2018.02.18 説教から

       <218日の説教から>
           自分の「秤」で量り与えられる
           マルコによる福音書421節~25
                           牧師 三輪地塩
 「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる」。
 この言葉は、すぐには理解できないかもしれない。
 我々人間は、「自分の経験」を標準的な物差にする。自分が歩んできた人生を、最も安心できる、信頼のおける人生であると錯覚してしまうからである。自分の身近な生活や、感覚や、その広さ(或いは「浅さ」までも!)、大事にしてしまうのだ。かつて養老孟司の『バカの壁』という本がベストセラーになったが、その「バカの壁」、ならぬ、「自分の壁」が「自分を量る」のだ。
 人を批判し、人をさげすみ、人を見下す人は、最終的には、人に批判され、人にさげすまれ、人に見下される人になる。それは、自分が量ってきた秤を、自分にも当て嵌められるからである。
 しかしその反対も起こる。人を愛し、人を評価し、人を尊敬して生きる者は、人に愛され、人に評価され、人に尊敬される者となる。人を大事にする者は、人に大事にされる。つまり、「何を聞いているかに注意しなさい」とイエスが言われるように、あなたは神の福音を「何であると認識して聞いているか」が大事である。神を信頼し、神の愛を感じ、神の創造性を信じ、神の守りを求めて、神の御言葉に聴く時、あなたがたは、最終的には、神の愛を受け、神の創造性の中に生き、神の守りのうちに生きる者となるのだ、と。
 「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。」と言われます。あなたが、福音に本気で信頼し、本気でそれを欲し、それを受け取ろうとする時、そこに、真の福音があなたの秤に、量り与えられるのだ、という事である。「聞く耳のある者は聞きなさい」とは、消極的な「聞く」ではなく、神の御言葉に、より頼んで、積極的に「聞くことである」という、イエスの教えがここにある。我々は福音として、「何を聞いている」のか。「何を聞いているかに注意しなさい」というこの言葉を、真剣に捉えたい。