2019.8.25 週報掲載の説教

<1月27日の説教から>

『マルコの小黙示録』 
マルコによる福音書13章1節~13節

牧師 三輪地塩

 
弟子たちはイエスに問う。「そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが全て実現するときには、どんな徴があるのですか」と。イエスは次のように答えた。「人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎやうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは、起こるに決っているが、まだ世の終わりではない」。現代社会において、あたかも自らを救い主であるかのように語る「自称メシア」の何と多い事であろうか。

また、今の世を見回すと、いたずらに格差を広げ、富める者の優越感を助長し、同時に、弱者をより弱者にさせていく。新自由主義経済だの、リベラリズムだの、ていの良い言葉を使うが、世で起こるのは、人種や国民を分断し、憎しみを助長するだけである。

キリストは「人に惑わされないように気をつけなさい」と言われた。そして「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」との言葉は真実である。

キリストは、「戦争が起こるに決っている」と言う。しかし、「慌ててはいけない、惑わされてはいけない」と語る。

弟子の一人が「先生ご覧下さい、なんとすばらしい石、なんと素晴らしい建物でしょう」と言う(1節)。神殿の美しさを見た弟子が、その見た目の美しさや、華やかさ、細工技術の高さを評価している言葉。プラクティカルで、実益的な言葉である。

だがこれに対するイエスの答えは「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石も、ここで崩されずに他の石の上に残ることはない」であった。イエスの意図は、「人は目に見えるもので判断しがちであるが、その全ては永遠ではない」と答えたのだ。目に見える希望、目に見える豊かさ、目に見える強さなど、表面的なものに一喜一憂するのではなく、真理に導こうとされる主の声をいつも聞き続け、本当に主が示そうとされる場所を見極め、そこに向かって歩んで行くことが大切なのである。