8.16  エフェソ 2:14-18  牧師 中家 誠

 敗戦記念の日に当り、旧約のイザヤ書から3つ、新約から1つの御言葉を聞きたい。

 ①「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向って剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)。ここに究極の神のみこころが示されている。 

 ②預言者イザヤはまた言う、「神に立ち帰り、静かにしているならば救われる」(イザヤ30:15)。これは、神への信頼を述べたものである。 

 ③更にまた言う、「イスラエルを苦しめる二つの大国アッシリアとエジプトが、イスラエルの神、主のもとに、共に手を結ぶ時が来る」と(19:23)。永遠の和解の日が来る。その仲立ちとしてイスラエルは働く者となる。天地の創造主なる神のもとに、最終的に一つとなる時が来るのである。

 わたしたち人間の心は、その時その時の状況によって容易に動かされるものである。動かされないためには、動くことのない「神の言葉」が必要である。その「神の言葉」が人となって来られた方こそ、主イエス・キリストである。

 このキリストが「十字架を通して敵意を滅ぼし、二つのものを一つにされた」(エフェソ2:16)のである。この生き方に基づいてこそ、わたしたちは動かされない者となり、神の御旨に基づいて行動することができる。

 64年目の敗戦記念日に当り、この事を深く心にとめたいと思う。

平和の王 イエス・キリスト

2009.8.9  マタイ 21:1-11  牧師 中家 誠

 64年前の8月、日本では2つの原爆投下があり(6日広島、9日長崎)、20数万人が死んだ。それは地獄さながらの有様であったのである。そして15日に敗戦日を迎える(わたしたちは、これを単に「終戦」と言わず、「敗戦」という。それは自分たちが始めた戦争の結末を強く意識にとどめるためである)。この戦争を通して、日本では350万人、外国では2,000万人が死んだと言われる。

 このような悲惨をもたらす戦争がなぜ起きるのだろうか? それは自分を守ろうとする心が、人間の欲や力(武器)と結びつき、相手を倒すことよってそれを成り立たせようとすることにあると思われる。

 今ここに、それとは全く別の法則によって生きる人がおられる。それは神から来られたイエス・キリストである。キリストは神の御子であられたにもかかわらず、自分を空しくして人となり、人間の悲しみや苦しみを深く連帯され、最後には、人の罪を負って十字架に死に、神の御前に謝罪してくださったのである。

 それは、「自らの身を守るため、他者を犠牲にする」道とは反対の、「他者を守るため自分を犠牲にする」道である。わたしたちはこの方を頭とする群れである。平和をつくり出すことは至難のわざであるが、神の平和と愛の心を頂き、他者を大切にすることによって、一歩でもこの道を歩んで行く者になりたいと願うものである。

2月28日の礼拝

10:30~ 主日礼拝 <レントⅡ>

説教「一つになるための最後の祈り」

ヨハネ福音書 17:20-26  河野 美文    


9:00~ 日曜学校

説教「受難の予告」

マルコ福音書 8:31-38  薄田 東正


祈りつつ、友人・知人・身内の方々をお誘いください。
どなたもご自由にお越しください。お待ちしております。


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