神の約束に生きる

2009.5.24  創世記 15:1-19  牧師 中家 誠

 信仰とは、ヘブライ書11:1に記されているように、①神が大いなる方であり、はるかな見通しを持つお方であることへの信頼と、②その変わることのない真実さへの信頼に生きることである。3800年も昔のアブラハムの信仰は、そのことをわたしたちに示してくれる。

 信仰の祖となったアブラハムは、年老いるまで、ひとりの子さえ得ていなかった。しかし彼は、すべてを見通したもう神を信じ、また、神が約束されたことを必ず果される方であることを、信じ受け入れたのである。その故に多くの信じる者たちの父祖となった。

 神はその時彼に、約束の確かさを示すために、当時のしきたりに従い、「契約」(2つに切り裂いた動物の間を行きめぐる儀式)を行いたもうた。そして今度は、人類の歴史の中心部において、御子キリストを十字架上に切り裂いて、わたしたち人間の不真実を負いつつ、ご自身の真実を示したもう。これを「新しい契約」(新約)という。

 わたしたちは、この歴史を貫く神の契約に与かり、これを信じて生きる者たちの群なのである。

永遠の生命の御約束

2009.4.12  ローマ 5:1-11  牧師 中家 誠

 わたしたちキリスト教会は、3つの重要な祝祭日をもっている。第1は、キリスト降誕日クリスマスである。これは冬至祭とも関わりをもつと言われる。陽が短くなり、春へと移る時。第2は、キリストの復活日イースター。これは「東」と関係があるようだ。北欧の「光と春の祭り」と結びついていると言われる。そして聖霊降臨日ペンテコステ。教会の出発の日である。

 いずれも、光と命を求める人類の深い願いと結びついている。天地創造の神、イエス・キリストの父なる神がお持ちで、最も良きもの、それは「神の愛」と「永遠のいのち(神のいのち)」である。神はご自身の最も良きものを、キリストの十字架の死と復活を通して、わたしたちにお与えになった。

 キリストの十字架。それは、神の深い自己犠牲的な愛の行為であって、神に背くわたしたちを赦し受け容れる手だてであり、かつ、ご自身の愛の表現なのである。

 キリストの復活。それは、神が何者にも打ち負かされない全能の父であることの現れである。わたしたちのいのちは、一重に神の恵の御力にかかっている。わたしたちは、どんなにあがいても、自分の力で永遠の生命を手に入れることはできないのであって、ただ、神の愛とあわれみの御力によるものなのである。

2月15~20日の集会

○木戸集会(石井宅) 16日(火) 12:00

○杉戸集会(田端宅) 16日(火) 14:00

◎祈祷題 「伝道礼拝のため」「中連婦総会のため」「レント(2月17日より)を覚えて」

○聖書の学びと祈り 17日(水) 19:30 ルカ福音書 1:5-25 三浦勇二

○聖書の学びと祈り 18日(木) 10:00 ローマ 13:1-10 中家 誠

○婦人会委員会

2月21日の礼拝

伝道礼拝 レントⅠ 10時半~

説教「きょう、あなたの家に泊りたい」

ルカ福音書 19:1-10  中家 誠牧師

友人・知人・ご家族をお誘いください。